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修道女、にっちもさっちもいかなくなる
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ぽちゃん、と水滴が落ちる音がする。
夢うつつの中まず感じたのは、ひどく固いところで寝ている不快感。
豪華なふかふかベッドに慣れ過ぎてしまったからそう感じるのか? いや、この硬さは修道院のベッドどころではない。
ゆっくりと瞼を開ける。
全身がバキバキに強張り、激痛を訴えている。
そこは暗かった。薄暗いなどという曖昧なものではなく、ほぼ光を感じ取れない闇の中だった。
一瞬、目が見えなくなってしまったのかと背筋が冷える。
同時に、急激に意識が明瞭になってきて、ぽちゃん……と再び聞こえた水滴の音に、ものすごく静かな場所に居るのだと知った。
ドキドキドキと心臓が大きく鼓動を刻む。
寒さと不安のあまり自身の身体を抱きしめようとして、じゃらり、と金属の鎖を引く音がした。
「……っ」
手探りで確かめてみると、右の足首にがっちりと太い足かせが掛けられている。ジャリと鳴る鎖の音も低く、相当に重量があった。
震える指でそれらを確認して、零れそうになる嗚咽を懸命に堪えた。
冷たい床の上に長時間横たわっていたせいか、全身が冷え切っている。
いつの間にかマントは取り上げられていて、着ていたドレスの裾と胸元が大きく破かれていた。
何が起こったのか、記憶をたどってみてもよく分からない。
メイラはたしか小神殿にいた。覚えているのは、ダハート一等神官の祝詞を跪いて聞いていたところまでだ。
「……いったい何が」
声が跳ね返ってくる響きから、ここがさして広くない空間だということがわかる。
震える身体を抱き締めながら、何者かによって閉じ込められているのだとようやく飲み込んだ。
着衣は乱されているが、幸いにも身体を穢されたわけではない。
とりあえず落ち着いて現状の把握をしなければ。
氷のように冷たい指先で、さらにもっと冷たい金属の鎖をたどっていくと、それはざらざらした壁の随分高い位置に直接打ち込まれていた。
もしかしたら本来は手かせとして使っている物なのかもしれない。
長さもそれほどなく、かろうじて壁から数歩離れることができる程度。
室内の様子を探ろうとしても、手を伸ばして届くごく限られた範囲しかわからない。
ペタンと床に座り込んだまま途方に暮れた。
鼻の奥がツンと痛んで、そのままダバダバと涙がこぼれた。
市井で育ち、特にスラム街などでは誘拐されたら最悪の事態は不可避だと教えられてきた。
隙を見せないように行動するすべは知っていても、攫われ拘束されたらどう振るまうべきかなどわからない、
どこにでもいる一般人なのだ。戦うすべなど欠片も持ち合わせていない、一介の修道女なのだ。
治安の悪い街中でそれなりに身を処すスキルは身に着けていても、監禁場所から逃亡する特殊技能など持ち合わせている訳がない。
寒さと恐怖にガチガチと奥歯が鳴る。
正常な思考すら保てず、ただ必死で声を出すのだけは堪えていた。
体温はどんどん削られ、もはや指先の感覚すら危うい。
いつの間にか身体を丸くして冷たい床にうずくまっていた。
次第に意識が朧になってきて、ガクリと頭が床に落ちる。その衝撃で、カランと金属質な音を立てて何かが転がった。
こんな光源もない暗闇の中でも、わずかに明るさがあったのだろう。
漆黒の闇の中、その髪飾りの輪郭だけがぼんやりと浮かびあがった。
「あ」
無意識のうちに、これだけは無くすまいと両手で握り込んだ。
「へい、か」
静寂の中、こぼれ落ちる己の声すらも遠い。
目を閉じる。
頬を濡らす涙が凍りつき、ピリピリと痛い。
遠ざかる意識の奥で、このまま眠ってはいけないと警鐘が鳴っていた。
しかし、周囲の温度はあまりにも低く、レース仕立てのドレスは体温を保つのに相応しいものではい。
―――陛下
無意識に縋るのは、十八年間心を支えてくれた神ではなく、朱金色の髪をした彼女の夫の存在だった。
凍える息を吐きながら、玉飾りを握りしめた拳を額に押し当てる。
もしかしたらこのまま死ぬのかもしれない。誰に看取られることなく、この冷えた闇の中で逝ってしまうのかもしれない。
もはや意識は朧だが、漆黒の死神の手が今にも触れんと伸ばされているのは自覚していた。
どれぐらいそうしていただろう。
メイラは不意に、その石の部分だけが不思議と温かいことに気づいた。同時に、そう思えるだけ意識が戻りつつあることも。
冷気で張り付いてた瞼を持ち上げる。
まつげは凍るのかと場違いな感想を抱きつつ、どうして己は意識を取り戻したのかと訝しむ。
相変わらず視界は闇に閉ざされていて、光として感じ取れるものは何もない。
いや……
握りしめた手の隙間から、微かな光が漏れていた。
一体自分は何を握っているのだと怖くなり、恐る恐る指を緩めてみると、ほぼ光の差さない闇の中、紫色の丸い石の部分が薄ぼんやりと発光している。
「……っ」
その光を見ていると、何故か心がすっと落ち着いた。
相変わらずの暗闇の中。足には重い枷、呼気がそのまま凍りつきそうなほどの寒さも変わらない。
しかし、恐怖が次第に怒りへと変わっていくのがわかる。
まるで罪人のように枷につながれ、凍死せよとばかりに閉じ込められて……どうしてこんな扱いを受けねばならない?
