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〖第36話〗朱鷺side⑥
しおりを挟む「てめえ、全部知っててか?………朱鷺が少しでも変わりたいって、顔を上げて歩きたいって思ってたの知ってて言ってんのかよ!」
「悪いか」
そう言って口の端を少し持ち上げる先輩に、鷹さんが思いっきり平手を打った。
急なことで止められなかった。
僕は立ち尽くしていた。
頭にあったのは、先輩が知っていたということ。
変わりたいと、周りの視線を気にしながら苦しんできたことを、先輩は僕の気持ちを知りながら無視してた。涙は出なかった。
『モジャモジャ頭、可愛いよ。俺、好きだけどな』
いつかの言葉。でも先輩は僕の容姿が『みっともない』って解っていた。
この容姿は全部先輩のためのもの。
逃げられないようにするためのもの。
鷹さんは、息をはいて言った。
「独占欲と嫉妬は見苦しいな。朱鷺をつなぎ止めておく自信がねぇからってこいつの劣等感まで利用すんなよ」
朱鷺ごめん。席外してくれるか。鷹さんはそう言った。僕は寝室へ行く。
綺麗にベッドメイクが施されてほんのり煙草の香りがする。
三ヶ月間、夜ずっとここで眠った。
眼鏡を外した先輩を眺め、起こさないように気を付けながら頬に触れたこともあった。
いつも冷たかった先輩の頬。でも、僕を呼ぶ声は、
『朱鷺くん』
と呼ぶ声の温度は、いつも暖かかった。でも、今日は名前さえ呼ばれてない。
ダイニングの方角からもれ聴こえる先輩の無機質な声。鷹さんの怒っている声。
「あのさ、お前さ、全然朱鷺のこと信用してねえのな。浮気できる子だと思うわけ?今日もたくさん嬉しそうに話してくれたよ。お前の話をな。タクシーの中でも、ずっと」
「へぇ……じゃあ何でお前と会うの?」
「──あのさ、俺に『先輩が僕の初恋なんです』って顔を真っ赤にして言ってくれる奴を何で信用できねぇの?」
ベッドサイドの小さなテーブルに買ったプレゼントを置く。
『クリスマスプレゼントです。気に入らなかったら捨てて下さい』
手帳を破き、書いた。
惨めだなと思った。
忘れられたらいいのに。全部。朝起きたら自分の家で、桜の葉が緑で、光が眩しかったあの頃に。
そう思うと笑おうとするのに泣けてきて、僕は声を殺して泣いた。
いくら泣いても涙が止まらなくて、泣き切るのに時間がかかった。泣き顔見せたくなくてを軽く俯き寝室を出た。言い争う二人の声に呼び掛ける。
「あの、帰ります」
二人の争う声が止まる。
「もう………もうここには……来ません。先輩、合鍵、返しますね。最後くらい笑って握手したかったけど、出来ません。ごめんなさい。先輩、さよなら。三ヶ月、色々あったけど楽しかったですよ。元気で」
努めて笑顔を作る。
顔を上げて先輩と視線を合わせる勇気はなかった。背を向けた瞬間涙が出そうになった。せめて、ドアを閉めるまで、この部屋を出るまで。そう思いながら僕は涙をこらえようと思った。
「お邪魔しました」
パタン、とドアを閉める。ドアノブから手を離した瞬間、涙が溢れた。
これで良かったんだ。良かったんだ。あの人の『真実』は、僕にとってはあまりにもやりきれなものだった。
隣で苦しい思いをしてきた過去の自分があまりにも惨めすぎる。
「さよならです。先輩。瀬川、先輩」
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