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第六章
02
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「浮かない顔だが、何かあったのか?」
ブレンダの顔を覗き込んでクリストフが尋ねた。
「あ……ごめんなさい、せっかくのお祝いなのに」
「それは構わないが」
クリストフの誕生日から二日後の休日。
ブレンダは王宮へ招かれた。
昨日もクリストフは公務のため登園できず、二人きりで誕生祝いをしたいと言われたのだ。
並んで座ったソファの前には、クリストフの誕生祝いだというのにブレンダの好きな菓子とお茶が並べられていた。
「ブレンダ」
クリストフはブレンダの手を取った。
「心配事があるなら言って欲しい。私にできることなら何でもするから」
(やっぱり……優しいわよね)
その眼差しや言葉から、彼の誠実さが伝わってくるのをブレンダは感じた。
「……実は一昨日、レアンドロ殿下に話があると声をかけられて……」
「レアンドロ?」
「それで……婚約して欲しいと言われたの」
「何だと?」
クリストフの声が低くなった。
「それで」
「お断りしたんだけど……私がクリストフに騙されているって何度も言われて……」
「私が君を騙す?」
「……兄上は冷酷で非道だからって」
「まさかそれを信じた訳ではないだろうな」
クリストフはブレンダの手を握りしめた。
「信じないわ。本当のクリストフは優しいって知ってるもの」
ブレンダだけでなく、クリストフは孤児院の子供たちや弟のヨハンにも優しい。
彼らの前でのクリストフの方が、きっと本来の姿なのだろう。
「でもレアンドロ殿下は、騙されている、私を解放するって繰り返してばかりで……。思い込みが激しいのかしら」
漫画でもその傾向はあった。
良く言えば一途で、時に周囲が見えなくなるほどのその一途さで剣を極め、ヒロインを守り抜いたのだ。
「ああ。レアンドロが王太子に選ばれなかった理由の一つでもある」
クリストフは言った。
「あれは自分の心をコントロールするのが下手だ。人の上に立つ王としてその欠点は厳しいものがある」
「……そうなのね」
確かに、冷静な判断ができない王は問題も多そうだとブレンダは納得した。
「――そうか、レアンドロが」
呟くとクリストフはブレンダの手を自分へと引き寄せた。
「ブレンダ。一刻も早く婚約したい」
「それは……」
「まだ迷っているのか?」
クリストフはブレンダの顔を覗き込んだ。
「君はまだシスターになりたいと思っているのか?」
「……それは、思っているわ」
ブレンダはクリストフを見つめ返して答えた。
「でも……シスターになったらできなくなることも沢山あるから……迷っているの」
「そうか」
クリストフは小さく頷いた。
「君が王太子妃、そして王妃になれば、この国中の子供を守り救うことだってできるだろう」
「国中の……」
「それが国を統べる者の役目だ」
クリストフはブレンダの頬に手を触れた。
「君がバルシュミーデ領で取り組もうとしている孤児院改革は、陛下や大臣たちも興味を持っている」
「……本当に?」
ブレンダは目を見開いた。
「ああ。上手くいけば他の領地でも行いたいと言っていた。ただしまだ先の計画だ、君がシスターになってしまえばできないだろうな」
「それは……」
「孤児たちのためにも、私の妃になってくれるか?」
クリストフはブレンダに額を重ねた。
(そういう聞き方は……ずるい)
ブレンダが断れないように、ブレンダの弱い所を突いてくる。
(――でも)
「……はい」
クリストフの瞳を見つめてブレンダは答えた。
一瞬目を見開いたクリストフは、すぐにその顔を綻ばせた。
「ブレンダ」
ブレンダの視界が青い光で満たされ――その唇に柔らかなものが触れた。
「……ブレンダ」
唇を離すと、クリストフはブレンダの頬に口付けた。
反対の頬、鼻、額とあちこちに口付けを落としていく。
「待って……」
「ブレンダ」
クリストフはキスの雨から逃れようとするブレンダの頬を両手で包み込んだ。
「愛している」
目の前の愛しい相手を見つめてそう言うと、クリストフはもう一度ブレンダの唇に口付けた。
*****
「王家から書簡が届いた」
三日後、ブレンダは父親の侯爵に呼び出された。
