金色の回向〖完結〗

華周夏

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金色の回向〖第20話〗

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 俺は意気地がないから、初めて好きになった人を簡単に手放せない。虹子さんが深山の父に焦がれたように、俺は虹子さんを想っている。虹子さんが俺に向ける感情は、全てとは言わないが、深山の父と重ね合わせた虚構のようなものだったと思えた。それでも愛されていると感じさせてくれた。満たされた。深山の父の影でもいい。それでも、心の中で深山の父に文句は言う。

 応えてやれないなら、中途半端な気持ちで、本気の恋愛に関わるな。意図せず関わってしまったなら、嘘でも愛されていたと感じさせてやれよ。きちんと終わらせてやれよ。あのひと──虹子さん、ずっと足踏みだ。まだ、あんたが恋しくて苦しくて、泣いてるよ。決して捕まえられない美しい蝶を追いかけて、彼女は森を彷徨い続ける。ずっとあんたを追いかけ続けて、あの夏から抜け出せずにいる。一緒に過ごした日々を卒業出来ない。深山の父は、蝶は、もうここにはいないのに。

虹子さんは、静かに言った。からっぽで泣いているみたいだと思った。

「誤解しないで。あのひとはもう、過去の人だと解ってるよ。ただ、お別れするまでに思い出をあまり作れなかったから実感がないの。あまりにも楽しく過ごした夏から、先生が体調を崩し始めた秋が早くて。冬は毎日怖くて、瘦せたあの人がつらくて、初めて言葉をもらったのは春の最期の時。願いが叶うなら一緒に逝きたかった。一緒に連れてって欲しかった」

何故か虹子さんは笑う。

「あの夏が鮮やかすぎるの。蝉時雨も、カルメ焼きも、あのひとの白衣の匂いも、全部。街で、似た人や同じ服を着た人を見ると振り返ってしまう。それに、こんなに鮮やかな蝉時雨の中にいると、深山先生が死んだなんて、みんなが悪い嘘をついていて、先生は夕立みたいな蝉の声を浴びて、笑いながらビーカーで麦茶を飲んでいるんじゃないかって思ってしまう。領ちゃんのこと、私好きよ。一緒にいると癒される。あなたは本当にやさしいね」 

    まるで、深山の父を責めるなと言われているみたいだった。俺は話をはぐらかした。

「虹子さんは、何の仕事してるの? 東京にある図書館の司書って噂だけど」

「噂ってすごいわね。今はね、仕事先の図書館が老朽化の工事で、かなり酷い状態だから、簡単に言えば長い夏休みに出されたの。暫く働き詰めだったからちょうど良かった。お給料は出てるから無職じゃないわよ」

    そう虹子さんは苦笑した。そして、だから貸し物件で、この家を借りれて本当に良かったと言っていた。そう言えば前に、『不動産から賃貸で借りてるのよ』と言っていた。実家に住めるなんてね、言っていた。あの頃と変わらないわね、とも。 

図書館なんて永遠に直ならなければいい。いきなり提示された『賞味期限』を平然と虹子さんは言ったけど、あなたはそれで平気なの? 俺は? 要らないの? やっぱり大人のただの遊びなの? そう思いながら、感情を顔に出さないようにする。


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