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第二章

03

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「ママ!」
ブレンダの姿を見るなり、半年前に比べて随分しっかりした足取りでロイが駆け寄ってきた。
「おかえり!」
「ただいま、ロイ」
ブレンダが抱き上げるとロイは嬉しそうに首筋に抱きついてきた。

「ロイはいつまでブレンダをママって呼ぶんだ?」
「ママだもん!」
呆れたようにカルロが言うと、ロイは頬を膨らませた。
「カルロ、仕事が決まったんですって?」
「ああ、大工の工房に住み込みで働くことになった」
ブレンダの言葉にカルロは笑顔を見せた。

「おめでとう。怪我に気をつけてね」
「ああ」
「ご飯はちゃんと食べるのよ。先輩たちの言うこともしっかり聞いて、分からないことは素直に聞いた方がいいわ」
「そんなに言わなくても分かってるって」
「分かってるつもりでも、慣れない場所で忙しくしてると忘れるものよ」
「ブレンダって、時々年寄りくさい……いや、母親みたいに小言いうよな。俺、ブレンダと同い年だぜ」
「……心配だからよ」
少し前にドロテーアと同じようなことを話したなと思いながらブレンダは苦笑した。
前世の記憶のせいでブレンダの精神年齢は実年齢より高いのと、施設ではお世話する側が多かったため、どうしても保護者目線になってしまうのだ。

「お姉ちゃん」
ラナがブレンダの裾を引いた。
「リタお姉ちゃんは元気?」
「ええ、元気よ。次に来る時は一緒に来るわね」
「本当?」
ラナの顔がぱあっと明るくなった。
それまでリタは見習いだったので、外へ連れていくことはできなかったが、正式な侍女となったので今後はブレンダの外出に同行できるのだ。
「リタお姉ちゃんと折り紙したいの」
「じゃあ綺麗な紙をたくさん持ってくるわね」
「うん! 今日は新しい折り紙教えて」
「だめよ、今日は刺繍をするって約束だったわよ」
マリが抗議の声を上げた。
「刺繍難しいんだもの」
「じゃあ、先に刺繍をやって、その合間に折り紙もしましょう。難しくてもだんだん上手になってきてるから大丈夫よ」
ラナの頭を撫でてブレンダはそう言った。

「……やっぱりブレンダってお母さんだな」
カルロが小さく呟いた。



「突然ご訪問されるなんて驚きましたわ」
長い廊下を歩きながら、院長は隣の深く帽子を被った青年に話しかけた。
「教会に用事がありましたので。大叔母様の顔を見ていこうかと」
青年はそう答えて周囲を見渡した。
「……静かですね」
「一室に集まっているのでしょう。今日は皆の大好きな人が来ていますから」

「大好きな人?」
「子供たちにとって、お姉さんでありお母さんのような人ですわ」
「――そのような人がいるのですか。シスターではなく?」
「ええ」
「一体どんな……」

「こら! ラルフ待ちなさい!」
ふいに若い女性の声が聞こえた。
「持っていっちゃダメでしょ!」
「やだー!」
廊下の曲がり角から五歳くらいの少年が飛び出してきたかと思うと、白い手が伸びてその小さな身体を捕まえた。


「まったくもう。これはマリが頑張って刺繍しているのよ」
白い布を握った小さな手を、包み込むようにブレンダは握りしめた。
「ちゃんと返しなさい」
「つまんないんだもん! ブレンダあそんでくれない!」
「今日は刺繍と折り紙をするって皆で決めたでしょう」
「やだ!」

「まったくもう……」
逃げようとするラルフを抱き止めて、ブレンダは廊下の先に院長と、見慣れない男性がいるのに気づいた。
「あ……すみません」
来客がいたことに気づき、慌てて頭を下げるとブレンダはラルフを抱き上げた。
「ほらお客様が来ているから。部屋に帰りましょう」
「……ブレンダのひざ、すわっていい?」
「ええ、いいわよ」
ラルフに笑顔でそう答えて院長たちに頭を下げると、ブレンダは部屋へと戻っていった。



「――今の女性ですか」
ブレンダたちの姿が見えなくなって、青年が口を開いた。

「……ええ」
「貴族のようでしたが」
服装こそ平民が着るようなワンピースだったが、その日焼けしたことがないであろう白い肌や、艶やかな髪はよほど手入れをしなければ手に入らないだろう。
それに気品ある顔立ちが、彼女の身分が高い者であることを示していた。

「ええ。街で院の子供と出会って、それからよく遊びに来てくれるのよ」
院長は微笑んだ。
「皆彼女のことが大好きで、取り合いになるから大変なの」
年齢も性格も様々な子供たちだから興味があることも皆異なる。
ブレンダと一緒にやりたいこともバラバラだけれど、ブレンダは一人しかいない。
だから順番に、偏らないようにその日やることを決めているのだが、幼い子供たちにそれを理解させるのはなかなか難しいのだ。

「ブレンダと呼ばれていましたが、家門は?」
「……バルシュミーデよ」
「侯爵家の令嬢が? ……そうか、あの珍しい髪色はグランディ王家の色か」
グランディ王国は大国だが内争が多く、王侯貴族が亡命することも珍しくない。薄紅色の髪はグランディ王家の特徴であり、その血を引くブレンダもその特徴を引き継いでいるのだろう。

かつてこの国に亡命してきたグランディ王家の王女が、伯爵でもある護衛騎士に嫁いだ。
それがブレンダの祖母だ。

「――綺麗な髪色だ」
ブレンダの去った方を見つめたまま青年は呟いた。



「ブレンダさん、今日もありがとう」
ブレンダは帰る前に院長室に寄った。
「子供たちもいつも喜んでいるわ」
「私も楽しみにしているんです」
そう答えて、ふとブレンダは思い出した。
「先ほどはすみませんでした、お客様がいる前で」
「いえ、いいのよ。突然の訪問だったからこちらも迎える準備をしていなかったの。そうだわ、私もごめんなさいね、彼にあなたの名前を教えてしまったの」
「……そうですか」
「誤魔化そうかとも思ったのだけれど、この先会うこともあるでしょうから」
「貴族の方ですか?」
ちらと見ただけだし、帽子を深く被っていたので顔はよく見えなかったけれど、若い男性のようだった。

「王太子殿下よ」
「え?」
「教会に来たついでに寄ってくれたの。……世間では色々言われているけれど、本当は心根の優しい子なの」
少し寂しげに微笑みながら院長はそう言った。
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