上 下
8 / 40
第二章 ロリな魔王女様、奮闘す

しおりを挟む
 アップルパイの包みを手に、シルファーマがソモロンの店へ帰宅すると。
 ソモロンは、箒を持って店の前を掃いていた。
「ああ、おかえり」
 チリトリを使ってゴミを丁寧に集めると、店の前に設置してあるゴミ箱へ入れる。もちろんこのゴミ箱の中身は、溜まったら公営のゴミ捨て場へ持って行くのである。
 この掃除、シルファーマは毎日やらされている。ソモロンもやっている。
「熱心ね」
「当然。一日一回じゃ足りないからね」
「お客様が気持ちよく来店できるように、よね」
「そうだけど。何かあった?」
 少し機嫌よさげなシルファーマに、ソモロンは首を傾げる。
 シルファーマは微笑を返した。
「別にぃ。それより、早く食べたいわこれ」
「どうぞ。今はご覧の通り、ちょっとヒマだしね。店は僕が見てるから」
「ん。では、お言葉に甘えて」
 シルファーマは店の奥に入っていく。ソモロンは箒とチリトリを片付けている。
 カウンターを通り過ぎて台所まで来たシルファーマが、お茶を入れようとした時。
「――!」
 聞こえた。シルファーマは台所を出て、店の中をぱたぱたと駆け抜けて、表に出た。
 すれ違ったソモロンが、何事かと後に続く。
「どうした?」
「聞こえたの」
「何が?」
 シルファーマは改めて、耳を澄ます。
 この時、シルファーマに聞こえたのは、厳密には音声ではない。シルファーマが耳で聞いて、つまり空気の振動を鼓膜で受け止めて、感じ取ったのではない。
 振動したのは空気ではなく、街全体、いや、地上全体に漂っている魔力だ。魔力というのは、何も魔術師が体内で高めて術に使用するものが全てではない。魔界と比較すれば微量ではあるが、地上界にも、山中にも海中にもどこにも、植物にも動物にも、人間の体の中にも、空気や水分のように、どこにでも漂っているものなのだ。
 それが不自然に乱れたのを、魔界で修行を積んだシルファーマは感じ取ったのである。
「……間違いない! ハデに暴れてる! 強くて大きくて、人間ではない何かが!」
「え? ってことは魔物? まさかそんな、どこぞの遺跡や山奥でもあるまいし、こんな街中にドラゴンか何かが出たとでも? そんなの、今まで一度も……」
 シルファーマは魔力の乱れを読み取りながら、首を振った。
「違う! これはドラゴンとかとも全く別の何か! とにかく、わたし、行ってくるっ!」
 シルファーマは躊躇いなく駆けだした。
 何かが大暴れしているのは間違いないのだ。これがソモロンの言う通り、前例のない異常事態だとすると……未知の、地上界にも魔界にもいない、謎の怪物が出現した? 何か、壮大なスケールの事件、陰謀、その幕開け?
 後の世に伝説となって語り継がれる、ハラハラドキドキの、戦いの物語が今始まった?
「ぅうああああぁぁ! いきなりどーんと、希望が湧いてきたああああぁぁ~~~~っ!」
 シルファーマは、喜色満面で現場へと向かった。
 
