イシュラヴァール放浪記

道化の桃

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第二章 娼館編

13 追憶☆

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 碧眼の男は、運ばせた水桶の水で顔を洗った。そして部屋に一脚だけある椅子をドアの前に置くと、そこに腰掛けた。
 女は泣きながら眠ってしまった。が、いつ目覚めて逃げようとするかわからない。縛っていても安心できない。鎖で縛られていたにも関わらず、逃げ出した女だ。
(あと二日……)
 丸二日待てば、辺境伯からの使者が来るはずだ。
 兵士として訓練されてきた男にとって、三日間眠らずにいることはそう難しいことではなかった。数時間おきに数分~数十分の仮眠を取れば、行動に支障が出ることはない。女が眠っている隙をみて、あるいは気絶させれば、休息時間は十分に確保できた。
 男は寝台の上の女を眺める。
 久しぶりに再会した女は、一年足らずで見違えるほど美しく変貌していた。
 ごわごわと砂だらけだった髪は丁寧に梳かれて艷やかに波打ち、粗末な奴隷服の代わりに軽やかな長衣がよく似合っている。なにより、虚ろだった瞳に揺るぎない意志の光が宿っている。
 昔は何をされてもぴったりと貝のように閉ざしていたのに、今はそれがやんわりと開きかけているのを感じる。
 そして誘い込む。彼女の官能に。
(うっかりすると、こっちが喰われそうだ……)
 黙っていても男を引き寄せる類いの女はたまにいるが、多分、彼女は無自覚なのだろう。
(やはり、この女は放ってはおけない)
 再度、女の寝息を確認すると、男は暫時ざんじ、物思いに耽った。

 かつて、イシュラヴァール王が十五の年、国土拡大を掲げて大遠征が行われた。
 ジャヤトリア辺境伯は砂漠地方の遊牧民族の平定を命じられ、当時砂漠に数多く存在した戦闘民族と激しい攻防を繰り広げた。男はその戦で、仲間を売ってジャヤトリアについた。
 イシュラヴァール王国は、王都と海沿いに点在する港町を除けば、国土の大半が砂漠である。砂漠に住んでいるのは遊牧民のみで、実際どこまで王国の支配が及んでいるのか定かではなかった。砂漠の向こう側には隣国アルナハブ王国があったが、その国境も曖昧だった。両国とも砂漠を不毛の地として扱っていたので、互いに国境線に深いこだわりがなかったのだ。
 だが、砂漠に済む遊牧民の数が増え、ここからも徴税しようということになり、問題が発生した。イシュラヴァールとアルナハブ、どこからどこまでに住む者を自国民とするか決めねばならない。更に遊牧民たちは支配を嫌い、自治権を主張した。国は軍隊を派遣し、遊牧民を力で従わせようとした。ここに遊牧民とイシュラヴァール、更にはアルナハブの三つ巴の紛争が始まるのである。
 遊牧民たちは、実は軍隊よりも厄介な連中だった。彼らは、この地方原産の駿足を誇る純血種の馬を駆り、目印ひとつない砂漠を自由自在に駆け回って攻撃してくる、凶暴な戦士たちだった。
 遊牧民たちは通常、星の数ほどの部族に分かれて生活している。戦では、砂漠一の戦闘民族であるシャハル族を筆頭に、シャハルの分派であるシャレム族、弓の名手が揃うサイヤード族、最速の駿馬を誇るシハーブ族、剛剣自慢のキュータ―族……と数多くの猛者たちが国軍を迎え撃った。戦場は忽ち乱闘の砂煙に覆われて、不毛な持久戦の様相を呈していった。
 その一方で、戦を嫌い、国軍側と交渉する部族も現れた。長引く戦いに疲弊して、僅かな居住地と引き換えに隷属を受け入れる部族も出てきた。背に腹は代えられない。とはいえ遊牧民の大勢たいせいは、まだ十分な余力とともに抵抗を続けていた。
 戦況を変えたのはジャヤトリア公だ。当時、一介の地方豪族に過ぎなかった公だが、部族間の事情には詳しかった。瓦解しかけた国軍を立て直し、更に降伏あるいは離散した部族から数多くの傭兵を雇い入れ、内情を吸い上げた。そして敵の部族間に偽の情報を流して混乱させた。数部族が示し合わせて攻撃するはずのところを、一部族を除いて撤退させた。敵の真ん中に取り残され、哀れな生贄となった部族は皆殺しにされた。このようなことが続いたため、互いの信頼関係だけで繋がっていた遊牧民たちは疑心暗鬼に陥っていった。あとは自ら崩壊していくのを眺めているだけで良かった。
 その混乱の中で、国軍最大の強敵であったシャハル族を売った男がいた。
 誇り高き戦闘民族であるシャハル族は、最後まで戦い抜く意志を示していた。
 シャハル族と兄弟関係にあったのがシャレム族である。
 シャレム族の族長の孫が、その年十八の青年になっていた。彼は老いた族長の名代として、幾度目かの和平交渉に臨んだ。
 そこで何が話し合われたのかは、誰も知らない。
 だが、その次の戦で、シャハル族は二十倍の数の敵に囲まれて全滅した。
 最大勢力を失った遊牧民たちは、忽ち戦意を喪失していった。何度も族長会議が開かれ、結局、王国の要求を受け容れることになった。即ち戸籍を登録し、納税と兵役の義務が課せられることとなったのである。
 以来、遊牧民の数は減り続けている。戦闘に長けた男たちは皆徴収され、最前線に送り込まれた。戦いで命を落とす者、敵に捕まって奴隷になる者、あちこちの軍に傭兵として雇われる者……過酷な砂漠に残された女子供たちは、食い詰めて身を売った。――奴隷として。こうして、砂漠で遊牧を営む者は激減した。

