Wild Frontier

beck

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第一章

魔法と魔物

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 一行は走りながら状況の確認をした。

「まず東からの来襲についてなんだが、これはほぼ鎮圧した。念のため今もボルタと数人が警戒に当たっているが、もうこれ以上新手あらては現れないだろう」
「それはやはり魔物本体は西側を襲った、という事ですか?」
「そう。これについては俺の判断ミスだ。申し訳ない。何らかの理由で魔物の本体が二手に分かれてしまい、結果的にその大部分が西側に回ってしまったのだろう」

 村周辺の地形などについて、巡回をしながら丹念に調査していた。
 そうであったとしても魔物の数まで予測する事は出来なかった。

「しかしその事実をイアンが可能な限り早く、正確に知らせてくれたおかげで迅速じんそくに次の手を打つことが出来たんだ。本当に感謝する」
「第一狙撃地点で既に異常な数の魔物が殺到していました。本来ならばその時点で報告するべきでした」
「もし今回よりも速い時点で報告があったとしても……東側の戦況が落ち着くまではどうにも動きが取れなかった。厳しい状況の中よく持ちこたえてくれた」


 村の入り口はもうすぐ先だ。


「おかげで十分な迎撃体制を取る事が出来た」


 村が見えて来た。
 本来ならば西の入り口付近には開けた場所があるのだが……



 そこには二十台程のバリスタが弧を描くように並べられていた。



「……ヒースさん、いつの間に……」
「実は本来、こういう形で運用しようと思っていたんだ。数を置けばそれだけ殲滅せんめつ力が上がるからね」

 俺達は並んだ武器の後方に回った。

「今回作成したバリスタには時間が無くて車輪を付けられなかったけど、荷車で移動する事は出来る。それで片側での戦闘が終息に向かってきた時点で、大半のバリスタを反対側に集めたってだけさ。ボルタと数名は東側でまだ警戒中だけど」

 魔物との戦闘は既に開始から一時間以上経過している。

 山道での戦いは道が狭い分、敵を安全に各個撃破する事が出来るが、その分時間がかかってしまう。
 魔物の数がイアンの報告通りだった場合、当初の作戦で撃破しようとすると日没までに戦闘が終了しない可能性が高い。
 暗闇の中で戦うとなると、圧倒的に不利に陥ってしまう。

 そこで狭い山道での迎撃をめ、むしろ村の中に引き入れて迎え撃ってしまおう、という作戦に変更したのだ。

 村の入り口付近は開けた土地で、武器や戦闘員を配置するのは都合が良い。
 しかもそこに続く山道自体は狭く、さばき切れない程の魔物が殺到する事も無い。

「早い時点で緊急事態の知らせが届いたので、準備もとどこおりなく進んだ。本当に感謝する」
「いえ。第一地点で落石トラップに不具合が……そういえばうちの親父は戻ってませんか?」
「いや俺は見ていないな……村長の所に報告は入ってますか?」
「わしも聞いとらんのぅ」

 イアンは、彼にしては珍しく少し動揺していた。

「その緊急事態というのは、実は落石トラップが作動しなかった為に出したものです。あまりに敵が多かったため、なんとか罠を作動させようと親父が現場に向かいました。戦線が後退していくので、念のため村に帰還してくれと伝えたのですが」

 イアンはそのまま続けた。

「いくらなんでも戻るのが遅過ぎると思うのです。親父に現場の指揮を任されましたし職務を全うしなければならないのは分かっています……お願いです、親父を探しに行かせてくれませんか!?」
「まずここは軍隊じゃないので許可を求める必要は無い……この場は俺が指揮を執れば良いだけだ。ただ……」
「ただ?」
「その事情だと多分ジェイコブさんは何らかのトラブルに遭っていると思うんだ。一人だと危険なので、出来ればもう一人随行して欲しい」
「俺が行きます。多分ここはバリスタ部隊だけで十分そうだし」

 申し出たのはショーンだった。

「うん……そうだね。頼まれてくれるか?」

 彼は小さくうなずいた。

「ヒースさん、恩に着ます」
「二人とも無茶だけはしないでな!」

 イアンは小さく会釈すると、ショーンと共に本陣を発った。



 しばらくすると本陣には第三地点を越えた魔物がやってきた。
 ホブゴブリンが何体か混ざっている。
 柵は完全に破壊されたようだ。


「村のみんな!! 先程伝えた方法で攻撃すれば何も問題無い! 焦らず確実に狙ってくれ!」


 村の存亡がかかった、本当の最後の戦いが始まろうとしていた。


 俺はありったけの声で指示を放つ。



「攻撃開始!」





    ◆  ◇  ◇





 一方的な戦いだった。

 東側には数台のバリスタだけ残し、残りは全てこちらに運んでいる。
 更に西側の第三地点にあったものとボルタの工房に置いてあった予備をかき集め、総勢二十一台のバリスタが並んでいた。

 バリスタからやじりを放つには敵に狙いをしっかり定めたとすると、一発に付きおよそ約十~十五秒の時間がかかる。発射間隔をどんなに遅く見積もったとしても、一分で八十発以上のやじりを発射する事が出来る計算だ。

