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〖第60話〗朱鷺side①
しおりを挟む僕は、瞳に涙を滲ませる先輩を見つめる。
「返します。ハンカチ。僕には似合わない」
ポケットから、濃い青のあのハンカチを先輩に渡す。最後のプレゼント。
忘れて欲しい、そう願ったはずだった。けれどこのハンカチ。
僕の二回もこの人への想いを失った時に居合わせたハンカチは、自分で使うにはあまりにも切ない。
「……あの日、夜に先輩と鷹さんを家に呼ぶつもりでした。
朝からおでん……作って…『うどん巾着』もちゃんと、つくって。バカみたいに浮かれてた……。
僕は………信じて欲しかった。僕は……あなたが好きでした。本当に、好きだったんですよ。
さよなら、先輩。もう、会うのは最後ですね。あなたも僕に会うのは気まずいでしょうし……
たくさん、失礼なことを言ってすみませんでした。
失礼します。もう、ここには来ませんから。元気で。
僕のことは、忘れて下さい。この三ヶ月お世話になりました。さよなら、瀬川先輩」
背を向ける。いとしい記憶に、時間に、あの人に。
ソファから立ち上がった瞬間にぐらりと目が回った。
「朱鷺くん─────!」
遠くで先輩の声が聞こえた。音の中で一番耳に優しい水のような声。そして身体を支える為にまわされた背中に添えられた水のような手の温度が心地よかった。
──────────
「大丈夫?深谷くん、あ、芦崎くん……。はい、冷たい緑茶。お酒、だめなんだね。ごめん。貧血もあるのかな?大丈夫?」
手渡しで、渡されたのは白い、いつも僕が使っていたマグカップ。『捨てられなかった』と言い、先輩は苦笑した。
「僕のことは忘れて欲しいと言いましたよね。僕が帰ったら、カップは捨てて下さい。僕なんか忘れて下さい。あなたの横には綺麗な人が似合います」
本当は忘れられたくない。
忘れたくない。
もう、どこかで許している自分がいる。
「隣は空席で良いよ。君以上はないから。それに、忘れて欲しいと君は言ったけど、俺は君を忘れたくない。芦崎くんとの三ヶ月は幸せだったよ」
あまりにも先輩は柔らかく笑う。昔みたいに。困ったように眉を下げて。
戻れたらいいのに。不可能だとは解っている。ただ、あの柔らかな表情で『君が好きだよ』と言って抱きとめてくれたあの頃に。
「…………『朱鷺くん』って呼んでくれませんか」
「出来ない」
先輩はそう言いきった。僕は思わず先輩を見る。
「どう、して………ですか?」
先輩は目を伏せる
「俺にはもう、その資格はない」
「僕が先輩を傷つけたから?怒ってるんですか?」
「そうじゃない。ただ、だめだ。あの日、俺は君をこれ以上もなく傷つけた。きっと思い出すよ」
そう言い、先輩は『少しごめん』と空気清浄機のスイッチを押し、煙草に火をつけた。
僕は下を向く。そんな僕を見てか先輩はいつものように穏やかに話しかけた。
「君が罪悪感を感じる必要はないよ。悪いのは俺なんだから。
君に対して、俺は覚悟もあるし、義務もある。それだけのことを俺はした。
俺は、今、君がこの部屋に居るだけで、十分なんだよ。
そう、先輩は悲しそうに笑った。
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