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第2章 海の巡礼路(西洋編) フランシスコ・ザビエル
未知なる世界へ 1541年4月 リスボン
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<フランシスコ・ザビエル、シモン・ロドリゲス、ミセル・パウロ、フランシスコ・マンシラス、国王ジョアン3世、マルティン・アスピルクエタ(ナワロ博士)、セサル・アスピルクエタ>
1540年の秋から冬にかけて、リスボンにいる私たちイエズス会士の毎日はたいへん忙しいものだった。ポルトガルでも入会を希望する人がいて、会士は都合6人となっていた。
私がイエズス会におけるこの地の代表ということになるので、宮中での窓口としてさまざまな案件に取りかからなければならなかった。国王ジョアン3世に謁見が許される場合は直接依頼をし、無理な場合には王の側近に要望を伝える。宮中からも告解や説教といった司祭の仕事以外にも細々とした依頼を受けたのだ。
たとえば――「ポルトガル国王としてイエズス会を支援する」との公式文書をローマの教皇庁に出してもらいたい、またはローマへの資金援助を――などとお願いするのが大きな仕事だった。一国の王からの支援を得られるというのはたいへんなことなのだよ、アントニオ。すでに、ポルトガル国内においてイエズス会士の育成を行う「学院」については、既存の大学に併設するという約束を取り付けていた。しかし、ローマへの資金提供についてはあまり前向きな返答は得られていなかった。
国王ジョアン3世との折衝以外に、教会はもちろん、王宮や学校、異端審問所でも引き続き告解(告白)を聴いたり説教を行ったりした。
異端審問所に捕われた人々とたびたび面会して思ったことは――彼ら、彼女らの態度が「普通」だということだった。外の教会で行う説教と変わらないのだ。確かに、心証をよくするために敬虔(けいけん)な信徒を装う人がいたのかもしれない。しかし、すべてをそうだと言い切ることはできない。
私は9月のできごとにかなり大きな衝撃を受けていたし、それ以降は心に枷(かせ)をかけられたようだった。
それは、一緒にいた会士たちもそうだった。ただ、そのことについて話すことはどうしてもはばかられた。それぞれが皆自分なりに考えていたのだと思う。私が異端審問所に行くのを止めなかったのも、ユダヤ教徒からキリスト教徒へ真の改宗をすすめるというのが大義名分だったが、何がしか穏健な方法がないかと心の中で思っていたのだ。
逃げたり、避けたりするべきではないと感じていたのだ。
しかし、ポルトガル国の、国王の意に反することはできない。私はイニゴにポルトガルでの活動について手紙を書きながら、その矛盾をどうしたら解決できるのかずっと考えていた。
あの件については結局、イニゴには書かなかった。書けなかった。
そのようにして、1540年は暮れていった。
年が明けて、新年のあいさつのため王宮(サン・ジョルジュ宮殿)に出向いたとき、国王は相変わらずの早口でこう仰せになった。
「イエズス会の創立に関わったフランシスコ・ザビエル、シモン・ロドリゲス、あなたがたのどちらかに、ポルトガルに留まり宣教活動、育成活動に携わってもらいたいのだ。そして、インドへはどちらか一人が赴いてほしい。そのように変更してもらえないか」
私たちは相談したうえで追って知らせたい、と言上して退出した。
私たちはテージョ川を右手にして歩いていた。この川は河口にあたり、もう大西洋の一端である。見たこともないほど広大な川だ。冬の空にカモメが啼いているが、その声はどことなく淋しく聞こえる。船が何隻も見えるが人影はない。
春になるまでは、風も優しく吹いてはくれないのだ。
私の心はもう固まっていた。しかし、シモンはどうだろうか。私は彼にどうしたいかをまず尋ねた。彼がインドに行くほうを望むならば、私はもう一方を選ぶだろう。シモンは腕組みをしてしばらく考え込んでいた。そして、何とも難しい顔で言った。
「フランシスコ、とても難しい二者択一だ。もともとインドに行くつもりでリスボンまで来たのだから、あなたにも分かるでしょう。しかし、私には自信がない。言葉の違う異教徒の中に入り込んで、イエスについて理解してもらおうというのはたいへん難しいと思う。フランシスコ、私はどうしたらいいだろうか」
「……私は、インドに行きたいと思っている」
「フランシスコ……」とシモンが少し悲しげな表情で言う。
「おそらく、インドにはさらなる困難が待ち受けているだろう。今リスボンにいる会士を全員集めても現地の宣教には全く足りない。しかし、やはり先鞭(せんべん)をつけるためには誰かが行かねばならない。それならば、私が行きたいのだ」
