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金色の回向〖第34話〗
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ある日抱きあったあと、暑くて手を伸ばし、カーテンを開けたら満月が出ていた。まんまるな、金色に光る月だった。虹子さんは『綺麗ね』と目を細めた。俺はこそばゆくって、
「おでんの大根みたいだね。味が良くしみた奴」
と少しぶっきらぼうに言うと、
「おでん好き?」
俺の額に口づけ、虹子さんは、俺を見つめた。
「うん。うどん巾着が好きなんだ。餅巾着じゃなくて、うどん入ってるの」
無言で頷いて、何故か急に虹子さんは泣きそうな顔をした。俺は見逃したかった。きっと、誰か大切な人との思い出からだと思った。多分深山の父だと思った。
「どうしたの?」
俺は知らないふりを決めこんだ。
「………美味しいおでん、いくらでも作ってあげる。うどん巾着、私も知ってるよ。昔知り合いが『餅じゃなくて、うどんが入っているのがいい』って言ってたの。今まで、忘れてた。味が良くしみた大根も入ったおでん、一緒に食べよう? 暑い中、団扇で、汗かいた身体、あおぎながら食べよう? 思い出を作りたいの。毎年アルバムをめくるように一緒に過ごす楽しい時間に、領ちゃんがいて欲しい」
虹子さんは、肩を震わせ声を出さずに泣いているようだった。俺は抱きしめ言った。
「我慢しないで良いよ。泣きたいときは泣いた方がいい。それとも、俺は、まだ頼りない? 俺、虹子さんが好きだよ。好きな人には頼られたいよ。ずっと一緒にいるんでしょ。何があっても俺が虹子さんを守るから。傍に居るから」
俺が努めて穏やかにそう言うと、虹子さんは声を出して泣いた。理由を訊いても、苦しそうに咽ぶだけで、虹子さんは答えてくれなかった。おでんのせいでもあるまいし。それでも、俺の素肌に羽織ったシャツをきゅっと掴んだ。傍にいて、少しでも癒しになれば。何回も繰り返す、『大丈夫?』『好きだよ』『傍に居るよ』きちんと正しく言葉は使う。そうでなければ、言葉は意味を持たない。伝えたいなら、伝わるまで、伝えなければ。
「ありがとう………領ちゃん」
季節は過ぎる、月日も過ぎる。俺は高校を卒業し、親父の法律事務所を手伝いながら通信で司法書士の資格を取り、働き始めた。虹子さんとは同棲中で彼女の家にいる。一緒に運転免許も取った。何故か彼女に運転させるのは怖くて、簡単に『終わり』を選択肢にいれてしまいそうで、虹子さんには、『運転が好きなんだ』と言う理由をつけて運転させなかった。
日曜日にはよくドライブして海を見に行った。虹子さんは紺色のノースリーブのワンピースで、貝殻を拾っていた。線の細い彼女が砂浜を歩く姿は、ワンピースの裾が翻って、まるで蝶のようだった。深山烏揚羽。あの標本がよぎった。虹子さんは、あまりに美しい蝶だ。何処かに逃げ出したり、迷ってしまったりしないか、無駄な心配にかこつけてピン止めしてしまいたくなるほどだ。幸せだった。そして、虹子さんは、いつも綺麗だ。
そして、俺が二十歳になるのを待って入籍した。俺と、虹子さんと親父の修一と母の理恵を招いて結婚式の披露宴代わりの内々の食事会をした。そして、街の貸衣装をレンタルして写真を撮った。
少し暑さが落ち着いてる日、虹子さんはおでんを作ってくれた。暑いとき熱いものを食べて汗をかくと、体の芯から温まって夏バテにいいと少し前の夕食のとき俺が何の気もなしに話したからだ。虹子さんには無理を言ってしまった。もうお盆も終わり、萩の花も色めいているといっても、まだ八月。季節の狭間。額に、背中に汗をかきながら二人で鍋を囲んだ。
「皆既月食ね」
と熱々の大根を齧った虹子さんは笑っていた。俺は、
「確かに。大根は月だね。煮込んでとろとろ。ちくわぶも美味しいよ」
虹子さんは笑いながら涙目になっていた。俺が訊くと、
「穏やかだな、幸せだなって思ってた。こんなに楽しいお夕飯、領ちゃんのおかげよ」
「なら、なんで………泣いてるの? 幸せなら笑えばいいよ。哀しいことなんかないよ」
俺がそう言うと、虹子さんは泣きながら笑う。涙を指先で拭くと、フフッと笑った。
「領ちゃん、幸せは哀しいものなのよ。物事にはね、全てに終わりがあるの。幸せにも期限がある。いつか終わってしまう。幸せな永遠なんて、ないの。でも──でもね、領ちゃんといると信じてみたくなる。領ちゃんと会ってから、私ね、幸せなの。楽しいの。許されてる感じがする。色んなものから。………何てね」
