月誓歌

有須

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修道女、運命を選択する

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 父も、陛下も、それぞれがそれぞれの仕事をこなすべく離宮を去り、残されたメイラはひとり、何もすることがなくなってしまった。
 状況が状況だけに、のんびりと待つという気持ちにはなれず、どうしようかと思っていたところに来客があった。
 取次いだフランの表情を見るなり、厄介な相手なのかと不安になったが、案内されて現れたのはメイラの自称祖父。
 祭事の時のような仰々しい服装ではなく、どこにでもいそうな一般神職の恰好をしている。
 その整った顔で気遣わし気に微笑みかけられ、メイラは丁寧に頭を下げた。
「猊下」
「大丈夫かい?」
「はい。わたくしの事よりも、御身の安全についてお考え下さい。このような時ですのに、少しお供の数が少ないように思います」
 何を考えているのか、離宮にやってきた猊下が連れている護衛は一人きりだった。
 しかも、穏やかにニコニコと笑顔を浮かべた中肉中背の若者で、とても荒事に向いているようには見えない。
 猊下の護衛をまかされるぐらいだから、おそらくは、見た目通りの青年ではなく、相当に腕も立つのだろうが、この外見だとまるで襲ってくれと言っているようなものだ。
「道中障りはございませんでしたか?」
 特に現在、重大事案が進行中だということもあり、ここで猊下の方にまでトラブルが発生してしまえば、ますます事態は混迷してしまうだろう。
「私の方は気にしないで。君の夫君に大切な話があったのだけど……少し来るのが遅かったようだね」
「陛下に? わたくしが代わりにお伺いしてもよろしければ」
「うん、手紙を書くから渡してほしい」
「かしこまりました」
 とりあえず来てしまったものは仕方がないので、歓迎の為に紅茶を用意するように指示を出す。
 それにしても、厄介なことになってしまった。
 いくら祖父と名乗っているとはいえ、「自称」である限り扱いは慎重にする必要がある。陛下以外の男性と親しくともに居るわけにはいかないのだ。
 帰ってもらうにしても、護衛を出さなければ危険だろう。いやむしろ、神殿騎士たちに迎えに来てもらうよう伝達するべきか。
「大変な事になったね」
 メイラの複雑な表情に気づかないわけがないのだが、猊下は用意された席に腰を下ろしながら、その整った面にふわりと笑みを浮かべた。
「もうご存じなのですね」
 最悪の場合内乱が起きるかもしれない、という情報は、まだ滅多なところには伝わっていないはずなのだが。
 しかしメイラは、猊下がその事を知っていたとしても疑問は抱かなかった。
 むしろ、こちらの知らない何らかの情報を持っているかもしれず、それを聞き出すべきだとぎゅっと両手を握りしめる。
「……戦になるのでしょうか」
「なるだろうね。君の夫はとても強いけれど、相手が相手だから」
「陛下でも苦戦するようなお相手なのでしょうか」
「竜だからね」
 カチャン、とティーカップが音を立てた。
 猊下の前にカップを置こうとしていたシェリーメイが、「失礼いたしました」と何事もなかったのように謝罪したが、彼女だけではなく部屋中の者が動揺していた。
「竜を? 敵方は竜を使役しているのですか?」
 メイラは努めて声を荒立てないよう、震えそうになる息を必死で抑えた。
「ああ、ごめんね。余計な心配をさせてしまった」
「教えてくださいませ、猊下。どうか」
「そんな顔をしないでおくれ。先日の黒竜を容易く屠ったぐらいだから、きっと大丈夫だよ」
 ドクドクと心臓の鼓動が大きくなり、今にも喉を突き破って出てきそうな気がする。
「……陛下にお伝えしたい事とは、その件でしょうか」
「本当は、どちらかに加担してはいけないんだけどね」
 猊下は困ったように笑い、震えながらもなんとかティーカップを持ち上げようとしていたメイラをじっと見つめた。
「少し前から、中央神殿には各地での竜の召喚について情報があがっていたんだよ。今回ハーデス公爵領へ巡幸を決めたのは、その件を見極めるためだった」
「……ハーデス公爵家はそのような」
「あまり知られていないけれども、先日襲ってきた黒竜はこの世界に存在している竜とはまったく別種のものでね。あの手の強力なものは、喚ぼうとすればするほど、大勢の生贄が必要になる」
 ひゅっとメイラの喉が鳴った。
 生贄、と聞いて思い出されるのは自身の事だ。
「おそらくは御神の御力を取り戻すためと称して、大量の竜を召喚しようとしているのだと思う。竜により流された血が御神を現世に顕現させると信じられているんだ」
「そ、そんな……」
「ハ―デス公爵家がそのような思想に染まっているとは思っていない。御神がそのような生贄を望んでいるとも思わない。けれども、実際に御神のお力が多少なりとも現世に漏れ始めている。君も感じているだろう?」
 猊下の指が、自身の神服の高い襟の隙間に沿わされた。そこにあるのは、太陽神ラーンの御徴だ。
「古来、神々とつながる手段として、生贄を捧げることは有効な手段とされてきた。太陽神に対してもだよ。いまだに、人間の乙女を捧げる態で、代わりに処女の羊を捧げる風習が残っている所もある。おそらくだが、正式な儀式に沿って行えば、神々への階を立てることは可能なのだと思う」
「……猊下」
「複数の竜が召喚され、生贄の血が満たされれば、御業により一夜にして帝都が更地になってしまう、という可能性もゼロではない」
 メイラの脳裏に、美しい帝都の街並みが過る。
 行きかう人々の顔には笑顔があった。あまたの人生が、そこにはあった。
 ……それらをすべて、生贄に捧げるというのか?
「なんてこと」
 皇帝の地位を欲しているというほうが、まだ理解できる。帝都を贄に御神を蘇らせて、一体何をしようというのだ? 御神がそれを喜ぶとでも思っているのか?
「また夢を見たね?」
 真っ青になって事態を飲み込もうと懸命になっていたメイラに、猊下は静かに確信の言葉を投げかけた。
 咄嗟に返事はできなかった。
 猊下は穏やかな微笑みを浮かべたまま、何度か首を上下させた。
「申し訳ないけれど、メルシェイラ。君を中央神殿へ招かなければならない」
「……そんな、わたくしは」
 陛下の妻です、と口にしようとして、形式上書面上の妻ではあるが、神の御名のもとに結ばれた正式な夫婦ではないということを思い出す。
 陛下には後宮内に複数の妻がいることになっているが、いまだその皇后の座は空位であり、皇妃と呼ばれる方々ですら、神の御前では正式に結ばれた妻という訳ではないのだ。
 書類一枚、陛下の承諾ひとつで解消される頼りない絆なのだと思い知らされ、その先の言葉を続けることが出来なくなる。
「祖父として誓うよ。必ず君をこの国に戻す。だから……中央神殿の奥の間で、御神をお鎮めしてくれないだろうか」
「お待ちください、教皇猊下。お言葉ではありますが、陛下のお許しなくそのような……っ」
「一介の使用人ごときが口を挟むな」
 にこやかな表情の神職の青年が、にこやかな声色のままに、聞き間違いではないかと思うような台詞でルシエラを止めた。
「主神ラーンの寵愛深い猊下の御前で、否を唱えることは許されない」
 謡う様に静かな口調だった。
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