このアマはプリーステス

川口大介

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第三章 魔術師も、覚悟を決めて、戦う。

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「え」
「ほら、油断せず構えろ。向こうもそろそろ話を終えるぞ」
 言われてジュンは、シャンジルとジェスビィの方を見た。ジュンとエイユンが話している間、あちらも話していたようだ。
 といっても既に【従属】させられているので、ジェスビィはシャンジルの命令には逆らえない。元々、伝説にある古代の戦いの時、そうなっても不利益が無いとジェスビィ自身が判断したからこそ、【従属】をしたはずだ。
 なのに何やら、ジェスビィには渋っている様子が見える。シャンジルとて、契約書の内容から逸脱する命令はできない。つまりジェスビィが全く望まないような命令はできないはずだ。すなわち、二人の利害は一致しているはずなのに……?
 何か攻略の糸口でも掴めないか、とジュンは祈る気持ちで二人の会話に耳を傾けた。
「どういうことだ? 【従属】状態のお前ならば、負けるはずがないだろう」
「いや。あの尼僧と魔術師は、並々ならぬ使い手。いかに私とて、そう簡単に片付けられるかどうか。場合によっては、隙を突かれて貴様だけ殺されるかもしれん」
 ジェスビィから淡々と告げられたシャンジルは、唾の飛沫を浴びせんばかりに怒鳴った。
「ふざけるな! 私が殺されて、私に【従属】しているお前が生き残るだと? そんなことは絶対に許さんぞ!」
「一つだけ、確実にあの者たちを葬れる手がある。だが、少々危険を伴うのだ」
「いいからやれ、それを! 手段を選ぶな、選ぶことは許さん! いいか、何が何でも私が殺されることを阻み、そして奴らを殺せ! これが私の命令だ!」 
「了解した。従おう」
 と言ってジェスビィは、シャンジルの肩に手を置いた。そして爪を立て、指を肉に埋めると、一気に胸、腹へと斜めに引き下ろす。
 シャンジルの左肩から右脇腹にかけて、五本の赤い線が引かれた。一泊置いて、爆発するように血が吹き出したが、その時にはシャンジルはジェスビィに殴り倒され、地に転がっていた。その為、ジェスビィにはシャンジルの血は全くかからずに済んだ。
 ジェスビィに殴り倒されたシャンジルの頬には、まるで松明のように炎が灯っている。その炎は、ジェスビィが視線を送ると飛び上がって膨らみ、まるで小さなドームのようになって血まみれのシャンジルを覆った。
 炎の幕の向こうに、苦しみ悶えて転がっているのであろうシャンジルの影が、うっすらと見える。呻き声も聞こえてくる。とはいえその声はもはや人の言葉ではなく、血の泡を吐きながらだからであろう、ゴボゴボという音にしかなっていない。 
「この炎は、強固な結界となっている。少なくとも、今のアルヴェダーユの法術で破れるものではない。つまり、あの者たちが貴様に手出しをすることは不可能だ。私が付けた傷も、すぐに死ぬものではない。戦いが終わったら、死なない程度に治療してやる」
 ジェスビィは、シャンジルには見えていないが、残忍な笑顔を浮かべて言った。
「お望み通り、貴様が殺されることは阻んだぞ。手段を選ばずにな」
「……ぎ、ガ、……ご、ゲ……ガぼッ……」
 炎のドームの中から、瀕死のシャンジルの声が微かに聞こえる。
 相変わらず人間の言葉とはなっていないそれに、ジェスビィは耳を傾けもしない。だから質問に答えるのではなく、独り言のように言った。
「貴様に逆らう地上人を殺す、という契約に沿った命令には、私は逆らえないだろう? だからヘタなことを言われぬよう、口を封じさせてもらった。命令内容に関わらず、貴様を傷つけてはならない、と契約に明記しなかった、先祖の愚かさを恨むのだな。……さて」
 ジェスビィが、改めてジュンたちの方を見た。するとジェスビィ本人が意識せずとも、その身から立ち上る莫大な魔力の流れがジュンたちへと向かう。
「うぐっっ?」 
 ただそれだけで、ジュンもエイユンも、まるでとてつもない重荷を背負わされたような感覚に陥った。しかも本物の荷物と違ってこれは魔力。筋肉のみならずその中、内臓から精神にまで浸透してくる重さなのだ。
 ジュンは自分の魔力を、エイユンは気光を、コントロールして体内から押し返し、どうにか重圧に抗している。だがこれはもう、深い深い海の底で息を止めているに等しい苦しさだ。戦うどころか立っているだけで精一杯、それとていつまで耐えられるかわからない。
 結界の枷を解かれた【従属】状態の古代魔王。その、想像を遥かに上回る強大さに、ジュンは戦慄した。こんなの相手に戦って勝とうだなんて……と、その時。
 ジュンは深海の底から、一気に引き上げられた。息が苦しくない。体も重くない。
 ジェスビィの魔力による重圧が、完全にではないがほぼ、なくなったのだ。
「えっ……?」
 ジュンとエイユンは、自分の体が薄い光の幕に包まれているのに気付いた。そして二人ともすぐに理解する。これは魔力ではない、気光でもない。つまり法力によるものだ。ジェスビィの魔力に対抗できる法力、といえばあれしかない。
