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エピローグ
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今年の社交シーズンは慶事から始まる。
王太子クリストフの婚約者が決まり、そのお披露目があるのだ。
「やはりバルシュミーデ侯爵令嬢でしたのね」
「あの王太子殿下が心を開く唯一の方だとか」
「殿下が一目惚れしたのでしょう」
「ええ、本当にお綺麗な方よ」
大広間に集まった夫人たちが噂話に花を咲かせている。
成人していないブレンダは、この婚約式後の夜会が社交界デビューとなる。
昼の茶会などには出ているとはいえ、今夜その姿を初めて見る貴族も多い。
かつて社交界で「幻の花」と謳われたグランディ王女の娘を母親に持つブレンダの、母譲りの美貌は噂になっていた。
「おめでたい場ですけれど……第二王子のレアンドロ殿下がいらっしゃらないのが残念ですわね」
夫人の一人がため息をついた。
「まだお怪我が治らないのかしら」
「起き上がるのも難しいそうよ」
「まあ……お可哀想に」
レアンドロは騎士団の訓練に参加中、怪我をしたため離宮で療養していると公表されていた。
やがて今日の主役の登場を告げるファンファーレが響いた。
クリストフのエスコートで現れたブレンダの姿に、会場中から感嘆とため息がもれた。
「まあ……お美しいわ」
「本当に」
「噂には聞いていたけれど、本当に花のような髪色なのね」
今夜のブレンダは、小花を散らした裾の長いドレスに、ティアラを被った薄紅色の髪を結い上げている。
小さなダイヤモンドをレースのようにあしらった、大きなサファイアのネックレスを身につけた姿はまるで春の女神のようだった。
「ああ、やはり会場中がブレンダに見惚れているな」
わずかに口角を上げてクリストフが言った。
「……それは大袈裟だわ」
「いや、いつも見ている私でさえ見惚れるほど今日のブレンダは美しいからな」
クリストフの言葉にブレンダの耳がほんのりと赤く染まった。
そんなブレンダに、クリストフが満足そうに笑みを浮かべると会場からどよめきのような声が聞こえた。
「まあ、王太子殿下が笑ったわ」
「あんなお顔をなさるなんて」
「――人前で笑顔は見せないんだったな」
クリストフはすっと真顔になった。
「たが、隣に君がいるとなかなか難しい」
「……他の人に笑顔を見せてもいいわよ」
ぽつりとブレンダは言った。
「いいのか?」
「見せたくない気持ちはあるけれど……でもクリストフが本当は優しい人だって、皆に知ってもらいたいもの」
恐れられるよりも慕われる方がずっといい。
「そうか」
クリストフは笑みを浮かべると、ブレンダに顔を寄せその頬に口付けた。
会場から悲鳴のような歓声があがった。
「皆、今年も集まってくれたな」
国王のスピーチが始まった。
「周知のように、王太子も無事ブレンダ・バルシュミーデ嬢という素晴らしい婚約者を得ることができた。二人力を合わせてこの国をさらに発展させてくれるだろう」
歓声と拍手がわき上がり、自分が歓迎されていることにブレンダはほっとした。
スピーチの後は、貴族たちが国王夫妻、そして王太子と婚約者になったばかりのブレンダに挨拶をしていく。
まだ顔と名前が一致しないブレンダは、後ろに立つ侍従の助けを借りながらなんとかやり過ごした。
「疲れたか」
挨拶の列も途切れ、二階にあるバルコニーへと移動するとクリストフが尋ねた。
「……顔が固まりそうだわ」
ブレンダは頬をさすりながら答えた。
挨拶の間、顔が筋肉痛になりそうなほどずっと笑顔でいたのだ。
「それは大変だったな。だがあそこまで笑顔でいる必要はないと思うぞ」
「そう?」
「そのあたりの加減はこれから慣れていけばいい」
微笑みながらクリストフは言った。
「……そうね。それにしても、受け入れてもらっているみたいで良かった」
ほう、とブレンダは息を吐いた。
王太子の婚約者として相応しいか、評価されるのはこれからだろうが。
第一印象は悪くないようで安心した。
「当然だろう。既に王宮内でのブレンダの評判はかなり高いからな」
「そうなの?」
「『氷の王子を春の姫が溶かした』ともっぱらの評価だ」
「……春の姫?」