「王太子の卒業と同時にブレンダとの婚約を成立させると。お前も同意済みだというのは本当か」
「……はい」
ブレンダは頷いた。
「いいのだな。逃げることは許されないぞ」
「分かっています」
「納得したことか」
「はい」
「――ならばいい」
侯爵はどこかほっとしたような表情を見せた。
「早速準備をしないとならないな」
「準備?」
「王太子の婚約者となれば、成人前でも公の場に出る機会も増えるだろう。相応しい装いを揃えなければならない」
侯爵は机の上の書簡を手に取った。
「ドレスと宝飾品は王太子の方で用意するとあるが、他にも色々と必要だろう。商会を呼ぶからルイーズと相談して選ぶといい」
「はい」
「妃には相当の振る舞いや知識といったものが求められる。それらは追々身につけていけばいいが、覚悟は今からしておいた方がいい」
「……はい」
父親の言葉にブレンダは神妙に頷いた。
「婚約が決まったのね」
義母はそう言って微笑んだ。
「旦那様も安心したでしょうね」
「安心?」
「あなたが本当にシスターになってしまうのではと心配していたから」
「……心配するような人だったんですね」
ブレンダは呟いた。
以前に比べて関係は改善されてはいたけれど、その会話は少なく事務的で。
親しいという感じではないとブレンダは思っていた。
「――愛情表現は下手だけれど。父親としてあなたを気にかけているし、幸せになって欲しいと思っているのよ」
「……そうですか」
「私も……母親らしいことはできていないけれど、あなたには幸せになって欲しいと願っているわ」
「お義母さま……」
「あなたかシスターになってしまって家族の縁が切れてしまったら、ヨハンも悲しむでしょうしね」
「……そうですね」
確かに、ブレンダによく懐いてくれているヨハンと別れることになればきっと悲しむだろう。
(家族の縁かあ)
以前のブレンダは、家族の愛といったものには縁がないと思っていた。
それは前世の記憶を思い出してからは特にそうで、血の繋がりを実感することもなかった。
けれど、この王都で一年以上、義母やヨハンと暮らすようになって――少しずつ、家族というものが分かるようになってきた気がする。
(確かに、家族が家族でなくなってしまうのは……寂しいことかもしれない)
ブレンダはそう思った。
ブレンダの顔を覗き込んでクリストフが尋ねた。
「あ……ごめんなさい、せっかくのお祝いなのに」
「それは構わないが」
クリストフの誕生日から二日後の休日。
ブレンダは王宮へ招かれた。
昨日もクリストフは公務のため登園できず、二人きりで誕生祝いをしたいと言われたのだ。
並んで座ったソファの前には、クリストフの誕生祝いだというのにブレンダの好きな菓子とお茶が並べられていた。
「ブレンダ」
クリストフはブレンダの手を取った。
「心配事があるなら言って欲しい。私にできることなら何でもするから」
(やっぱり……優しいわよね)
その眼差しや言葉から、彼の誠実さが伝わってくるのをブレンダは感じた。
「……実は一昨日、レアンドロ殿下に話があると声をかけられて……」
「レアンドロ?」
「それで……婚約して欲しいと言われたの」
「何だと?」
クリストフの声が低くなった。
「それで」
「お断りしたんだけど……私がクリストフに騙されているって何度も言われて……」
「私が君を騙す?」
「……兄上は冷酷で非道だからって」
「まさかそれを信じた訳ではないだろうな」
クリストフはブレンダの手を握りしめた。
「信じないわ。本当のクリストフは優しいって知ってるもの」
ブレンダだけでなく、クリストフは孤児院の子供たちや弟のヨハンにも優しい。
彼らの前でのクリストフの方が、きっと本来の姿なのだろう。
「でもレアンドロ殿下は、騙されている、私を解放するって繰り返してばかりで……。思い込みが激しいのかしら」
漫画でもその傾向はあった。
良く言えば一途で、時に周囲が見えなくなるほどのその一途さで剣を極め、ヒロインを守り抜いたのだ。
「ああ。レアンドロが王太子に選ばれなかった理由の一つでもある」
クリストフは言った。
「あれは自分の心をコントロールするのが下手だ。人の上に立つ王としてその欠点は厳しいものがある」
「……そうなのね」
確かに、冷静な判断ができない王は問題も多そうだとブレンダは納得した。
「――そうか、レアンドロが」
呟くとクリストフはブレンダの手を自分へと引き寄せた。