 その幼子を抱いた女の顔に、見覚えがあった。
 男は咄嗟にテントの影に身を隠した。兵士に囲まれて連れてこられた一団の中に、その女はいた。砂漠で野営していた遊牧民の生き残りだろう、数頭の駱駝やロバも一緒だ。
 遊牧民制圧戦から二年余りが経っていた。
 ジャヤトリア公は戦果を讃えられ、辺境伯として広大な領地を手に入れていた。領内で徴税を免れて隠れ住む遊牧民の残党を見つけては、捕らえて奴隷にしていた。殆どが老人や女、幼い子どもたちだった。
 その中に、その女がいた。捕らえられて怯える他の者達と、明らかに顔つきが違っている。自分より二回り以上も大きな体躯の兵たちに囲まれて尚、その瞳には強い闘志がみなぎっていた。目尻がきりりと上がった大きな目、すっと通った鼻筋は、彼女の部族特有の顔立ちだ。――シャハル族の。
 男は記憶を辿る。
 男がまだ幼い頃、シャハル族とシャレム族は盛んに交流していた。源流を等しくする大部族同士である。年に数回、野営地が重なると大宴会が催された。子供たちは部族入り乱れて、その年生まれた子馬たちと共に駆け回って遊んだ。
(あれは、あの時のシャハルの娘だ――)
 男が和平交渉で売った一族の。