 二人が振り向く。そこには、両手を突き出して法力を放っているソウキの姿があった。
「ジュンさん、エイユンさん、大丈夫?」
「あなたたちならば、これでどうにか戦えるはずです」
 ソウキが手を下ろした。ソウキ自身の体も、ジュンやエイユンと同じ光、やや強めのものに包まれている。
「ですが、【従属】状態のジェスビィと、【契約】状態の私との差は予想以上でした。これでは私がここから出てしまうと、ソウキは……」
 みなまで言うなとばかりに、エイユンがジェスビィを睨みつけた。
「ならば貴女は決してそこから出ずに、ソウキを支えていてくれ。私たち二人と、貴女に支えられたソウキ。その三人で、この悪霊を倒す。当初の予定通りだ」
「そうだな。逃げて逃げきれそうな相手じゃないってのも、よくよく解ったし」
 ジュンもエイユンに続き、ジェスビィに対峙して構えた。
 そしてソウキも、体内からアルヴェダーユの援護を受けて向上した身体能力と、気光の強さとを実感しつつ、二人と並んでジェスビィに向かい合う。
 そんな三人に、ジェスビィは不機嫌そうな顔を見せた。
「ふん。揃いも揃って勘違いしているようだな。私はまだ、指の一本も振るっていないのだぞ。貴様らを相手に「戦う」のは、今からだ」
 魔術でもなんでもなく、ジェスビィは純粋に腕力だけを使い、腕をぶんと振った。ただそれだけでジュンたち三人に烈風が襲いかかり、バランスを崩されてしまう。
 だが三人ともすぐに立ち直り、ジェスビィに向かって走った。まずジュンが、両手に魔術の火を宿して叫ぶ。
「今更、お前が何をやったって驚きはしねえよ! こちとら子供の頃から、お前のことは昔話で怖がらせてもらってるんだからな!」
 ジェスビィに向かって、ジュンは火の玉を両手から一つずつ、左右から挟みこむように撃ち放った。ジェスビィがその場で受け止めるなら、僅かではあろうが体勢の崩れができるはずだから、そこに連弾を撃ち込む。動いて回避するならその先を狙って撃つ。
 防御と回避、どちらにも対応できるよう、ジュンは心構えをして次の術の準備に入った。が、ジェスビィはどちらもしなかった。その場を一歩も動かずに、ジュンの放った火の玉を二つとも、左右の手で一つずつ、ぐしゃりと握り潰してしまう。まるで、生卵のように。
「なっ……!」
 今の火の玉は、何かにぶつかれば爆発するはずなのだ。その爆風を浴びても平気、というならいざ知らず、火花も煙も爆音もなくただ潰されてしまった。
 ソウキが気光でやったように、全く異質なものによって打ち消したのとは違う。真正面から同質の力で、ケタ違いの単純な強さで、押し潰したのだ。
 前言をあっさり撤回することになってしまった。驚きのあまり足を止めてしまったジュンに、ジェスビィは全く誇る様子もなく、冷ややかな顔で言う。
「既に、自覚しているはずだがな。人間と古代魔王の差というものを。貴様らがいかに高度な技術を凝らしても、幼児の力では巨大な獣に……いや、城塞に傷などつけられぬ」
「では、これはどうだ!」
 ジュンの後ろに隠れるようにして接近したエイユンが、ジュンの頭上を杖での棒高跳びで越え、そのまま杖は手放して、降下しながらジェスビィに襲い掛かった。
「ソウキ相手には手加減したが、お前には本当の気光、【本気】をぶつけてやる!」
 気光を纏わせた、輝く拳を、エイユンは叩き下ろす。狙いは、ジェスビィの脳天だ。
 ジェスビィは再び、一歩も動かずに軽々と、エイユンの拳を片手で掴んで止めた。
 その時、エイユンの拳とジェスビィの掌との接触面から、数条の煙が立ち上った。激しく焼ける、弾ける音がして、ジェスビィの顔に僅かだが苦痛が浮かぶ。
 エイユンは右拳を掴ませたまま、ジェスビィの目の前に着地し、左拳を突き出した。ジェスビィは今度は受け止めず、エイユンの拳を離して跳び退り、距離を取る。
 まだ煙が立ち上るジェスビィの掌に、軽いものではあるが焦げ目がついていた。それを見て、ジェスビィが舌打ちする。
「気光か。ソウキがアルヴェダーユの後押しを受けて、私を封じていた術だな。人間めは、稀にこういう、分不相応なものを生み出す。実に憎々しい。……とは言っても、」
 特に術を使ったり気合いを入れたりすることもなくごく自然に、そしてみるみる内に、ジェスビィの掌の焦げ目と煙が消えていく。
「封じられていた時ならいざ知らず、今の私にとっては、こんなものは針の一刺しに等しい。少しは痛むが、これを十度二十度と重ねたところで、私を殺すには至らん。絶対にだ!」
 と言いながら片腕を振り回したジェスビィの、巻き起こした暴風に魔術の炎が混じった。
 高圧と高熱を受け、ジュンとエイユンが全身を炎に包まれながら吹き飛ばされる。ジェスビィの頭上で天井にぶつけられ、そのままジェスビイの後方へ飛ばされて岩壁に叩きつけられ、それから唐突に風が消えて、地面に落下した。
 ジュンもエイユンも、アルヴェダーユに強化してもらった魔術と気光で、自分の体を包む炎はすぐに消し止める。が、それでも受けたダメージは小さくない。すぐには立ち上がることができない。悠々と背中を見せているジェスビィを、ただ睨みつけるのが精一杯だ。
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