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第五章

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「聞きました? マリアさん、婚約が決まったんですって」
廊下を歩いていたブレンダの耳に声が聞こえてきた。
「この間言っていた?」
「ええ、伯爵家の……」

(婚約かあ)
貴族の結婚は早く、学園在学中に婚約が決まる者も多い。
ブレンダのクラスでも婚約が決まったという話はちらほら耳にする。
(婚約とか結婚なんて、実感湧かないけど……)
前世の記憶では、十代で結婚するのは少数派だった。
それにブレンダはシスターになりたいと思っていた。
結婚という選択肢は頭になかったのだ。

(でも、もしも……結婚するなら、相手はクリストフになるのかしら)
クリストフに恋心があるかは、正直ブレンダにはよく分からない。
けれど彼に好意を抱いているのは確かだし、自分の夢を理解し、それに協力してくれる結婚相手というのは理想的だと思う。
(だけど王太子と結婚ということは、王太子妃……ゆくゆくは王妃になるのよね)
自分がそんな立場になれるとは思えないが。

(漫画のように破滅したくなくて家出をしたら、王太子に婚約して欲しいなんて言われるなんて……)
本来だったら、自分が婚約していたのは――。

「ブレンダ嬢」
背後から声をかけられ、ブレンダは立ち止まった。


「……殿下」
「帰り?」
振り返ったブレンダと視線を合わせて、レアンドロは笑顔を見せた。
「はい」
「こんな時間まで生徒会だったの?」
「いえ、今日は図書館に寄っていました」
孤児院改革のことで調べ物をしていたのだ。

「……殿下もこの時間まで残っておられたのですか」
もうすぐ日が暮れる。こんな時間まで王子が残っているのだろうか。
「剣の訓練だったんだ」
ブレンダの問いにレアンドロはそう答えた。
「今度の剣技大会のためですか」
「ああ、次は決勝まで行きたいからね」
(やっぱり……口をきかないのは無理よね)
向こうから話しかけてくるのを無視したり、逃げたりするのは失礼だろう。

「そうだブレンダ嬢、ちょうど良かった。頼みたいことがあるんだ」
「頼みですか?」
レアンドロの言葉にブレンダは首を傾げた。
「そこのベンチへ座ろう」
周囲を見回して、レアンドロは近くにある中庭のベンチへブレンダを促した。


「生徒会は忙しいの?」
ベンチへ腰を下ろすとレアンドロはそう尋ねた。
「いえ」
「二年生ばかりで大変じゃない?」
「皆さん親切にしてくれます」
「そう……」
「それで、頼みとは何でしょう」
「うん。来月、王立植物園でお茶会が開かれるよね。そこでパートナーになって欲しいんだ」
「パートナー……ですか」
「ああ」

「あの……申し訳ありません」
ブレンダは頭を下げた。
「その日は、王太子殿下と既にお約束をしていまして……」
「兄上と?」
思いがけないほど鋭い声が聞こえた。

「――それは、命令されたの?」
「いえ、そういう訳ではありません」
「……去年も一緒にいたよね」
「はい」
「どうしてブレンダ嬢は、兄上と一緒にいるの?」
ブレンダを見つめてレアンドロは言った。
「何人もの女性が兄上に泣かされたのは知っているよね。冷たくて酷い人なんだよ」
クリストフに近づいた女性が拒絶され泣いたという話は、ブレンダも何度か聞いている。
けれどクリストフの事情を知っているブレンダからすると、確かに彼の対応にも問題はあるが、仕方のないところもあるではないかと思う。
周囲から冷酷だと思わせるよう振る舞っているのはクリストフ自身なのだ。

弟であるレアンドロもクリストフとの交流はほとんどないと聞いている。
だから彼は、兄の本当の性格を知らないのだろう。

「……王太子殿下は、恐ろしい方ではありません」
それでも少しでも理解して欲しいと思い、ブレンダはそう返した。

「ブレンダ嬢は兄上に騙されているんだ」
「騙すだなんて、そんなことは……」
「兄上を信じてはダメだ。あの人は権力のためなら何でもする冷酷な人だから」
ブレンダを見つめてレアンドロは言った。



「また……兄上が」
自分が欲しいものを奪っていく。
ブレンダの後ろ姿を見つめてレアンドロは唇を噛み締めた。

植物園のお茶会で出会った、花色の髪を持った彼女は、その温室に咲くどの花よりも美しく、ひと目で心を奪われた。
ブレンダと名乗った彼女はバルシュミーデ侯爵家の令嬢で年齢が同じ。
(ああ、彼女が僕の、運命の相手だ)
レアンドロがそう思った次の瞬間。

「ブレンダ!」
レアンドロの前に現れたのは兄のクリストフだった。
彼女の名を呼び、当然のように手を差し出しレアンドロを牽制する。
そうしてクリストフはブレンダを連れて行ってしまった。
(どうして……兄上が)
レアンドロは二人が立ち去っていくのを見送るしかできなかった。


側妃の子クリストフと、正妃の子レアンドロの歳は半年違い。
レアンドロが王太子となってもおかしくはないし、幼い頃はレアンドロが王太子になるのだと周囲から言われ、レアンドロもそのつもりだった。
けれど、成長するにつれクリストフの評判が高くなり、結果、国王はクリストフの方が優秀だとして彼を王太子にすると宣言した。

(兄上の方が優秀だからじゃない……周囲を威圧しているからだ)
冬のような色彩そのままに冷淡なクリストフは冷酷で非情な性格で、周囲を支配し従えていると聞いていた。
そしてその冷酷さで婚約者候補の女性たちを泣かせてきているという。
(ブレンダ嬢も……兄上に無理矢理従わされているんだ)
兄の横暴さにレアンドロは憤りを覚えた。


花のように美しいブレンダは、幼い頃に読んだ絵本の中にでてきた、王子を救い、導く女神にそっくりで――兄に王太子の座を奪われた自分も救ってくれるのではないか。
そう思わせるほど、光に包まれているように眩しかった。

「僕の女神だけは……僕が守らないと」
レアンドロは手を握りしめた。
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