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〖第18話〗瀬川side①
しおりを挟む久しぶりの外出だった。朱鷺 との買い物は夕方か夜だ。陽射しをじかに浴び眩暈がした。左を歩く朱鷺が嬉しそうにして、自然と俺の顔も綻ぶ。
いつの間にか季節は過ぎ、秋が終わりに近づこうとしているようだった。
天気は良く、雲も高く、空気も澄んでいる。
『わざわざ用意しなくてもいいよ』
と言ったのに、朱鷺は軽食を用意してくれた。小さなカゴバスケットが可愛らしかった。最近、アルコールばかりでろくに食事をとってなかったから、その事も考えての、いたって軽いものを。
食べやすい十枚切りの耳を切ったパンで作ったサンドイッチ。
ホットの紅茶。それとイチゴ。
少しだけいつもより風が暖かいと朱鷺が言う。午前中の太陽の下に出るのは久しぶりだった。何もかも眩しかった。
歩いて公園に向かう。最初、朱鷺は
「バスにしませんか?」
と言ったけれど、久しぶりに頭も冴えていて、ゆっくり朱鷺と話したかった。朱鷺を見つめていたかった。
他愛のない話を繋いで、いつの間にかS公園に着いた。
朱鷺のこんなに楽しそうな顔をして俺を見て笑うのは、もう滅多にない。
朱鷺はもうずっと、優しいけれど何処か諦めたような瞳で俺を見つめるだけだった。
俺はこの子の昔よく見せていた、はにかんだ笑いや、年相応の笑顔すらも奪っている。その事実が、痛い。
他の木々は葉を散らしつつあるのに、あの銀杏いちょうは散らずに残っていて、丁度見頃だった。
「手、繋ぎます?並木道だったら手を繋がなきゃ」
朱鷺は笑う。
「──じゃあ」
いつも温かい朱鷺の手が俺の手より冷たくて、一瞬だけ、見せないように目を伏せる朱鷺が切なかった。
「ごめんね──嫌なんだね」
「大丈夫です。受け入れるって決めましたから。まあ、少しずつですけど」
困ったように笑う朱鷺の手を繋いでゆっくりと黄色の落ち葉を踏みしめて歩く。
乾ききってない、少ししっとりとした落ち葉の音。
ひらひらと一枚、落ちた銀杏の葉が朱鷺の髪に引っかかる。
「髪に、銀杏の葉が──」
「え、どこですか?」
「じっとして。取ってあげるから」
つぐまないように、朱鷺の癖のある髪から丁寧に取る。
立ち止まり、朱鷺がじっと俺を見つめた。
大きくて、優しい茶色い瞳。
綺麗な瞳。
悲しい瞳。
ふと、昔、母から教わった歌が口からでた。
『金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の丘に』
朱鷺が顔を上げる。
「短歌、ですか?」
「ああ。与謝野晶子。昔、教わった。君は、まさに『金色のちひさき鳥』だね。髪の毛もお日様を反射して金色だし、まぁ小さいし、歌声もとても綺麗だ」
朱鷺は笑って、首を振る。
「褒めすぎですよ。小さい以外は。これでも身長一六〇まで伸びたんですよ。でも、綺麗な歌ですね。僕も覚えておきます」
と言い、朱鷺はじっと空に近いところを見上げた。
俺は朱鷺が見上げる背の高い銀杏より、パラパラと零れる銀杏の落ち葉と戯れる朱鷺を見ていた。
彼の髪が金色に変わるのは西日に限ったことではないらしい。
午前の光も彼の髪には優しい。
「綺麗ですね。来て良かった。先輩、綺麗ですね」
「うん、綺麗だね」
銀杏を見る。母との思い出が、砂絵のように朱鷺との今に入れ替わっていく。けれど、あの横顔が──消えない。
風が、吹いた。落ち葉が巻きあげられて朱鷺は子供のように笑う。
俺は急に不安になって朱鷺に駆け寄り彼の手をひき強引にきつく抱き締めた。
胸元に朱鷺は丁度あつらえたように収まる。
「どうしたんですか?苦しいです」
小さく、ほんの微かな声で、『こわい…』と言った朱鷺の言葉を俺は無視した。
朱鷺のカーキ色の少し大きな上着からそっと小さな指が延びる。俺の背中を撫でる感触が伝わる。どれくらいそうしていただろう。
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