「ああ、あなたは誰もしていないことに挑戦することが好きだった……」とシモンが静かに言う。
「シモン、それと、これは今あなたにしか言わない。他の誰にも言わないでおいてほしい。私たちの初期の誓願を覚えているかい?」
「清貧、貞潔、聖地巡礼ですね」とシモンは即答する。
「私は今でも聖地巡礼を諦めていない。結局、ヴェネツィアから巡礼船は出なかった。オスマン帝国とヨーロッパの連合軍はまたどこかの海で戦うだろうから、その手段ではイェルサレムに行くことはできない。でも、インドからならどうだろうか。そこにはかつてイスラム商人が紅海に胡椒(こしょう)を運んでいた航路がある。ということは、インドから船でイェルサレムに行く方が、地中海を行くよりはるかに至便ではないだろうか。私はイェルサレムに巡礼を果たしたい。それだけが目的でないことはもちろんだが、その手立てを探してみたいのだよ、シモン」
シモンは深くうなずいた。そして微笑みながら何度も、「うん、うん」というしぐさを繰り返した。
「そうでしたか。私はそれに気付いていませんでした。確かに、確かにそうですね。それならば私も行きたいですが、あなたか私、どちらかしか行けないのですよね……それならば、あなたが行ってください。そして、ローマのイニゴに聖地巡礼の誓願を果たした報告をしてください。私はポルトガルに残る役割を引き受けます」
そのあとで、私たちは宿舎では話せないようなことも話した。
異端審問の件である。
ジョアン3世が峻烈(しゅんれつ)な異端審問制度を今後も積極的に進めるつもりであることは明らかだ。国王の決定に反することは許されない。ただ、できるかぎり穏健な方法を取るようにしてもらえないだろうか。それを働きかけることはできないだろうか。
テージョ川のほとりを歩きながら、私たちは長くそれについて話し合っていたが、そのときによい考えは浮かばなかった。ただ、心の枷のようなものはお互いにあって、それを忌憚(きたん)なく声に出せたことには少しほっとしていた。
のちに私はひとつの方法を思いつき、実行することとなる。
それについては、あらためて話そう。
風はとても冷たく、長衣にマントを身につけただけの私たちには少し堪えた。
私たちの仲間であるミセル・パウロとフランシスコ・マンシラスは私とともにインドに行くことになっている。あと、ポルトガルで会士になった司祭が合流するかどうか、それはまだはっきり決まっていなかった。
船が出るまであと少しになった。
ポルトガルの都市コインブラには母マリアのまたいとこ、マルティン・アスピルクエタがいる。その話は何度もしただろう。
私が小さな頃からずっと目をかけてくれて、サラマンカ大学への進学を薦めてくれたにも関わらず、私はパリ大学に進んでしまった。その後も何かと相談に乗ってくれていたが、私がイニゴらと活動をはじめた頃から疎遠になってしまっていた。マルティンが現在、リスボン郊外のコインブラ大学で教鞭を取り、ナワロ博士と呼ばれていること、私に長い手紙をくれたことも言っただろう。彼はその後、もう1通長い手紙を送ってくれていたのだよ。
私は彼にぜひ会いたいと手紙を出していた。しかし、コインブラまで赴く時間を作れず時間だけが過ぎていった。
イベリア半島の大学がふたつ出たところで、ヨーロッパの大学について話そう。
12~13世紀にかけて、ヨーロッパの各地で大学が創立されている。これが草創期といえるだろう。最古とされるのはボローニャ大学で11世紀末の創立だといわれている。私の父、ホアン・デ・ハスが学んだ大学だ。
次に開かれたのがイギリスのオックスフォード大学、続いてフランスのトゥールーズ大学、ケンブリッジ大学(イギリス)、サラマンカ大学(スペイン)、ボローニャ大学から派生したパドヴァ大学(イタリア)、ナポリ大学、私の母校パリ大学、そして少し間を空けてモンペリエ大学(フランス)、そしてコインブラ大学(ポルトガル)が1290年に開かれている。
伝統を重ねてきたこれらの大学で学ぶことは大きな誇りである。そして、そこで教鞭を取ることは社会的にも認められた立場であることを意味する。マルティンはその最古の大学群の2つで教授をしていたのだから、その社会的な地位・名声というものは磐石だった。学識という意味で、私の血縁者の中でも抜きん出た存在だった。私などよりはるかに。そのことはこれまで語っていなかったので、ここで説明しておきたい。
船の出発が間近に迫ったある日、リスボンの私の宿所にマルティンの使者が訪れた。マルティンがリスボンに出てきており、ぜひ会いたいのだが、夕食をともに過ごさないかということだった。
私は驚いた。まさかマルティンがリスボンまで足を運んでくれるとは!