ずっと今が永遠ならいいのに。今以上はないわ。そう虹子さんは言う。
「おでんの大根みたいだね。味が良くしみた奴」
と少しぶっきらぼうに言うと、
「おでん好き?」
俺の額に口づけ、虹子さんは、俺を見つめた。
「うん。うどん巾着が好きなんだ。餅巾着じゃなくて、うどん入ってるの」
無言で頷いて、何故か急に虹子さんは泣きそうな顔をした。俺は見逃したかった。きっと、誰か大切な人との思い出からだと思った。多分深山の父だと思った。
「どうしたの?」
俺は知らないふりを決めこんだ。
「………美味しいおでん、いくらでも作ってあげる。うどん巾着、私も知ってるよ。昔知り合いが『餅じゃなくて、うどんが入っているのがいい』って言ってたの。今まで、忘れてた。味が良くしみた大根も入ったおでん、一緒に食べよう? 暑い中、団扇で、汗かいた身体、あおぎながら食べよう? 思い出を作りたいの。毎年アルバムをめくるように一緒に過ごす楽しい時間に、領ちゃんがいて欲しい」
虹子さんは、肩を震わせ声を出さずに泣いているようだった。俺は抱きしめ言った。
「我慢しないで良いよ。泣きたいときは泣いた方がいい。それとも、俺は、まだ頼りない? 俺、虹子さんが好きだよ。好きな人には頼られたいよ。ずっと一緒にいるんでしょ。何があっても俺が虹子さんを守るから。傍に居るから」
俺が努めて穏やかにそう言うと、虹子さんは声を出して泣いた。理由を訊いても、苦しそうに咽ぶだけで、虹子さんは答えてくれなかった。おでんのせいでもあるまいし。それでも、俺の素肌に羽織ったシャツをきゅっと掴んだ。傍にいて、少しでも癒しになれば。何回も繰り返す、『大丈夫?』『好きだよ』『傍に居るよ』きちんと正しく言葉は使う。そうでなければ、言葉は意味を持たない。伝えたいなら、伝わるまで、伝えなければ。
「ありがとう………領ちゃん」
季節は過ぎる、月日も過ぎる。俺は高校を卒業し、親父の法律事務所を手伝いながら通信で司法書士の資格を取り、働き始めた。虹子さんとは同棲中で彼女の家にいる。一緒に運転免許も取った。何故か彼女に運転させるのは怖くて、簡単に『終わり』を選択肢にいれてしまいそうで、虹子さんには、『運転が好きなんだ』と言う理由をつけて運転させなかった。
日曜日にはよくドライブして海を見に行った。虹子さんは紺色のノースリーブのワンピースで、貝殻を拾っていた。線の細い彼女が砂浜を歩く姿は、ワンピースの裾が翻って、まるで蝶のようだった。深山烏揚羽。あの標本がよぎった。虹子さんは、あまりに美しい蝶だ。何処かに逃げ出したり、迷ってしまったりしないか、無駄な心配にかこつけてピン止めしてしまいたくなるほどだ。幸せだった。そして、虹子さんは、いつも綺麗だ。
そして、俺が二十歳になるのを待って入籍した。俺と、虹子さんと親父の修一と母の理恵を招いて結婚式の披露宴代わりの内々の食事会をした。そして、街の貸衣装をレンタルして写真を撮った。
少し暑さが落ち着いてる日、虹子さんはおでんを作ってくれた。暑いとき熱いものを食べて汗をかくと、体の芯から温まって夏バテにいいと少し前の夕食のとき俺が何の気もなしに話したからだ。虹子さんには無理を言ってしまった。もうお盆も終わり、萩の花も色めいているといっても、まだ八月。季節の狭間。額に、背中に汗をかきながら二人で鍋を囲んだ。
「皆既月食ね」
と熱々の大根を齧った虹子さんは笑っていた。俺は、
「確かに。大根は月だね。煮込んでとろとろ。ちくわぶも美味しいよ」
虹子さんは笑いながら涙目になっていた。俺が訊くと、
「穏やかだな、幸せだなって思ってた。こんなに楽しいお夕飯、領ちゃんのおかげよ」
「なら、なんで………泣いてるの? 幸せなら笑えばいいよ。哀しいことなんかないよ」
俺がそう言うと、虹子さんは泣きながら笑う。涙を指先で拭くと、フフッと笑った。
「領ちゃん、幸せは哀しいものなのよ。物事にはね、全てに終わりがあるの。幸せにも期限がある。いつか終わってしまう。幸せな永遠なんて、ないの。でも──でもね、領ちゃんといると信じてみたくなる。領ちゃんと会ってから、私ね、幸せなの。楽しいの。許されてる感じがする。色んなものから。………何てね」
ずっと今が永遠ならいいのに。今以上はないわ。そう虹子さんは言う。
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