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第四章 爺が来たりて、事態急変

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 ラカートがサイコロを掲げて命じると、DIE蛇は首をもたげ、口を大きく開けて炎を吐いた。特に力みもなく、本当にただ息を吐くように、炎の滝を斜め上方へ吐き出した。
 だがその軽そうな一撃は、ソモロンの頭上を越えて洞窟、いや、山そのものを易々と貫通してしまった。ソモロンが振り向いて見上げると、洞窟の壁に丸く大きな穴が空いて、青空が見えている。ぽっかりと。綺麗なものだ。
 ドカーンと爆破したのではない。それならもっと、こちら側の壁も崩れているはずだ。が、実際には石一つ落ちていない。
 土砂や岩盤などを、とてつもない力で外へ押し出したか、想像し難いほどの熱で溶かしきって蒸発させたか、その両者の併用か。
 一流の魔術師が長い呪文詠唱をすればどうにかできる、というレベルの破壊を、このDIE蛇は呼吸するようにできてしまえるのである。
「……どうしようもないな」
 ソモロンは自力で戦って勝つことを、すっぱり諦めた。なにしろこいつはまだ、これでもまだ、起動中なのだ。もう少しして全力を出せるようになったら、いったいどれほどの強さを発揮するのか。考えただけで身が竦む。
 そしてこいつもまた、ラカートをどうこうしてもムダなのだ。ソモロンにはあの黒いサイコロの使い方が解らないし、ヘタなことをして暴走でもされたら、事態は更に悪化する。
 だから何としても今ここで、このDIE蛇をどうにかしなくてはならない。が、こんなバケモノをどうにかできるとしたらシルファーマしかいないし、そのシルファーマは……

「はあっ、はあっ、」
 灰色の煙のドームの中で、シルファーマは息を切らしていた。
 魔力と体力を振り絞って、殴って殴って殴りまくっているのだが、アンチ・エルフフィールドは壊れない。そしてそのフィールド自体が与えてくる、異世界人への攻撃も軽くはなく、シルファーマを苦しめ、生命力を削っている。
 とはいえ流石に、フィールドの方も無傷ではないようだ。僅かずつだが、シルファーマが魔力を込めて殴っている辺りに、力の乱れが生じている。
 元々のサイコーロイドは、エルフ星人が造った。それを改造したのはここチキュウ星の、地上人。だからであろう、魔術と精霊術の融合で造られているらしいこのフィールドは、確かに堅固だ。だが、だからといって、全ての魔力も精霊力も打ち消す問答無用な無敵の存在ではない。充分に強い力で延々と攻撃し続ければ、決して壊せないことはない。
 問題はフィールドが壊れるのと、シルファーマが力尽きるのと、どちらが先かだ。シルファーマが魔力体力を使い果たして気絶すれば、このフィールド内にそのまま放っておかれるだけで、いつか死ぬだろう。もちろんシルファーマだけでなく……
「あっ?」
 シルファーマの体を、柔らかな光が包み込んだ。と同時に、シルファーマの全身の疲労が、日光に溶ける雪のように消えていく。
 シルファーマ自身は受けたことがないが、これは僧侶が法力を使って神に通じ、神の力を借りて行使するという、法術か? いや、ここにいるのはミミナだけで、ミミナが使えるのは法術ではなく、俗にいう精霊術のはず。だが精霊との交信は、フィールドに妨害されているはず。
 シルファーマが振り向くと、やはりミミナが術を使っていた。俯いて、両膝と左手を地に着け、右手だけをシルファーマに向けて、そこから光を放ち、シルファーマを回復させている。
「体の神様……私を生かす、血の、肉の、心の神様……」
 その、ミミナから流し込まれている輝きを目視して、シルファーマにもはっきりと判った。ミミナは、自身の体力や精神力を削り取ってシルファーマに与えているのだ。
「! ちょっとミミナ! それ、やめて! そんな体でそんな術を使ったら、」
 シルファーマは、しゃがみ込んでミミナの手を取り、術をやめさせようとした。が、ミミナはやめない。シルファーマに握られたその手から、温かな光を流し続けている。
「……私は、昔、ね……この、耳が……で、ソモロンに……」
「何? あんたが小さい頃、その耳のせいでいじめられて、ソモロンに助けられてたって話なら、ソモロンから聞いてるわよ。そんなのいいから黙って、術をやめて」
「あの頃は……この耳が嫌で……髪を伸ばして広げて、隠そうとしてたの……でも、ソモロンがね……この耳は、いろんな神様の声を聞くために、あるものだって……この耳があるから、いろんな神様とお話しできるんだよって……僕はそう思う、って……」