 そしていくらホブゴブリンでもヘッドショットを食らえば即死であるし、大体四~五発も食らえばその場に崩れ落ちる。
 つまり最低でも一分間に八体程度のホブゴブリンを倒せる程の火力があるのだ。

 多数を占めるゴブリンも女性と子供達が中心のクロスボウ隊で十分撃退出来ている。長期間の訓練が要らないため、より多くの戦闘員を確保出来たのだった。

 それだけでも十分な戦力だったが、更には氷の攻撃魔法を使うブリジットさんも合流していた。
 敵がまとまって押し寄せて来た時などに念のため攻撃してもらうのだが、ゴブリン数十体が一度に倒れる程のすさまじい威力だ。
 戦力に換算すれば一個中隊以上の攻撃力を持っているという事になる。
 軍に所属していたというのもうなずける話だ。

 この調子ならじきに戦闘は終結するだろう。



    ◇  ◆  ◇



 俺は戦いの様子に目を向けながらも、全く別の事実について考察していた。


 魔物が命尽きた後、遺体の大部分が消滅していく事実。


 以前村長に確認した所、いわゆる『魔物』と呼ばれる生物だけがそのような形で消えてしまうという事であった。

 現代日本で生まれ育った俺からすると、全く現実的でない挙動。
 しかし漫画やゲームのような非現実的なものとは言い切れない部分もあった。

 例えば分解しづらい組織……骨や歯、毛については、そのまま残されている。
 そしてそれ以外の体組織の消え方についても一瞬にして消えるわけでは無く、超高速でしぼみ、そして消えていくように見えた。
 最も近い表現としては、遺体が朽ちていく様子を動画に撮り、それを高速再生したような感じだ。

 しかし腐敗臭などはしないため、菌や細菌が恐ろしい速度で分解しているわけではないだろう。
 もしそんな菌や細菌がこの世界に存在していたならば、あらゆる生物は即座に分解されてこの世から消えてしまう。

 ただ菌や細菌というのは、元の世界でも有機物を無機物に変換する役割をになう、いわゆる分解者であった。
 もしそれと同じ事が菌や細菌以外の何かによって行われていたならば……


 この世界はあらゆる点で元の世界に酷似こくじしている。
 しかし今わかっているだけでも二点、元の世界に存在しない未知のものがあった。


 魔法と魔物。
 二つの『魔』。


 この二つだけが明らかに異質なのだ。
 しかし異質ではあるが、どこか論理的な何かを感じてもいた。

  
 俺はこの時、今後について何も決めていなかった。
 しかしこの時自覚した、異質で未知な存在……



 それらへの興味が、俺の今後の行動を決めていく要因になるのだった。





    ◇  ◇  ◆





<細菌・微生物>
 人類は古代より発酵食品やアルコールの醸造じょうぞうなどを通し、知らずのうちに微生物を扱って来たが、その存在を実際に確認出来たのは17世紀後半になってからである。
 顕微鏡は16世紀オランダの眼鏡屋、サハリアス・ヤンセンが初めて作ったとされているが、実際に活用されたのはガリレオ・ガリレイを始めとした学者達が研究の一環として昆虫などの観察を行うようになってからだった。
 そして1665年、ロバート・フックが出版した「顕微鏡図譜Micrographia」という書籍に、コルクを観察して発見した世界初の細胞cell(実際は細胞壁)のスケッチが掲載された。これは生物学の歴史上重要な発見であり、教科書などにも掲載されている。
 時を同じくして、同じオランダで織物商を営んでいたアントニ・ファン・レーウェンフックは、生地の品質を判定するために高性能な顕微鏡を自作していた。
 彼は仕事以外でも身近なものを観察をしており、その最初の観察結果(蜂の口器と針、シラミ、菌類)はオランダの医師であるライネル・デ・グラーフによって1673年にロンドン王立学会に紹介された。これ以降、レーウェンフックは継続的に王立学会に報告を行う事になるが、1676年には水中に生息する単細胞の原生生物を報告している。微生物の存在自体はレンズによる観察などでこの時点よりも100年以上前から知られていたが、観察による詳しい報告を上げたのは彼が最初である。
 その当時、単細胞生物の存在は知られておらず、王立学会では論争や疑念が持ち上がった。しかしこの研究結果を再現し、その疑念を晴らしたのが当時王立学会の事務局長だったロバート・フックである。
 彼はレーウェンフックの業績を高く評価し、オランダ語で書かれた観察記録をラテン語に訳し出版した(当時の論文はラテン語で書かれていたが、レーウェンフックは商人であるためラテン語を書けなかった)。
 そして1680年にはレーウェンフックを王立学会の会員として招いている。
 彼の作った顕微鏡の最大倍率は266倍とも500倍とも言われている。生涯で250台以上制作したとの事だが、そのうち9台は現在も博物館に保管されている。
 レーウェンフックの功績は大きく、世界で初めて各動物の精子を観察、卵子の中に入る事で受精が起こる事や、それまで自然発生するとされていた小さな生物達も、大きな生物と同様に卵を産み孵化ふかする事などを発見している。
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