「ブレンダ。一刻も早く婚約したい」
「それは……」
「まだ迷っているのか?」
クリストフはブレンダの顔を覗き込んだ。
「君はまだシスターになりたいと思っているのか?」
「……それは、思っているわ」
ブレンダはクリストフを見つめ返して答えた。
「でも……シスターになったらできなくなることも沢山あるから……迷っているの」
「そうか」
クリストフは小さく頷いた。
「君が王太子妃、そして王妃になれば、この国中の子供を守り救うことだってできるだろう」
「国中の……」
「それが国を統べる者の役目だ」
クリストフはブレンダの頬に手を触れた。
「君がバルシュミーデ領で取り組もうとしている孤児院改革は、陛下や大臣たちも興味を持っている」
「……本当に?」
ブレンダは目を見開いた。
「ああ。上手くいけば他の領地でも行いたいと言っていた。ただしまだ先の計画だ、君がシスターになってしまえばできないだろうな」
「それは……」
「孤児たちのためにも、私の妃になってくれるか?」
クリストフはブレンダに額を重ねた。
(そういう聞き方は……ずるい)
ブレンダが断れないように、ブレンダの弱い所を突いてくる。
(――でも)
「……はい」
クリストフの瞳を見つめてブレンダは答えた。
一瞬目を見開いたクリストフは、すぐにその顔を綻ばせた。
「ブレンダ」
ブレンダの視界が青い光で満たされ――その唇に柔らかなものが触れた。
「……ブレンダ」
唇を離すと、クリストフはブレンダの頬に口付けた。
反対の頬、鼻、額とあちこちに口付けを落としていく。
「待って……」
「ブレンダ」
クリストフはキスの雨から逃れようとするブレンダの頬を両手で包み込んだ。
「愛している」
目の前の愛しい相手を見つめてそう言うと、クリストフはもう一度ブレンダの唇に口付けた。
*****
「王家から書簡が届いた」
三日後、ブレンダは父親の侯爵に呼び出された。
「王太子の卒業と同時にブレンダとの婚約を成立させると。お前も同意済みだというのは本当か」
「……はい」
ブレンダは頷いた。
「いいのだな。逃げることは許されないぞ」
「分かっています」
「納得したことか」
「はい」
「――ならばいい」
侯爵はどこかほっとしたような表情を見せた。
「早速準備をしないとならないな」
「準備?」
「王太子の婚約者となれば、成人前でも公の場に出る機会も増えるだろう。相応しい装いを揃えなければならない」
侯爵は机の上の書簡を手に取った。
「ドレスと宝飾品は王太子の方で用意するとあるが、他にも色々と必要だろう。商会を呼ぶからルイーズと相談して選ぶといい」
「はい」
「妃には相当の振る舞いや知識といったものが求められる。それらは追々身につけていけばいいが、覚悟は今からしておいた方がいい」
「……はい」
父親の言葉にブレンダは神妙に頷いた。
「婚約が決まったのね」
義母はそう言って微笑んだ。
「旦那様も安心したでしょうね」
「安心?」
「あなたが本当にシスターになってしまうのではと心配していたから」
「……心配するような人だったんですね」
ブレンダは呟いた。
以前に比べて関係は改善されてはいたけれど、その会話は少なく事務的で。
親しいという感じではないとブレンダは思っていた。
「――愛情表現は下手だけれど。父親としてあなたを気にかけているし、幸せになって欲しいと思っているのよ」
「……そうですか」
「私も……母親らしいことはできていないけれど、あなたには幸せになって欲しいと願っているわ」
「お義母さま……」
「あなたかシスターになってしまって家族の縁が切れてしまったら、ヨハンも悲しむでしょうしね」
「……そうですね」
確かに、ブレンダによく懐いてくれているヨハンと別れることになればきっと悲しむだろう。
(家族の縁かあ)
以前のブレンダは、家族の愛といったものには縁がないと思っていた。
それは前世の記憶を思い出してからは特にそうで、血の繋がりを実感することもなかった。
けれど、この王都で一年以上、義母やヨハンと暮らすようになって――少しずつ、家族というものが分かるようになってきた気がする。
(確かに、家族が家族でなくなってしまうのは……寂しいことかもしれない)
ブレンダはそう思った。
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