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◆ 誕生日の出来事 ◆
第四十三話
しおりを挟む今年のクリスマス・イブとクリスマス当日は、ちょうど土日と重なり店が大層賑わうため休みが取れなかった、と報告を受けた。
昨夜すまなそうに謝ってきた潤に、何ともあっさり「約束してたわけじゃないんだからいいじゃん。頑張ってな」と返答した天は、その三秒後、考えナシだった自身の発言を恨んだ。
『信じられない。 毎週末、僕と過ごすはずでしょ? 仕事納めは三十日って言ってたよね? 絶対に空けておいてね』
まったく!と、何故かいじけを通り越して怒られた。
潤と毎週末の約束などした覚えは無いのだが、叱られた天は首を傾げつつも「約束してたのかもしれない」と強気な潤の洗脳に掛かり始めている。
今日はクリスマス・イブ。
アルバイトの中で勤務歴が長く、文字通り看板店員の潤は冬休みにかこつけて開店から閉店まで居なくてはならないと話していた。
通常営業時はほとんどが女性客で賑わうBriseが、この時期だけはカップルで埋まるという話を聞くと、独り身が気安く休憩に行くのは躊躇われる。
天もこの日は土曜出勤の日であるため出社しているが、ほぼほぼパソコンでの事務作業が主だ。
定時で帰宅は出来そうだけれど、この二日はBriseに寄り道するのはやめておこうと思っている。
「───ヤバッ! 時任さん、どうしよう! データ飛んだかも!」
二年経っても未だ慣れない眼鏡を掛け、パソコンの画面を見詰めて真剣に内容を精査していた時だ。
天とは別の並びのデスクから、主任である時任にヘルプの声が掛かる。 その声の主は、普段から何かとドジを踏む私立大卒の中谷だ。
「は? 見せてみろ。 ……いやこのソフトはこないだアップデートされてから自動保存対応になったじゃん。 データ飛んでねぇよ、……ほら」
「ほんとだ! 良かったー! ありがとうございます!」
「つーか自動保存設定はみんな一緒にしたよな? それぞれ確認もしたよな? 中谷、一ヶ月前の事もう忘れたのか?」
「すんません……オレ昨日の晩メシすら覚えてられない人間なんすよ……」
「よくこの会社入れたな」
「強運だけは自慢っす!」
「ほう、年末ジャンボが楽しみだ。 当たったら全社員に焼き肉でも奢ってくれよ」
「そういう強運は無えっすよー!」
いたって冷静に笑う豊と、一見して面接で落とされてしまいそうなふわふわと緊張感の無い物言いの中谷は、度々こうした掛け合いをしてオフィス内を和やかにしてくれる。
天もこっそり笑っていると、豊がふとそばへ寄ってきた。
小さな声で「吉武」と呼ばれ、天のパソコンのキーボードに両手を乗せる。
"今日はあのそば屋にしよう"
軽やかなブラインドタッチでワードの画面に打ち込まれた文字を見た天は、それが昼食の話であるとすぐに察し、周囲に気付かれないよう小さく頷く事で返事とした。
よろしく、と白々しく天の肩をポンと叩いて自分のデスクに戻って行った豊の背中を、目で追う。
いくら画面に覗き見防止の保護フィルムが貼られているからと、私用を打ち込んだ豊の気がしれない。
ただ、ドキッとはした。
本当の性別を知った今でも、豊はつくづく「αっぽい」。 精悍な面立ちと緩く撫で付けられた髪、すらりと高い長身の彼は誰よりもスーツが似合う男だ。
部下の面倒見も良く、中間管理職一歩手前であるが故、上司からの理不尽な要求に頭を悩ませる事も多いようだがそれは信頼されている証拠でもある。
これまで自分の事で精一杯だった天は、豊の存在はもちろん同僚の人となりさえ見えていなかった。
人望の厚い理想の上司像を具現化したような豊は、よく知りもしないうちから天が決め付けていた通り、まさにαの威厳がある。
天はそっと、パソコンに向かう整然とした彼を見詰めた。
あんなに実直で、働き者で、厳しくもユーモアのある『理想の上司兼、夫』が浮気などするはずがないのに。 そろそろ豊の話くらい聞いてやってほしいと、近頃は顔も知らない彼の妻に不満を覚えている。
「……吉武くん、いいなぁ」
「んっ? な、なんでですか?」
天の隣のデスクに、いつの間にか赤石という名のメイクが濃いめな女性社員が腰掛けていた。 彼女は天がヒートで苦しんでいた際、豊に緊急抑制剤を融通したΩ女性である。
「主任と吉武くん、夏くらいから急に仲良くなったよね。 お昼は毎日一緒みたいだし。 羨ましいなぁ」
ヒソヒソと小声で「いいなぁ」を連発する赤石が、豊に憧れている女性社員全員の気持ちを代弁しているように聞こえた。
ここで誤解を招くような発言をすると、途端に天はつるし上げに遭うかもしれない。 特定の人ばかり構っているという難癖を付けられて、豊の株も下がりそうだ。
天は得意の嘘を交え、自らを卑下した。
「いや……俺いつも独りでご飯食べてたから、気を遣ってくれてるんですよ。 ほら、時任さんってそういうの許せない人じゃないですか。 それに俺、高卒入社組で勝手に劣等感持ってるし、みんなの輪に入りづらいの察してくださってるのかも」
「あぁ、そうなの? そんなの入社しちゃえば関係ないよ。 スタートラインはみんな一緒だよ?」
「そう言ってもらえてありがたいです」
「当たり前じゃん。 吉武くんが劣等感持つ事ないんだからね? 私なんてΩ性だよ、高卒がどうのって以前に世間の目が……」
「吉武、赤石、あと十五分なんだから集中しろよー」
赤石の言葉を遮って、デスクから豊の声が飛んだ。
「大体、なんで赤石がそこに居るんだ。 吉武が気になるのは分かったから、自分のデスクに戻れ」
「はーい、ごめんなさーい」
「……すみません」
肩を竦めてそそくさと立ち去る赤石に笑い掛ける豊が、天には「勤務中だぞ」と言わんばかりに窘めるような視線を寄越す。
まるで、授業中に無駄話をしていて教師に叱られた生徒の気分だった。
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