恋というものは

須藤慎弥

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◆ 静電気 ◆

第十六話

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… … …


 十時に駅で待ち合わせとなると、九時には起き出して支度をしなければならない。

 スヌーズ機能を二時間前から十分おきに鳴らしてやっとの事で目を覚ました天は、のそのそと支度をして寝ぼけ眼で電車に揺られている。

 起きてすぐは確実に頭が働かないと分かっていたので、前日のうちから着て行くものを準備していて正解だった。


「うー……眠い……。 眠いぃぃ……」


 ホームに降り立つと、揺れもないのに躓きそうになった。

 瞳をパチパチと瞬かせ、じわりと屈伸運動をしてみる。 これで眠気が飛んだかと言えばまったくだが、気休めにはなるだろう。

 朝から爽やかな笑顔をこれでもかと振りまいてくるであろう潤の前で、いかにも気だるそうにしていては失礼だという自覚はあるがどうしたものか。

 ドタキャンはしないから予定を来週にしてくれと、実は喉まで出かかった。

 しかし先延ばしにすると潤に色々と勘繰られて、あげく拗ねられても面倒だ。

 午前中を何とか耐え凌げば、眠気もだるさも午後からはわりと平気になる。

 とにかくそれまでの辛抱だ。


「天くん、おはよー!」


 駅の改札を抜けてすぐ、若々しくも落ち着いた低い声が案の定近付いてきた。

 今日も無邪気で可愛げのある笑顔を浮かべた背の高い潤は、シンプルでラフなシャツとパンツ、それほど丈の長くないネイビーのトレンチコートを羽織っていて、その辺のお洒落な大学生よりも着こなしている。

 やはり実際年齢よりも随分と大人っぽい。 そして天の予想通り、とても元気そうである。


「おはよ」
「……あれ、昨日やっぱり遅くまで飲んでたんじゃない?」
「いや全然。 ちゃんと二十一時で解散したよ」
「寝癖付いてる。 慌てて起きた感じ?」
「えっ……うそっ?」


 ふふ、と笑う潤の目線を頼りに、手櫛で自分の髪を梳く。

 連日豊からも揶揄われるように、敏い潤にも笑われるのではと予想して念入りに梳いたはずだったが、こうも毎日とは深い睡眠の間一体どんな寝姿をしているのだろう。


「天くん、お腹空いてる? 起きたばっかりなら食べられないかな?」
「ううん、お腹は空いてるよ」
「無理しなくていいからね」
「……うん」


 これではどちらが歳上か分からない。

 歩ける?と小さく首を傾げた潤に向かって素直に頷いてみせた天は、ゆっくりと歩き出した。

 朝食は潤がアルバイトをしているというカフェでモーニングを食べると話していたので、まずはそこで腹を満たして本日一回目の抑制剤を飲まなくてはならない。

 潤の見てくれからして、きっとそこは天には馴染みのない雰囲気の良いカフェだ。

 敷居が高い "カフェ" とやらの経験がないので、この時期で無ければもう少し楽しむ余裕があったのにと思うと残念としか言いようが無い。

 よたよたと歩く天に気付いた潤が、ふと立ち止まる。

 さり気なく道路側を死守していた潤を見上げて、天はやや見惚れた。 今日も絶好調に、目に見えないαオーラを背負っている。


「ねぇ、……天くん? どこか痛いの?」
「ん、何で? 痛くないよ」
「そう……」


 歩みの遅い天の歩調に合わせていた潤は、時折よろめく天の体をいつの間にか支えてくれていた。

 あからさまに眠そうにしていては潤にも失礼だからと気を張るも、思うように体が言うことをきかないのは単純に歯痒い。

 支えられていた事にも気付かず、早速 潤に気を使わせてしまっている。

 天はかろうじて働く頭でぼんやりと考えた。

 抑制剤を飲み始めて今日で五日目。 どうも日を追うごとにだんだんと副作用が強くなっている気がする。

 一昨日より昨日、昨日より今日と、翌日のだるさや眠気の強さが顕著だ。

 こんなにも制御出来ないほどの副作用は、昨夜豊に話した通り初めてである。


「……天くん。 今日は全部のプランやめて、どこかでのんびりしよっか」
「うん、……うんっ? なんで!? せっかくプラン考えてくれたのにっ?」
「だって天くん、ツラそう。 無理して来たんじゃない? 僕が駄々こねたから」
「いやそんな事な……」
「連絡してくれたら良かったのに。 僕、そこまで分からずやじゃないよ?」


 しまった、と天は顔を歪めた。

 寝癖を指摘される事よりも、潤にこれを言わせたくなかったのである。

 潤は、天への心配を通り越して悲しげな瞳をしていた。 先延ばしにしたくないからと、無理して出て来た天が完全に迂闊だった。

 日増しに強くなる副作用を自覚していたなら、潤には嘘を交えて断るのが正解だったのだ。

 申し訳ないという気持ちを全面に出していると、何故か目の奥が熱くなってきて潤の姿がぼやけてくる。


「……せっかく会えたし、こんなにツラそうな天くんを前にしてもまだ解散したくないと思ってる。 僕ってやっぱり、天くんから見ると子どもだよね」
「え、うん……? いや、ていうか……ごめん、俺が悪い」
「どうして天くんが謝るの。 目がうるうるしてる……熱でもあるんじゃ……、っ!」
「────ッッ!」


 肩を落とした潤の大きな手のひらが、天のおでこにぴたりと触れたその瞬間。

 天と潤は同時に息を詰め、二人は瞬時に距離を取った。

 天から僅かに遠退いた潤は自身の手のひらをまじまじと見ていて、天はというとそんな潤をぼやけた視界のまま凝視していた。

 今の今まで意識を飛ばす寸前だったはずの天の意識が、一気に覚醒したのが分かる。

 眦に溜まった雫が溢れた事を悟られぬよう、手のひらを見詰めている潤に隠れて天は袖口を濡らした。


「な、なんか大丈夫そうだ! とりあえずモーニング食べよ、なっ?」
「う、うん……、っ」


 お腹空いたなぁ!と空元気に呟いてみたものの、歩き出した潤の方を見られない。

 潤もどうやら何かに戸惑っている様子で、カフェへの道中何度も首を傾げていた。




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