金色の回向〖完結〗

華周夏

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金色の回向〖第29話〗

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「あのころ妊娠してた私は、どうしても堕ろしたくなかった。仮の親でも正式に婚約してくれて、生まれた赤ちゃんを認知すると言ってくれた深山先生が恩人だった。その中で私は一計をめぐらせたの」

 虹子さんは大きくため息をついた。

「私はそんなことは知らずにいたから、深山先生と理恵が婚約してから理恵を避けていたのよ。全くの誤解だったけれどね。私が深山先生のことを好きなことを知っているのに、深山先生と抱きあったと思ってた。深山先生には、私が先生を好きなことを知っておいて、その私の親友に手を出して何食わぬ顔で何がカルメ焼よ! 私には手も握らない、深い口づけもしない。それで仲良く二人でアルコールランプ見詰めながらカルメ焼。馬鹿みたい! って、そう思って惨めで悔しくて悲しくて、さっきの言葉を言ってしまったの」

 深山の父は虹子さんを見つめてただ一言『中野、さん………』と名前を呼んだ。釈明も、言い訳も、何もしなかった。こぼさないように涙を貯めて睨み付ける虹子さんを見詰めて。そして、その時虹子さんは、本当に一人の『大人』を傷つけたと思った、と言っていた。

「その瞬間その日、静かだった生物準備室に、最初に、光みたいに飛び込んでくる蝉の声を聞いたの。どんどん色んな蝉が鳴き始める。色合いが違うように、蝉の声もかなり種類によって違う。重なり合って、混ざり合って。私は先生の一番になりたかった、とか、親友に嫉妬してみっともない情けない、とか、労ってあげなきゃならない立場だったのに、話しかけようとする理恵を無視し続けてきた、何の為の友達だったんだろうって。あのとき希望をくれた子に、私は何をしているんだろう。折り重なるように鳴き始めた蝉の声に、私自身が重なった。そう思えて自分が情けなくて涙が溢れてきたわ。深山先生を呼んで、両手を伸ばして、しがみつくように抱きついたの。先生の白衣は消毒液の匂いとお陽さまの匂いがした」

 そう虹子さんは寂しそうに懐かしむ。そんな時、虹子さんが語る深山の父の言葉に俺は耳を疑った。

「深山先生は、私の髪を撫でながら、言ったの『君だけに言う。信じてもらえるか解らない。中野さん、横川さんのお腹の子は僕じゃない。横川さんにも口止めされてる。ただ、僕は多分………近いうちに居なくなるから、だから横川さんの荷物を引き受けた。君の親友だから、引き受けたんだ。僕が言い出した。彼女は、横川さんは、この村に避暑に来た、弁護士のタマゴと恋をした。君も僕の話に騙されてくれないか?』って先生は言ったの」

 真剣なその声に虹子さんは頷くしかなかったという。

「そこで、どうして理恵は私に言わなかったんだろうかっていうのがどうしても気になって聞いたの………そう、呟くと先生は『産まれるのが、僕の血を引いた子だと思って欲しかったんだと思う。彼女のお腹にいるのはどうやら男の子みたいだ。いつかその子を憎むか、愛するかは君次第だと横川さんは言っていた。君が卒業したら一緒にこの村を少し離れたい。そうだな、旅行がしたいな。どうかな? 広い世界は心も広くするよ。その頃には横川さんの子供も産まれる。僕と彼女も別れる。赤ちゃんは書類では僕の子供だけれど。でも、赤ちゃんの父親は──彼女が恋におちたひとは、僕の弟だよ。修一っていう。生まれるのは食いしん坊な甘党の男の子だ。きっとね。人の痛みが解る子に育って欲しい。優しい君の隣に似合う』」

 目を細めて、深山の父は、幸せな夢を見るような顔をしたと虹子さんは言った。

「私は、いらない。隣にそんなひと。親子くらい年が離れた子なんて、いらない!」

 虹子さんは、駄々をこねて深山の父の背にぎゅっと腕を絡ませたという。嫌だ、嫌だと子供のように。俺は話を聞いていて正直つらい。今も『いらない』のだろうか。『親子ほど年が離れた子』は『俺』は『いらない』のだろうか?深山の父は言った。

「僕の弟と理恵さんの子だ。一卵性の双子の弟だからね。その子は僕に、きっと似ているよ」

    そう言って深山の父は哀しく笑い、虹子さんは『でも、深山先生じゃない』と言い、しがみついてもう来年にはここにいないだろう口振りの深山の父を思って、唯々泣き続けたと言った。

 
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