恋というものは

須藤慎弥

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◆ 天の性別 ◆ ─潤─

第五十三話

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 潤は、天の体を離さなかった。

 どれだけ気まずそうにしていても、「家は無理」と駄々をこねられても、未だ瞳が濡れているような気がする天をやすやすとこのまま一人で帰すなど、あり得ない。

 はなから、並大抵の覚悟で助けていない。


「喉渇いてない? 水かお茶しかないんだけど……違うのが良ければ僕買って……」
「要らない。 ……大丈夫」


 タクシーで潤の自宅に到着すると、逃げられないように天を抱き上げて離れ家へと入ったが、ここでは微かに抵抗された。

 それでも引かない潤に渋々と天は折れ、何か言いたげに質素な室内をキョロキョロと見回す。

 ひとまず天をベッドに腰掛けさせて冷蔵庫を覗いた潤は、ミネラルウォーターのペットボトルを持って天に差し出した。

 要らないと言われたけれど、じわりとだが受け取ってもらえた。


「…………ごめん」
「何の「ごめん」?」
「……嘘、ついてた」
「………………」


 ペットボトルを握り締め、項垂れて詫びる天にかける言葉が見付からない。

 とてつもなく悪い事をした後のような、ピリついた緊張感を纏った天の体からは申し訳無さをこれでもかと滲ませている。

 性別を偽っているのは、潤も同じだ。

 けれど、αとΩではどう考えても苦悩の重みに差があり過ぎる。

 これまで天は、どんな思いで性別を隠してきたのか。

 判明して間もないため聞いてはいないものの、潤に「俺はβだ」と言い放ったあの時、天に躊躇いは一切無かった。

 偽り慣れている、と言えた。

 天のヒートに遭遇したのが自分で良かったと思うのと同時に、嘘を吐いていた潤には隠しておきたかったのではないだろうかと憂慮する。

 他ならぬ "Ω" であったのなら、尚更だ。

 どんな言葉をかけようが、俯いてしまった天の罪悪感は拭えない。

 潤はゆっくりと、天の隣に腰掛けた。

 好意を自覚してしまうと、こんな状況下でもついつい触れたくなってしまう。 初めて体感したフェロモンの余韻が、ほんの少し触れ合ったところから否応なしに蘇ってくる。


「……俺に使った抑制剤、どうしたんだよ。 誰かに貰ったの?」
「あ、……」


 潤の方をチラとだけ見た天に、どう返答すべきかを一瞬で判断しなければならなかった。

 偽り続けるべきか、この場で白状してしまうべきか───。


「いや、あれは僕が……あ、……そう。 救急車が到着して、僕が貰いに行ったの」
「……そうなんだ……」


 性別を偽ろうとした気持ちが痛いほど分かるがゆえ、潤は自らの性別を言わない事にした。

 潤がβ性であるからこそ助けに来てくれたと、そう思っていてくれた方が彼の重荷にならなくて済むと考えたのだ。

 Ωのフェロモンには決して抗えない、αの本能。

 偽っている証でもある剥き出しの首筋を見ると、こうしている今もむくむくとその欲は高まってくる。

 天はきっと、潤がαである事を知れば十中八九離れて行ってしまうだろう。

 起きてはならない間違いの可能性がある上、その危険性を誰よりも熟知し危惧しているはずだ。

 ……これまで以上に予防に努めよう。 潤の性別が枷になり天と離れなくてはならないのなら、そもそも受け入れたくなかったα性など捨ててやる。

 一大決心をした潤は、そっと天の手を取って瞳を覗き込んだ。


「天くん、気にしないで。 僕言ってたでしょ? 性別はそんなに重要じゃない。 天くんがどの性だったかなんて関係ないよ」
「………………」
「天くんが性を偽ってた気持ちも、よく分かる。 色々辻褄が合ったし」
「……俺、そんなにボロ出してた……?」


 さり気なく天の素肌に触れてみたが、何故だか本当に静電気は起きなくなった。

 予約したレストランに歩んでいた道すがら、天から触れられた時も温もった手のひらが直に体温を伝えてくれて気持ち良かったほどだ。

 思い返せば、天は静電気を確かめるように左右両方の手のひらで何度も潤に触れてきて、その後から様子がおかしくなった。

 泣きそうに顔を歪めたり、唖然と目を見開いたり、挙げ句の果てにはシュン…と肩を落としてしょんぼりしてしまい、一体どうしたのだろうと潤はジッとその様子を見下ろしていたが、結局その理由は分からないままである。

 しかしながら、今まで潤に語ってくれた真実を交えた嘘の辻褄なら合った。

 しれっと天の右手をにぎにぎしながら、潤はふわりと微笑む。


「学生時代バイトに明け暮れてたって言ってたのも、進路が就職一択だった事も、……お母さんを助けるためっていう大義名分だったんでしょ?」
「………………」
「本当は、これ以上迷惑かけたくないと思ったからだったんだよね。 抑制剤は高額だって聞くし、それに、お母さんのそばにいて天くんに何かあったらお母さんの責任になってしまう……そんなの、天くんが一番望まないもんね」
「………………」


 潤が優しく語る毎、天は瞳を覗き込めないほどに俯いてゆく。

 母親には、もう、負担も心配もかけたくない。

 項垂れた髪の隙間から僅かに垣間見える悲しげな表情が、そんな天の思いを表していた。

 

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