   *****

 ――何時間経っただろうか。
 ライラは碧眼の男に犯されながら目覚めた。
 浅い夢の中でも、誰かに抱かれていたことを思い出す。相手の姿はぼんやりとして、覚えていない。
 それから自分の置かれた状況を思い出して、また涙が溢れた。
 一度決壊した涙腺は、十数年溜め込んだものを吐き出すかのように、涙を流し続けた。
 そんな様子には一片の同情も見せずに、男は容赦なくライラの躰をくの字に折りたたみ、両脚を自分の肩にかけて、奥深く挿入する。
 ライラは僅かに眉を歪めて顔を逸らした。閉じた目の睫毛がしっとりと濡れている。
「……お前、泣けるようになったんだな」
 ふと、男が言った。
「俺はてっきり、お前の精神こころはとっくに死んでしまっていると思っていたぞ」
 ジャヤトリア辺境伯に仕える者たちは誰でも、ファーリアが主人にどんな扱いを受けているかを知っていた。年端も行かぬ少女の頃から鞭打たれ、犯されてきた女奴隷。もう涙も涸れたらしい――決してねやで声を上げることのない女……。
 実際、寝床から攫って三人で犯した夜も、ファーリアはほとんど声を上げなかった。だからできたのだ。ファーリアが逃げさえしなければ……いや、それ以前にカナグイサソリが現れなければ、露見することもなかった筈なのだ。
「まったく……とんだ面倒を掛けやがって。知ってるか?お前が逃げた後、あの二人は処刑されたぞ」
 男はライラの背の疵痕をなぞった。さっき打った背中には新しく赤い筋が浮き上がり、ところどころ血が滲んでいる。まだ生々しい傷に爪を立てると、流石に痛むのだろう、ビクンと反応する。そして、粘膜のひだがきゅうっと男根を締め付ける。男は官能の息をひとつ吐くと、話を続けた。
「実際あの夜は魔が差したとしか思えない」
 仲間の兵士二人が、奴隷女を犯ろうと言い出した。辺境伯は毎年キャラバンを組み、ふた月ほどかけて広大な領地を回る。その間、何週間も砂漠の中で野営することになる。市が近くにあるときはまだいいが、野営が続くと兵士たちの性欲は限界を迎える。キャラバンの内部でこっそりと相手を見つけて宜しくやる者もいたが、女の数が圧倒的に少ない。斯くして兵の大半はあぶれていた。あぶれた兵士が奴隷に手を出すことはよくあった。だから、あの日もどうせ適当な奴隷に相手をさせるのだろうと思っていたのだが。まさか主人の一番の情婦を狙っていたとは、予想外だった。だが、どうせ奴隷は轡を噛まされて喋れない。特にファーリアは、事の最中でも決して声を上げないことは有名だった。だから大丈夫だろう、あの女がいったいどんな味か、お前も気になるだろう――?そう、乱杭歯がねばつく唾を飛ばしながら言ったから。
 魔が差したのだ。
「――噂ぐらいは聞いてるだろう?チビの方は歯を全部抜かれて、砂漠に生き埋め。でかい方は木馬に縛られて、狂った馬に死ぬまで犯されたと。なあ?おい。お前が逃げたせいで、兵士が二人死んだ。奴隷のお前は生きてるのにな……まったく世の中というのは不思議なものだ」
 だがそれはそもそも死んだ本人たちが罪を犯したのだし、殺したのは主人だ。ライラは悪くない。
 けれど、ライラに関わったから死んだと言われれば、そうなのかもしれない。
「ところでお前、泣くこと以外に、何を教わったんだ?ここで、毎晩男たちを咥え込みながら」
 男はライラの疵痕を舐め上げる。
「……んっ……」
 ひりつく痛みの奥で、ぞくりと快感が走り抜ける。ライラの内壁が、再び吸い付くように男を締め上げる。
「自分でわからないのか?よく感じる躰に仕込まれてやがるぞ」
「いや……だ……」
 ライラはかぶりを振った。感じたくなんかない。こんな男に。
 ――愛してもいない男に。
 だが、その思いとは裏腹に、躰はひくひくと反応している。
 それが悲しくて、また涙が溢れ出る。
 悲しい。悲しい。なぜどこまでも自由になれないのか。いつまでも男たちに蹂躙され続けるのか。
 悲しい。
 それでも。
 それでも、生きてる。
 あの兵士たちは、死んだのに。
 この男も、自分も、まだ生きてる。生きて、こうして、薄暗い場所で繋がっている。愛ではなく、怒りと悲しみだけを交わらせている。
 なんて寂しい生き物だろう。
 自分のせいで、二人も死んだのに。
(……いや、三人だ。……水夫を一人、殺した)
 そうだ。
 自分が殺した。奴隷船の屈強な水夫。
 かたい筋肉を貫き、やわらかい内臓を突き破る。ずぶりと刺したその感触を、まだこの手が覚えている。
 ライラの意識の奥で、小さな火が灯った。希望と呼ぶにはくらく、闘志と呼ぶには弱々しい、小さな炎。
 思い出せ。思い出せ。
 両手の鎖を千切って走った瞬間を。
 サバクオオカミの鼻面を叩き切った瞬間を。
 真っ暗な海に飛び込んだ瞬間を。
(……隙さえあれば)
 ――できる。
 信じろ。自分を。

 もう奴隷には戻らない。
 絶対に。
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