「その髪色と王族の血筋を引くからだろう」
(ああ……そういえばお祖母様は王女様だったのよね)
すっかり忘れていたけれど。
「ブレンダ。君は自覚がないようだが、既に社交界での君の評価は高い。きっと全ての貴族が受けて入れてくれているから、もっと自信を持っていい」
クリストフの言葉に、ブレンダは笑みをうかべて――すぐにその目を伏せた。
「……バックハウス家もそう思ってくれているかしら」
「まだ気にしているのか」
クリストフはブレンダの手を取った。
「そのことは向こうの責任だと、昨日謝罪を受けただろう」
王妃の実兄であるバックハウス公爵夫妻と昨日面談し、レアンドロによるブレンダ誘拐未遂について謝罪された。
公爵夫妻は知らなかったが、前公爵とレアンドロの間で、彼を手助けするというやりとりがあったという。
第二王子による王太子の婚約者誘拐など、起きてはならない事件のため公にはできないが、代わりに公爵はクリストフとブレンダに対し全面的な支持と忠誠を誓った。
事件のきっかけになったと、ブレンダがレアンドロとの婚約を断ったことに対して謝罪しようとしたのだが、「全てはレアンドロの責任だ」と断られてしまった。
(でも……やっぱり私が逃げなければ、誘拐事件は起きなかったはずなのに)
顛末を知る皆からブレンダに責任はないと言われるが――それでも、どうしても考えてしまうのだ。
現在、レアンドロはまだ離宮で軟禁状態にある。
表向きは怪我の療養で、実際は心身ともに鍛え直すのだという。
定期的に通い、剣の相手をしているダミアンが言うにはまだブレンダへの未練があるため、しばらくは外へ出られないだろう。
「また自分を責めているな」
クリストフがブレンダの眉間に指を当てた。
「……だって」
「レアンドロは騎士との訓練中に怪我をして離宮で治療中だ」
クリストフは立ち上がると、バルコニーから大広間を見下ろした。
「ここにいる貴族たちはそれを信じているし、それが『真実』だ。君とレアンドロとの間には何もなかった」
クリストフは振り返るとブレンダを見た。
「この先、そうやって『真実』を作り、隠すこともあるだろう。それが為政のためには必要な時もある」
「……ええ」
「難しいかもしれないが、割り切らなければならない」
「……そうね」
ブレンダは頷いた。
クリストフの言うことは分かっている。――それを受け入れられるかはまた別だけれど。
(でも……私が自分で選んだんだ。クリストフと一緒に生きるって)
たとえそれが理不尽だったり受け入れられないことだったりしても。
王太子妃として飲み込まないとならないのだ。
ブレンダは決意するように手を握りしめた。
「ブレンダ」
クリストフはブレンダの隣に戻ってくると、固く握られた拳に手を重ねた。
「そう深刻に考えなくてもいい。君に辛い思いはさせないから」
「クリストフ……」
「君のことは私が守る。だから君は笑顔でいて欲しい」
「――ありがとう」
ふっと緩んだような笑顔を見せたブレンダにクリストフが口付けると、大広間から歓声のような声が上がるのが聞こえた。
「……全く、一挙一動を見られているな」
小さく苦笑しながらクリストフは言った。
「さて、そろそろダンスが始まる時間だ」
クリストフの言葉にブレンダの表情が強張った。
国王主催の夜会では、最初のダンスは国王夫妻が踊ることが定例となっているが、今夜は主役であるクリストフとブレンダが最初に踊る。
人前で踊る初めてのダンスがファーストダンスというのはかなりのプレッシャーだ。
「深刻になるなと言っただろう」
クリストフは手を差し出した。
「私が側にいるからなんの心配もいらない」
「……ええ」
クリストフを見上げて微笑むと、ブレンダは差し出された手を取り立ち上がった。
「では下に戻るか」
「ええ」
クリストフの腕に手を絡めてブレンダはバルコニーから降りて行った。
(シスターになる夢は諦めたけれど……その代わりに私はお妃になって、国中の子供を守るんだ)
階段を降りながら、改めてブレンダは自分に言い聞かせた。
(そのためには大変なことがあっても乗り越えないと)
一人ではなく、クリストフとともに。
ブレンダが隣を見上げると、視線に気づいたクリストフがブレンダを見て、二人は笑顔を交わした。
大広間へ入る扉が開かれた。
二人の姿が現れると大きな歓声が湧き上がった。