再び涙が浮かび、凍ったまつげを伝ってポタリと落ちた。
思惑通りに死んでなどやるものか。
企んだ本人に張り手を食らわせるまで、絶対に生き延びてやる。
メイラはほのかに発光し続ける玉飾りをぎゅっと手のひらに握りしめた。
物理的な圧迫感すら感じさせる闇と静粛の中、ひたすら怒りを持続させることに全神経を集中した。そうしないと、生きることに絶望してしまいそうだったのだ。
暗闇の中にどれぐらい居たかはわからない。
一時間だった気もするし、数時間だった気もする。
案の定怒りは長くは持続せず、紫色の石の不思議な力に守られてはいたがそれにも限度があって。
寒さでもはや手足の感覚がない。
気合を入れて見開いていた目も、発光している玉髪飾りですら目に映ってはおらず。
一定間隔おきに聞こえる水滴の音が、もはや冥府へのいざないのように感じられて……
駄目かもしれない。
ふと、そんなことを思った。
瞼を閉ざせば、このまま眠るように逝けるだろう。そんな……誘惑。
おそらくはそのまま放置されていれば数時間と持たなかったと思う。
ゴゴゴ
重い石が動くような音がした。
差し込んだ光に、目が焼けるような気がして。
―――へいか
とっさに、助けが来たのではないかと思った。心のどこかで、必ず陛下が助けて下さると信じていたのだ。
「……へぇ、まだ正気を保ててるの?」
突き付けられた光があまりにもまぶしくて、目を開けてはいられない。
その声は、男性の者だった。
陛下ではない。
しかし、聞いたことのあるものでもあった。
夢うつつの中まず感じたのは、ひどく固いところで寝ている不快感。
豪華なふかふかベッドに慣れ過ぎてしまったからそう感じるのか? いや、この硬さは修道院のベッドどころではない。
ゆっくりと瞼を開ける。
全身がバキバキに強張り、激痛を訴えている。
そこは暗かった。薄暗いなどという曖昧なものではなく、ほぼ光を感じ取れない闇の中だった。
一瞬、目が見えなくなってしまったのかと背筋が冷える。
同時に、急激に意識が明瞭になってきて、ぽちゃん……と再び聞こえた水滴の音に、ものすごく静かな場所に居るのだと知った。
ドキドキドキと心臓が大きく鼓動を刻む。
寒さと不安のあまり自身の身体を抱きしめようとして、じゃらり、と金属の鎖を引く音がした。
「……っ」
手探りで確かめてみると、右の足首にがっちりと太い足かせが掛けられている。ジャリと鳴る鎖の音も低く、相当に重量があった。
震える指でそれらを確認して、零れそうになる嗚咽を懸命に堪えた。
冷たい床の上に長時間横たわっていたせいか、全身が冷え切っている。
いつの間にかマントは取り上げられていて、着ていたドレスの裾と胸元が大きく破かれていた。
何が起こったのか、記憶をたどってみてもよく分からない。
メイラはたしか小神殿にいた。覚えているのは、ダハート一等神官の祝詞を跪いて聞いていたところまでだ。
「……いったい何が」
声が跳ね返ってくる響きから、ここがさして広くない空間だということがわかる。
震える身体を抱き締めながら、何者かによって閉じ込められているのだとようやく飲み込んだ。
着衣は乱されているが、幸いにも身体を穢されたわけではない。
とりあえず落ち着いて現状の把握をしなければ。
氷のように冷たい指先で、さらにもっと冷たい金属の鎖をたどっていくと、それはざらざらした壁の随分高い位置に直接打ち込まれていた。
もしかしたら本来は手かせとして使っている物なのかもしれない。
長さもそれほどなく、かろうじて壁から数歩離れることができる程度。
室内の様子を探ろうとしても、手を伸ばして届くごく限られた範囲しかわからない。
ペタンと床に座り込んだまま途方に暮れた。
鼻の奥がツンと痛んで、そのままダバダバと涙がこぼれた。
市井で育ち、特にスラム街などでは誘拐されたら最悪の事態は不可避だと教えられてきた。
隙を見せないように行動するすべは知っていても、攫われ拘束されたらどう振るまうべきかなどわからない、
どこにでもいる一般人なのだ。戦うすべなど欠片も持ち合わせていない、一介の修道女なのだ。
