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〖第24話〗朱鷺side③
しおりを挟む僕は号泣していた。
先輩は両腕で包むように抱きしめた。僕が触れるのを嫌がるから、出来るだけ、僕には触れないやり方で。先輩はこんな時にも僕を気遣う。
僕は先輩の胸に顔を埋めて、子供のように泣いた。こんな風に先輩の胸で泣いたのは初めてだった。
何回も先輩の胸を叩いた。
『先輩の馬鹿』
とか
『あなたなんか大嫌いだ』
とか言いながら、
最後には先輩の首に手を回し、縋るように泣いた。
「もう、こんなことしないで。お願いだから。お願いだからやめて。
もし、またこんなことしたら僕はもう、あなたのところには戻らない。実家のお店をついで音楽もやめます!」
「戻ってきて──くれるの?」
「だって、あなたを独りにしておけないじゃないですか。血が出てます。て、手当てしないと。独りにしたら、先輩はまた、手を捨てる!」
先輩のひやりとした胸。ぎゅっと届かない背に手を回す。
先輩は小さく「朱鷺くん…」と僕の名前を呼び、いつものように髪を撫でる。先輩の手の冷たさ、いつもの規則的なリズム。
「解ったよ。もうこんなことしないから、だから泣き止んで。お願いだ、もう泣かないで。ハンカチ──鷹、さっき貸したハンカチ返してくれるか」
「はいはい」
黒の綺麗なハンカチ。先輩の物だった。香りで解る自分が少し、気恥ずかしくて嫌だった。
「帰ろうか。──鷹。ごめんな」
鷹さんは、僕を手招きする。小走りして駆け寄る僕に耳打ちした。
「あのハンカチ、瀬川が
『朱鷺が泣いてる。きっと泣いてる』って言って、
『鷹、俺は朱鷺と別れたくない。あの子が必要なんだ。好きなんだ』
ってまぁ、取り乱して俺に渡したんだ。
あとな、あいつの手は多分大丈夫。
一番の薬はお前だな。あいつ不器用だし、素直じゃないけどお前のこと大事に思ってるから。
何かあったらいつでも電話しろ。いつでも、駆けつけるよ。俺はどんなことがあっても、朱鷺、お前の味方だからな」
「鷹さん、いつもごめんなさい。ありがとうございました」
鼻を啜りながら言う僕に
『気をつけて帰れよ』そう言い、いつまでも手を振ってくれた。
─────────────
家に帰った途端、僕は惨状を目にする。
握力で砕かれたガラスのコップ、
フローリングに散った赤。二時間もののサスペンスだ。
「ああ、すぐ片付けるからソファで休んで珈琲でも飲んでて」
呑気な口調で先輩は言う。
ああ──この人の生きること、死ぬこと。
人を好きになること、憎むこと。
そして人を愛すること、忘れられること。自分を傷つけること、傷つけられること。
全てのモラルが崩れかけ、絡み合い、ほどけない糸のように複雑にがんじがらめになってしまっている。
この人の傷は深い。
あまりにも悲しくて、怖かった。
「手は?見せてください」
「嫌だよ」
「どうして」
「君が悲しい顔をするから。
君が戻らないという前提でグラスを割った。もうピアノを弾く意味もないと思ってね。左手はそう。
右手は本当にオープナーがなくて本当にハサミで切った。だから君が責任を感じる必要はないよ。
たまたま鷹が様子を見に来た時で、手当てしてくれた。
で、教会に行ったら君に会えると思う、と言われて行ったんだ。
どうしても君の姿が見たくて。というわけ」
先輩は穏やか、と言うより乾いた口調でそう言った。
僕はため息をついて言う。
「『というわけ』、ですまされる問題ですか。手当てをさせて下さい。化膿したらどうするんですか。ピアノを弾けなくなります」
「化膿か。それは困るね。痛いのは好きじゃないな」
まるで他人事のように先輩は言った。手を開いてくれない。僕は二度目のため息をつく。
「交換条件でいきましょう。僕はあなたの傷の手当てがしたい。先輩は?」
「君に抱きしめられて眠りにつきたい」
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