おわり
最後までお読みいただきありがとうございました。
王太子クリストフの婚約者が決まり、そのお披露目があるのだ。
「やはりバルシュミーデ侯爵令嬢でしたのね」
「あの王太子殿下が心を開く唯一の方だとか」
「殿下が一目惚れしたのでしょう」
「ええ、本当にお綺麗な方よ」
大広間に集まった夫人たちが噂話に花を咲かせている。
成人していないブレンダは、この婚約式後の夜会が社交界デビューとなる。
昼の茶会などには出ているとはいえ、今夜その姿を初めて見る貴族も多い。
かつて社交界で「幻の花」と謳われたグランディ王女の娘を母親に持つブレンダの、母譲りの美貌は噂になっていた。
「おめでたい場ですけれど……第二王子のレアンドロ殿下がいらっしゃらないのが残念ですわね」
夫人の一人がため息をついた。
「まだお怪我が治らないのかしら」
「起き上がるのも難しいそうよ」
「まあ……お可哀想に」
レアンドロは騎士団の訓練に参加中、怪我をしたため離宮で療養していると公表されていた。
やがて今日の主役の登場を告げるファンファーレが響いた。
クリストフのエスコートで現れたブレンダの姿に、会場中から感嘆とため息がもれた。
「まあ……お美しいわ」
「本当に」
「噂には聞いていたけれど、本当に花のような髪色なのね」
今夜のブレンダは、小花を散らした裾の長いドレスに、ティアラを被った薄紅色の髪を結い上げている。
小さなダイヤモンドをレースのようにあしらった、大きなサファイアのネックレスを身につけた姿はまるで春の女神のようだった。
「ああ、やはり会場中がブレンダに見惚れているな」
わずかに口角を上げてクリストフが言った。
「……それは大袈裟だわ」
「いや、いつも見ている私でさえ見惚れるほど今日のブレンダは美しいからな」
クリストフの言葉にブレンダの耳がほんのりと赤く染まった。
そんなブレンダに、クリストフが満足そうに笑みを浮かべると会場からどよめきのような声が聞こえた。
「まあ、王太子殿下が笑ったわ」
「あんなお顔をなさるなんて」
「――人前で笑顔は見せないんだったな」
クリストフはすっと真顔になった。
「たが、隣に君がいるとなかなか難しい」
「……他の人に笑顔を見せてもいいわよ」
ぽつりとブレンダは言った。
「いいのか?」
「見せたくない気持ちはあるけれど……でもクリストフが本当は優しい人だって、皆に知ってもらいたいもの」
恐れられるよりも慕われる方がずっといい。
「そうか」
クリストフは笑みを浮かべると、ブレンダに顔を寄せその頬に口付けた。
会場から悲鳴のような歓声があがった。
「皆、今年も集まってくれたな」
国王のスピーチが始まった。
「周知のように、王太子も無事ブレンダ・バルシュミーデ嬢という素晴らしい婚約者を得ることができた。二人力を合わせてこの国をさらに発展させてくれるだろう」
歓声と拍手がわき上がり、自分が歓迎されていることにブレンダはほっとした。
スピーチの後は、貴族たちが国王夫妻、そして王太子と婚約者になったばかりのブレンダに挨拶をしていく。
まだ顔と名前が一致しないブレンダは、後ろに立つ侍従の助けを借りながらなんとかやり過ごした。
「疲れたか」
挨拶の列も途切れ、二階にあるバルコニーへと移動するとクリストフが尋ねた。
「……顔が固まりそうだわ」
ブレンダは頬をさすりながら答えた。
挨拶の間、顔が筋肉痛になりそうなほどずっと笑顔でいたのだ。
「それは大変だったな。だがあそこまで笑顔でいる必要はないと思うぞ」
「そう?」
「そのあたりの加減はこれから慣れていけばいい」
微笑みながらクリストフは言った。
「……そうね。それにしても、受け入れてもらっているみたいで良かった」
ほう、とブレンダは息を吐いた。
王太子の婚約者として相応しいか、評価されるのはこれからだろうが。
第一印象は悪くないようで安心した。
「当然だろう。既に王宮内でのブレンダの評判はかなり高いからな」
「そうなの?」
「『氷の王子を春の姫が溶かした』ともっぱらの評価だ」
「……春の姫?」
「その髪色と王族の血筋を引くからだろう」
(ああ……そういえばお祖母様は王女様だったのよね)
すっかり忘れていたけれど。
「ブレンダ。君は自覚がないようだが、既に社交界での君の評価は高い。きっと全ての貴族が受けて入れてくれているから、もっと自信を持っていい」