治安の悪い街中でそれなりに身を処すスキルは身に着けていても、監禁場所から逃亡する特殊技能など持ち合わせている訳がない。
寒さと恐怖にガチガチと奥歯が鳴る。
正常な思考すら保てず、ただ必死で声を出すのだけは堪えていた。
体温はどんどん削られ、もはや指先の感覚すら危うい。
いつの間にか身体を丸くして冷たい床にうずくまっていた。
次第に意識が朧になってきて、ガクリと頭が床に落ちる。その衝撃で、カランと金属質な音を立てて何かが転がった。
こんな光源もない暗闇の中でも、わずかに明るさがあったのだろう。
漆黒の闇の中、その髪飾りの輪郭だけがぼんやりと浮かびあがった。
「あ」
無意識のうちに、これだけは無くすまいと両手で握り込んだ。
「へい、か」
静寂の中、こぼれ落ちる己の声すらも遠い。
目を閉じる。
頬を濡らす涙が凍りつき、ピリピリと痛い。
遠ざかる意識の奥で、このまま眠ってはいけないと警鐘が鳴っていた。
しかし、周囲の温度はあまりにも低く、レース仕立てのドレスは体温を保つのに相応しいものではい。
―――陛下
無意識に縋るのは、十八年間心を支えてくれた神ではなく、朱金色の髪をした彼女の夫の存在だった。
凍える息を吐きながら、玉飾りを握りしめた拳を額に押し当てる。
もしかしたらこのまま死ぬのかもしれない。誰に看取られることなく、この冷えた闇の中で逝ってしまうのかもしれない。
もはや意識は朧だが、漆黒の死神の手が今にも触れんと伸ばされているのは自覚していた。
どれぐらいそうしていただろう。
メイラは不意に、その石の部分だけが不思議と温かいことに気づいた。同時に、そう思えるだけ意識が戻りつつあることも。
冷気で張り付いてた瞼を持ち上げる。
まつげは凍るのかと場違いな感想を抱きつつ、どうして己は意識を取り戻したのかと訝しむ。
相変わらず視界は闇に閉ざされていて、光として感じ取れるものは何もない。
いや……
握りしめた手の隙間から、微かな光が漏れていた。
一体自分は何を握っているのだと怖くなり、恐る恐る指を緩めてみると、ほぼ光の差さない闇の中、紫色の丸い石の部分が薄ぼんやりと発光している。
「……っ」
その光を見ていると、何故か心がすっと落ち着いた。
相変わらずの暗闇の中。足には重い枷、呼気がそのまま凍りつきそうなほどの寒さも変わらない。
しかし、恐怖が次第に怒りへと変わっていくのがわかる。
まるで罪人のように枷につながれ、凍死せよとばかりに閉じ込められて……どうしてこんな扱いを受けねばならない?
再び涙が浮かび、凍ったまつげを伝ってポタリと落ちた。
思惑通りに死んでなどやるものか。
企んだ本人に張り手を食らわせるまで、絶対に生き延びてやる。
メイラはほのかに発光し続ける玉飾りをぎゅっと手のひらに握りしめた。
物理的な圧迫感すら感じさせる闇と静粛の中、ひたすら怒りを持続させることに全神経を集中した。そうしないと、生きることに絶望してしまいそうだったのだ。
暗闇の中にどれぐらい居たかはわからない。
一時間だった気もするし、数時間だった気もする。
案の定怒りは長くは持続せず、紫色の石の不思議な力に守られてはいたがそれにも限度があって。
寒さでもはや手足の感覚がない。
気合を入れて見開いていた目も、発光している玉髪飾りですら目に映ってはおらず。
一定間隔おきに聞こえる水滴の音が、もはや冥府へのいざないのように感じられて……
駄目かもしれない。
ふと、そんなことを思った。
瞼を閉ざせば、このまま眠るように逝けるだろう。そんな……誘惑。
おそらくはそのまま放置されていれば数時間と持たなかったと思う。
ゴゴゴ
重い石が動くような音がした。
差し込んだ光に、目が焼けるような気がして。
―――へいか
とっさに、助けが来たのではないかと思った。心のどこかで、必ず陛下が助けて下さると信じていたのだ。
「……へぇ、まだ正気を保ててるの?」
突き付けられた光があまりにもまぶしくて、目を開けてはいられない。
その声は、男性の者だった。
陛下ではない。
しかし、聞いたことのあるものでもあった。
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