「それが何なのよっ?」
「ソモロンに、そう言ってもらったから、私は……生まれ持ったこの耳が、嫌いでなくなって……ううん、誇れるようにもなって……その証しが、この髪形なの……」
 ミミナの背には、一つに括ってまとめて、ポニーテールにした長い髪が乗っている。
「ソモロン、は……ほんとに、いい子だから……お願い、ね……」
「お、お願い? 何のこと?」
「わたしの、分まで……シルファーマちゃん、が……ソモロン、と……」
 シルファーマは、
「っああああぁぁぁぁ~もうっっ!」
 ミミナの襟首を掴んで引っ張り上げ、鼻息がかかる距離まで顔を近づけて、叫んだ。
「だ・か・ら! わたしを勝手に、ソモロンを取り合うライバルにしないでっての!」
「そうやって……照れて、否定する姿が……男の子から見ると……可愛く思われる、って聞いたことが……私も、ちょっと、そう思うし……」
「や~め~て~っっ!」
 と、いくら吠えてもミミナは聞き入れないであろう、とシルファーマにも解ってきた。この子はそういう子なのだ。
 そして、こんなことをしている間、シルファーマに襟首を捻じり上げられて吊り上げられながらも、ミミナは自分の呼吸や鼓動用の体力まで削ってシルファーマに与え続けている。ミミナはもともと色の白い顔なのだが、それが更にどんどん、青白くなっていく。
 何を言っても止めそうにない。だが、シルファーマは言わずにいられない。
「ソモロンのことは置いといても! わたしだって困るのよっ!」
「……え……?」
「わたしが目指すのは、最強無敵の大英雄! 永遠に人々に語り継がれる、伝説の主人公! となれば、繰り返すけどソモロンなんかは置いとくとして、」
 ぎっ、とミミナを睨みつけてシルファーマは叫ぶ。
「あんたみたいな、捕らわれのお姫様役を、献身的なヒロインを、犠牲にしてたらカッコつかないの! いい? まず、わたしが戦って勝つのは当然! でもそれに加えて、あんたにも生還してもらわないと! 物語として、かっこいい英雄伝説として、成り立たないのよ!」
 ミミナを離して、シルファーマは灰色の壁に向き直った。
「というわけで! こんな壁は、すぐにぶっ壊すっっ!」
 ミミナのおかげで回復したシルファーマが、全力で拳を振るった。重く激しい音がして、壁が、いや、灰色のドーム全体が振動する。一発一発ごとに、しっかりと壁にダメージが刻まれていくことを、拳を通してシルファーマは実感できている。
 だが、悔しいがまだ、破壊には至らない。今の調子で殴り続ければ、何とかどうにかいつかは、壊せそうではある。だがその時まで、自分はともかくミミナがもたないだろう。
 いや、ミミナだけではない。
「ひええぇぇ~!」
 ドームの外から、情けない声が聞こえてくる。灰色の壁越しに全て見えているし、ラカートとの会話も聞こえていたので、状況はシルファーマにも把握できている。
 ドームの外では、エルフ星人の蛇型兵器・DIE蛇とやらが暴れていて、ソモロンが防戦一方……なんてかっこいいものではなく、逃げ一辺倒になっている。それでもこの場からの逃走はせず、回避に留めているのは、ソモロンにも解っているからだろう。
 まだ起動中であるDIE蛇は、まだまだこれから、強くなることを。「完成」すれば、サイコロイドなど比較にならない、とんでもない力を発揮するであろうことを。
 店で、パランジグと危惧していた通りの状況だ。今、ここで止めないと、おそらく取り返しのつかないことになる。
 且つ、ソモロンは、自力ではどうにもできないと理解しているのだろう。だからシルファーマに希望を託して、シルファーマが戦ってくれるまではと逃げ回っているのだろう。
 シルファーマとしては、もちろんそのご期待に応えたい。かっこいい英雄として。
 だが、どうすればいい? 今、何ができる?
『わたしには、こうやって殴ることしかできない。ミミナも、わたしを回復させることしかできない。ソモロンに至っては、ただ逃げ回ってるだけ』
 見ればDIE蛇の吐く炎は、続々と易々と、床や壁に大穴を空けている。あんなものをソモロンが受けたら、肉も骨も一瞬で粉々になる、いや灰になる、いや蒸発するだろう。
 悔しいがDIE蛇の炎の威力は、シルファーマの拳よりも上と認めざるを得ない。
「……!」
 シルファーマは、思いついた。サイコロイドを潰されたラカートにとって、シルファーマは憎い敵。DIE蛇が動き出した今、ミミナは用済み。ソモロンなんかはどうでもいい。
「ソモロン! ここに!」
 シルファーマは拳を握って腰を落とし、灰色の壁に渾身の一撃を放つ構えをとった。
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