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第六章

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「ブレンダが消えた?」
クリストフの低い声が響いた。

「どういう意味だ」
「侯爵家の御者から、いつまで待ってもブレンダ様が現れないと連絡がございまして……」
「護衛をつけていたはずだが」
「それが、途中でレアンドロ殿下に下がるよう命じられたとのことです」
「レアンドロ?」
「ご自身が送っていくからと……」
(……まさか)
先月、レアンドロからブレンダと婚約したいと申し出があったと国王から聞かされていた。
クリストフと婚約予定だから諦めるように諭したと。

だが、ブレンダがクリストフと婚約間近だとその前から知っていたであろうレアンドロがわざわざ国王に申し出たのだ。
そうすぐに諦めるとも思えない。

「レアンドロを探せ。大至急だ」
ガタン、と椅子から立ち上がるとクリストフはそう命じた。

  *****

身体が重い。
まるで深い沼の底に沈んでいるように、重くて息苦しい。
(……なに……)
ブレンダは重い瞼を上げた。

「気がついた?」
視線の先に、椅子に座るレアンドロが見えた。

(……え……)
「動かない方がいい」
起き上がろうとした途端に激しい眩暈に襲われた。
「ごめんね。あの場で君を連れていくのに使った薬がまだ身体に残っているから」
椅子から立ち上がったレアンドロが、ブレンダが横たわるベッドの側へ来た。
(くすり……)
ブレンダの記憶が戻ってきた。

レアンドロに「ごめん」と言われた直後、顔を布のようなもので覆われて。
変な臭いとともに意識を失ったのだ。
(くすり? ……つれていく?)
「……どこ……」
「ここはホテルだよ。あと二時間くらいで汽車が出るから、それまでには身体も動かせるようになるだろう」
「汽車……?」
「西へ向かうんだ。ブレンダは海を見たことがある?」
レアンドロは微笑んだ。
「冬の海は寒いけどとても綺麗だよ」

(海?)
西の海を擁するのはバックハウス公爵家だ。
レアンドロの母親である王妃の実家でもある。
王都からは汽車で五日はかかるはずだ。
レアンドロは公爵領へ向かうつもりなのだろうか。
(でもどうして……いえそもそも……)
何が起きているのだろう。
自分はレアンドロによって意識を失わされ――おそらく駅の近くのホテルへ運び込まれた。
そうして二時間後に西へ向かう汽車に乗るという。

(……待って……これって……)
「誘拐?」
「違うよ」
思わず呟いたブレンダの顔をレアンドロは覗き込んだ。
「僕たちが結ばれるための逃避行だ」

(――は?)
ブレンダは目を見開いた。


ドアをノックする音が聞こえ、レアンドロがそちらへと歩み寄った。
ドアの向こうから何か声が聞こえるとそっと開く。
「殿下……」
男性の声が聞こえた。

(……つまり、私は誘拐されて公爵領へ連れて行かれる……)
ブレンダは視線を窓へと送った。
カーテンがかかっているが、外は夜のようだ。
(夜明け前ということ……?)
二時間後に汽車が出ると言っていた。
夜に汽車は走らないから、おそらく朝一の汽車に乗るのだろう。

(もしも……本当に汽車に乗ってしまったら……)
この国の陸路で一番速いのは汽車だ。
特に王都から出る便は各鉄道会社が競い合い、最新の機体を使ってその速度も年々上がっていると父親から聞いたことがあった。
西の端にある公爵領へ向かうならば最長距離の列車に乗るだろう。
終点まで行ってしまえば馬では追いつけない。
そこまで考えてブレンダは青ざめた。

(……クリストフは……私がレアンドロ殿下と一緒だと……知っているのかしら)
ブレンダがいなくなったことは分かるだろう。
そうしてレアンドロも王宮にいないのだ。
それにブレンダについていた騎士たちが別れる直前のことを報告していれば気づくはずだ。

(でも問題は……私たちがどこにいるか分かっているのかどうか)
あと二時間。
汽車が出る前に見つけて助けてもらわなければ――。
ブレンダは思わず目を閉ざした。


「ブレンダ。まだ気分が悪い?」
声が聞こえて目を開くと、レアンドロが心配そうにブレンダを見つめていた。

「……今のひとは……」
「僕の護衛だよ。バックハウス公爵家の人間で乳兄弟でもある」
「乳兄弟……」
「お祖父様は僕の味方なんだ」
レアンドロは笑みを浮かべた。
「僕が王太子になれなかったことにとても怒っていて。好きな女性まで兄上に取られるって言ったらさらに怒って。王家なんか捨てて、二人こっちで暮らせば良いって」
「え……」
「僕たちが向かうのは公爵領に隣接している、お祖父様が暮らしている館だ。海のすぐそばでとても景色がいい。ブレンダもきっと気にいるよ」

(え……待って、これって……計画的犯行ってやつ?)
レアンドロのお祖父様というのは先代公爵のことだろう。
王妃の兄である公爵は、自分の甥ではないクリストフが王太子となることに反対はしていないと聞いたことがある。
公爵家は既に十分権力と影響力があるから王に自身の血筋が入らなくても構わないと。
けれど先代にとっては、可愛い孫が冷遇されるのは許せないのかもしれない。 

その先代と、今回の誘拐の件を――話を通して計画していたとしたら。


「……レアンドロ殿下……いけません」
ブレンダは言った。
「勝手にこんなことをするなんて……」
「勝手なのは他の者たちだよね。僕と婚約するはずだったブレンダを、兄上の婚約者にするなんて」
「それは……」
「それにブレンダも勝手だよ」
レアンドロはブレンダの顔を覗き込んだ。
「僕に会う前に婚約を拒否するなんて」

(勝手に……私の、せい?)
レアンドロがこんな行動を起こしたのは。
(私が……物語と違う行動をとってしまったから?)

「でも怒ってはいないよ、ブレンダは悪くない。だって僕のこと知らなかったんだものね」
レアンドロの手がブレンダの頬を撫でた。
「これからずっと一緒にいれば、きっと僕のことを好きになるし。兄上のことも忘れるよ」
呆然とした表情のブレンダに微笑むと、レアンドロはその白い額に口づけを落とした。
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