 繁華街の真ん中で、巨人が暴れていた。
 二階の窓に届く身長、太い腕に広い肩幅に厚い胸、頭部は巨大なサイコロになっており、正面を向いている一の目が、不気味な単眼を思わせる。
 そしてその身に纏うのは、これ見よがしにド派手なピンク色の、メイド服。逞しい体躯でサイコロ頭でピンクメイド服を着た巨人が、どこからともなく現れ、街を破壊しているのである。
 そのあまりに異様な光景に、ある者は気絶し、ある者は全力で逃げ出した。
 だが、流石に心得のある、そして修羅場経験の豊富な者は違う。出くわした何人かの冒険者たち、戦士や魔術師たちは、敢然と立ち向かっていった。
 が、サイコロ巨人は巨体に見合ったパワーと、巨体に見合わぬスピードを備えており、体もメイド服も異様に強靭であるらしく、剣も魔法もロクに効かない。その拳のパンチで、足のキックで、サイコロ頭の頭突きで、戦士も魔法使いも叩きのめされていく。そして、
「ペアアアァァ! ルウウウウウウウウゥゥゥゥック!」
 サイコロ巨人が吠えて、その一の目から赤い光線を発射する。それを浴びると、どんな鎧もローブも一瞬にして物質変換? されて、色とりどりのメイド服になってしまうのだ。
 メイド服化ビームを命中させて、倒しているのではない。殴り倒した後の、気絶している者にまで、わざわざやっているのである。そもそもこのメイド服化ビーム自体に攻撃力は無いらしく、逃げ遅れて巻き添えを食らった一般人が、メイド服姿で元気に逃げて行ったりもしている。
 街を壊し、人を倒し、メイド服を着せていく。サイコロ巨人の目的は何なのか。誰がどこから、何の目的で送り込んだのか。街の人々は何も解らぬまま、大混乱に陥っていく。
 そこへ、質素ながらも可愛らしいメイド服を着た、幼女と少女の境目みたいな魔王女様が、元気よく笑顔で駆けてきた。
「はいはい、お待たせ~♪ って、何これ?」
 シルファーマはここに来るまで、相手が未知の、異常な怪物であろうと思っていた。きっと、見るからに異様で不気味な奴だろうなあ、だといいなあ、と期待していた。
 が、そういう先入観というか予想というか、があったにも関わらず、異常な怪物というより非常識なバケモノだったもんで、思わずぽかんと口があいた。 
『ソモロンといい、シャレオさんといい、そしてこいつといい。地上界には、ヘンなのがいっぱいいるのねぇ……魔界が、いかに平凡平和であったか、しみじみ実感するわ。離れてみて初めてわかる、故郷の本質?』
 シルファーマがそんなことを考えている間にも、サイコロ巨人は暴れ続ける。
「ペアアァァ!」
 既に、そこら中に何人も、腕に覚えのありそうな連中が累々と転がっている。そしてまた、次から次へと似たような連中が挑み、例外なく叩きのめされている。
 このサイコロ巨人が強いのは明らかだ。ただの、ピンクメイド服を着た巨人とはワケが違う。ただの、ピンクメイド服を着た巨人というのがどこにいるのかはともかく。
 相手にとって不足なし、いや、まだまだこの程度ではきっと物足りないだろうけれど、とりあえず地上界での初陣、派手に一発かまそう! と興奮してシルファーマは、
「とおりゃああぁぁ!」
 勇ましい雄叫びを上げて拳を振り上げ、サイコロ巨人に挑みかかった。
 それは、その場の人々の目には、小さく無力な女の子が無謀なことをしているようにしか見えず。為すすべなくぶっ飛ばされるだろう、としか思えない光景であり。
 事実、そうなった。シルファーマの拳なんか、いや、シルファーマそのものが、まるで存在しないかの如く。群がる冒険者たちを相手に、ブンブン振り回されているサイコロ巨人の拳はその速度を全く緩めることなく、シルファーマにもついでに命中して、打ち飛ばしてしまった。
「……が……っ」
 半ば気絶して高く高く宙を舞う、シルファーマの体を受け止めたのは、シルファーマを追いかけて走ってきたソモロンだった。
「っと! ロリ化してて助かったぁ! これぐらい小さく軽い体でなければ、こんな受け止め方は無理だったぞ、絶対! だから君は感謝するように! ロリ化に!」
「しないわよっ!」
 ソモロンに受け止められた衝撃で目を覚まし、お姫様抱っこしているソモロンの顎にアッパーを食らわせ、その反動でソモロンの腕から降り立ち、シルファーマは怒鳴った。
「本来のわたしだったら、あんなバケモノに遅れをとることなんかない! 今、あいつに殴り飛ばされたのは、そのロリ化のせいなんだからね!」
「まあ、それはそうか」
 痛そうに(そして気持ち良さそうに)顎を摩りながら、ソモロンは潔く認める。
 最初からメイド服を着ているからだろうか、シルファーマには追撃のメイド服化ビームが来ない。サイコロ巨人はシルファーマのことなんか無視して、他の獲物たちに向かって暴れ狂っている。そして叩きのめし、メイド服を着せている。
 それを見ながら、ソモロンは呟いた。
「……ん? あのサイコロ巨人、何か覚えがあるな。直接見たんじゃなくて、書物の記述で見た覚えがあるぞ。確か、じーちゃんの書物の中で……なんだったかな……」
「んなことはどーでもいいから!」
 シルファーマが、じたばたしながら訴えた。
「今こそ、制限解除しなさい! あんなバケモノをやっつけたら、あんたはちょっとした英雄よ! この際わたしのことは、あんたの使い魔とでも言ってくれていいから!」
「んじゃハーレムの」
 ばびしっ! とソモロンの頬をシルファーマがビンタした。但し手ではなく、充分に体を捻って勢いをつけた、回し蹴りの足の甲で。
「余計な事を考えてないで、さっさとしなさいっ! もしもあのサイコロ巨人を他の誰かに倒されちゃったら、手柄を立て損なうわよ!」
 脳震盪によるふわふわ感と、張られた頬の熱さとで、ちょっと酔っているのだろう。気持ち良さそうな顔をして、でもソモロンは一応、状況を理解したらしい。
「むむ。手柄を取られるってのは確かに困るな。なら、いくぞ!」
「うんっ!」
しおりを挟む

処理中です...