必然ラヴァーズ

須藤慎弥

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 とうとう仲居に襖を開けられた。

 目に入ったのは、すぐに立ち上がって一礼してきた主管の渡辺と、奥には以前会社内で出くわしたあの父親が、座布団の上で胡座をかいている姿だった。


「こんばんは。 どうぞどうぞ、こちらへ」


 渡辺に促されて、社長と聖南は並んで腰を落ち着かせた。

 父親から視線が送られているのは分かっていたが、聖南は一切そちらを見ようとはしない。

 物言いたげな視線と目が合えば、馴れ馴れしく語り掛けてくる可能性がある。

 そんなもの御免だった。


「大塚芸能事務所の大塚です。 ……とは言っても君とは四十年の付き合いだがな。 今さら堅苦しい挨拶は抜きでいいか?」
「あぁ、構わない。 聖南も、よく来たね。 たくさん食べなさい」


 聖南は渡辺にしか会釈をしなかったが、そんな態度に父親は気を悪くするでもなく、聖南の前の料理を掌で指した。


『食えるかっつーの』


 やたらと気を遣ったような父親の態度に、聖南は困惑と苛立ちを同時に顕にした。

 水を一口だけ飲むと、社長に言われた通り父親を無視して渡辺とツアーについての話を始める。

 社長と父親は、そんな聖南の態度など全く気にした様子も無く昔話に花を咲かせているし、このままいけばあっという間に二時間が過ぎてしまうのではとやや肩の力が抜けた。


「……あ、失礼、会社から電話です」


 各々仕事やプライベートな会話を続けて一時間ほどが経った頃、ツアーの細部やスタッフの面子など深い所まで話していた渡辺が電話を理由に席を立った。


『おいおい、今行かれちゃ困んじゃん……!』


 救いの渡辺が目の前から居なくなり、急に話し相手が居なくなった聖南はおもむろに立ち上がろうとした。

 うまくこの場を乗り切るためには、父親と関わらないことが一番の得策なのである。

 しかし、席を立とうとした聖南に気遣いを見せたのは社長ではなく、……。


「聖南、全然食べていないじゃないか。 具合でも悪いのか?」


 社長との会話をストップしてまで、聖南を引き留めにかかった。

 渡辺は聖南と父親(副社長)の関係を知らないのだろう。

 彼がいない隙を狙ってきたかのようなタイミングに、さすがに無視は出来なかった。


「…………いや、悪くねぇよ」
「腹の傷はどうなった」
「別に。 平気」


 渡辺が席を外している今、聖南は敬語など使わなかった。

 ひどく無愛想な返答と、相変わらず視線すら合わせない聖南にへこたれない父親は、さらに話し掛け続けた。


「今回のツアーは長丁場だから、体調には気を付けて」
「……分かってる」
「困った事があったら、どんな小さな事でも言いなさい」
「………………」


 どの口がそんな事を言うんだ、と聖南は鼻で笑った。

 何杯目か分からない水をガラス製のピッチャーから注いで飲む。

 今さら文句など言う気はさらさら無いが、この父親は聖南を放任したという自覚があるのか甚だ疑問だった。

 困った事ならあった。

 まだ、親が恋しいと思っていた頃。

 健気に父親の帰りを待っていた頃。

 暗い部屋に一人ぼっちは寂しくて、涙を流していた頃。

 ……全て、遠い過去のことだ。




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