クリストフの言葉に、ブレンダは笑みをうかべて――すぐにその目を伏せた。
「……バックハウス家もそう思ってくれているかしら」
「まだ気にしているのか」
クリストフはブレンダの手を取った。
「そのことは向こうの責任だと、昨日謝罪を受けただろう」
王妃の実兄であるバックハウス公爵夫妻と昨日面談し、レアンドロによるブレンダ誘拐未遂について謝罪された。
公爵夫妻は知らなかったが、前公爵とレアンドロの間で、彼を手助けするというやりとりがあったという。
第二王子による王太子の婚約者誘拐など、起きてはならない事件のため公にはできないが、代わりに公爵はクリストフとブレンダに対し全面的な支持と忠誠を誓った。
事件のきっかけになったと、ブレンダがレアンドロとの婚約を断ったことに対して謝罪しようとしたのだが、「全てはレアンドロの責任だ」と断られてしまった。
(でも……やっぱり私が逃げなければ、誘拐事件は起きなかったはずなのに)
顛末を知る皆からブレンダに責任はないと言われるが――それでも、どうしても考えてしまうのだ。
現在、レアンドロはまだ離宮で軟禁状態にある。
表向きは怪我の療養で、実際は心身ともに鍛え直すのだという。
定期的に通い、剣の相手をしているダミアンが言うにはまだブレンダへの未練があるため、しばらくは外へ出られないだろう。
「また自分を責めているな」
クリストフがブレンダの眉間に指を当てた。
「……だって」
「レアンドロは騎士との訓練中に怪我をして離宮で治療中だ」
クリストフは立ち上がると、バルコニーから大広間を見下ろした。
「ここにいる貴族たちはそれを信じているし、それが『真実』だ。君とレアンドロとの間には何もなかった」
クリストフは振り返るとブレンダを見た。
「この先、そうやって『真実』を作り、隠すこともあるだろう。それが為政のためには必要な時もある」
「……ええ」
「難しいかもしれないが、割り切らなければならない」
「……そうね」
ブレンダは頷いた。
クリストフの言うことは分かっている。――それを受け入れられるかはまた別だけれど。
(でも……私が自分で選んだんだ。クリストフと一緒に生きるって)
たとえそれが理不尽だったり受け入れられないことだったりしても。
王太子妃として飲み込まないとならないのだ。
ブレンダは決意するように手を握りしめた。
「ブレンダ」
クリストフはブレンダの隣に戻ってくると、固く握られた拳に手を重ねた。
「そう深刻に考えなくてもいい。君に辛い思いはさせないから」
「クリストフ……」
「君のことは私が守る。だから君は笑顔でいて欲しい」
「――ありがとう」
ふっと緩んだような笑顔を見せたブレンダにクリストフが口付けると、大広間から歓声のような声が上がるのが聞こえた。
「……全く、一挙一動を見られているな」
小さく苦笑しながらクリストフは言った。
「さて、そろそろダンスが始まる時間だ」
クリストフの言葉にブレンダの表情が強張った。
国王主催の夜会では、最初のダンスは国王夫妻が踊ることが定例となっているが、今夜は主役であるクリストフとブレンダが最初に踊る。
人前で踊る初めてのダンスがファーストダンスというのはかなりのプレッシャーだ。
「深刻になるなと言っただろう」
クリストフは手を差し出した。
「私が側にいるからなんの心配もいらない」
「……ええ」
クリストフを見上げて微笑むと、ブレンダは差し出された手を取り立ち上がった。
「では下に戻るか」
「ええ」
クリストフの腕に手を絡めてブレンダはバルコニーから降りて行った。
(シスターになる夢は諦めたけれど……その代わりに私はお妃になって、国中の子供を守るんだ)
階段を降りながら、改めてブレンダは自分に言い聞かせた。
(そのためには大変なことがあっても乗り越えないと)
一人ではなく、クリストフとともに。
ブレンダが隣を見上げると、視線に気づいたクリストフがブレンダを見て、二人は笑顔を交わした。
大広間へ入る扉が開かれた。
二人の姿が現れると大きな歓声が湧き上がった。
おわり
最後までお読みいただきありがとうございました。
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