金色の回向〖完結〗

華周夏

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金色の回向〖第30話〗

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 それから毎日、虹子さんは勉強をしながら、深山の父に会いに行き、この村を出て何処に旅行に行くか話したり、覚えたての啄むような優しく触れるようなキスをしたり、わざとはしゃいで見せたという。カルメ焼が香ばしく、駄菓子のように美味しくて毎回深山の父を訪ねる度に作って貰ったり、色々な話をしたりしたと言っていた。

 深山の父と過ごした、一番思い出深い季節は夏だと虹子さんは言う。毎日、いつものように蝉が鳴いていて、普段は賑やかすぎて苦手な蝉を虹子さんが深山の父に『耳鳴りみたい』と言うと、父は笑って『想いの告白の歌だよ。身体を震わせて、命をかけて鳴いている』とさらりと、照れ臭くなるような言葉を言い、虹子さんの汗が滲む額をハンカチで拭ったそうだ。虹子さんはそんな深山の父が恥かしくて、耳が赤くなる音が聞こえそうだったと懐かしそうに母に話していた。

いつしか季節はうつろい、蝉時雨の金色の光の音の雨が聞こえなくなった。蝉たちは姿を消した。いつ居なくなってしまったんだろうかと、毎日聞いていたはずなのに、解らない。当たり前だったものが、音もたてずに消えていく。代わりに甲高い声の鈴虫とコオロギが鳴き始めた。いつもの秋だ。『どの合図で鳴き出すんだろう』深山の父がそういうと虹子さんは『指揮者がいるのかな?』と言った。深山の父は『中野さんの感性は可愛いね』と笑った。虹子さんは笑った。けれど、笑いながら涙がとまらなくなったという。その虫たちの声もいつの間にか聞こえなくなって冬が来た。深山の父は、この村から都会の病院に移ることなく、母と深山の父が暮らす名義のアパートで、深山の父と、虹子さんと親父と母での四人暮らしをしたらしい。深山の父は、最後まで、痛み止めの点滴と末期の症状と闘いながら、春まで生きた。 

いつも虹子さんは、点滴がご飯になるまでは、虹子さんが毎日ご飯を作り、介助をし、ずっと話をしていたと言う。未来の話を。来るはずのない未来を。一瞬でも長く此処にいてくれるように。

『今年の夏は何をする?』

 と毎日、手を握り聞いていたと言う。父の最期の日もいつも通りに聞いた。

「風を……浴びながら、君を見つめて、ちゃんと気持ち………を」

 虹子さんは朦朧と霧が立ちこめるような意識の中を彷徨う、深山の父の痩せ細った手を握り懸命に問いかけた。

「ちゃんと、何なの? 気持ちを伝えて、祥一さん! お願い! 祥一さん!」

「ずっと、君が、好きだったよ………もう、君も高校を卒業したから、言ってもいいよね。………君が好きだよ。愛しているよ」

「ずっと祥一さんだけだから。あなただけでいい。祥一さんしかいらないよ」

 虹子さんがそう言うと、

「君は生きて。たくさん恋して、ひとを愛して」

 俺の母親の願いで、深山の父を看取ったのは虹子さんだった。母が無理を言って深山の父を都会の病院に移すことに反対したのは、虹子さんと深山の父を少しでも一緒にいさせてあげたかったからだと思った。そして、深山の父もそれを望んだのだろうとも思った。

 虹子さんは深山の父の死後、空っぽになってしまい母が力を尽くしたと言う。出産した後、赤ん坊の俺に引き合わせた時、深山の父を失っても泣かなかった虹子さんは、咽び泣いたという。俺に、何を見たんだろう。それは解らない。それから虹子さんが立ち直るまで、かなりかかったらしい。
 
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