彼は、私が新たな修道会の一員であることに少なからず憂慮の念を抱いていた。それはリスボンで受け取った手紙の一部にも記されていた。ポルトガルに私たちが来たことで、その懸念はいくらか払拭(ふっしょく)されたと信じていたのだが、彼には私の活動を理解してほしいとずっと思っていたのだ。それこそ学生時代からずっと。そのためには、やはり直接話すほかはない。
私は使者に今夜マルティンの滞在先に行く旨を知らせた。その際に使者に一言釘をさされた。
「ナワロ博士はおおごとにしたくないと、コインブラ大学にも休暇としか告げていません。どうかこのことは内密に」
会ったら途端に説教を食らうのだろうか。
脱会しろといってコインブラに連れていかれるのではないか。
久々の再会が嬉しい反面、そのようなことも怖れていたのだよ、アントニオ。
わざわざ会いに来てくれたのに、本当にばかなことを考えたものだ。
しかし、私の気負いは全くの杞憂(きゆう)だった。
懐かしい顔!
少し白髪は増えて肥えていたものの、マルティンはとても元気そうだった。
マルティンは私を大きな抱擁で迎え、なかなか離そうとはしなかった。私はなすがままにされるしかない。その後食事のしたくができるまで、腰かけて少し話した。手紙でも書いていたように、彼は私のこれまでの道のりをよく知り、客観的に受け止めていた。
「フランシスコ、よく来てくれた。今日はゆっくり過ごそう。ああ、きみのイニゴはローマだったな。彼はリスボンには来ないのか」
「はい。彼は代表者としてローマにいます」と私が答える。
「そうか」
私は久しぶりに、家庭の食卓という座についた。マルティンがこの宿に頼んで特別にしつらえたのである。食事がたくさん出されたが、普段から粗食にしているので、なかなか食べ切れるものではない。これ以上は望めないほどの温かいもてなしを受け、これまでの空白を埋めるように、たくさんの話をした。
その途中で、マルティンが一人の老人を部屋に招き入れた。
「フランシスコ、この方を覚えているかな」
彼の言葉に、私は首をかしげた。どこで出会った人だったか……。
「久しぶりだな、フランチェスコ」
その老人の声に私ははっとした。そしてその姿をまじまじと見た。
「まさか!」
「ああ、分かったか」
髪の毛はすっかり白くなっていて、キュクロープスの目には皺が増えていたものの、間違いなくおじいさまだった。
なぜマルティンの隣におじいさまがいるのだ?
私の頭は混乱した。
戸惑うばかりの私を見て、マルティンが微笑みながら説明した。
かつて、シャビエル城を破壊するため王兵が迫ってきていた頃のことだ。
私の母マリアはその少し前からマルティンに、「自分の力では彼を守れない、おじいさまを預かってほしい」と頼んだのだ。そしておじいさまは夜陰にまぎれて城から遠路を馬で走り、マルティンのもとに逃げたのである。それからおじいさまはずっとマルティンの側にいたのだ。
マルティンは続けた。
「おまえは聡明だから気付いていただろうが、彼は訳あって公の場に出られないのだ。名前も仮のもので、セサル・アスピルクエタと名乗っている」
「あなたと母の苗字ではないですか。母の血縁の方ですか」
「いや……そうではないのだ」
マルティンもその先は語りづらいようだった。
「それもあるが、実はフランシスコ、この方はおまえとともに東洋に行きたいと言うのだ。従者として、彼を一緒に船に乗せてやってくれないか。彼の身分証明書は持っている。私の叔父であるとの証明書だ」
私は耳を疑った。
東洋に行きたい? そんな!
証明書があるかどうかという話ではない。
命の保証がない船の長旅である。彼の年齢では肉体的に耐えられるわけがない。しかも行く先はポルトガルよりはるかに暑い国、何より異教徒の地なのだ。
私は慌てて、マルティンに訴えた。
「私は教皇の命によりポルトガルに派遣され、その国王に委任されて宣教に行くのです。誰でも許可されるというわけではありませんし……ましてや、周りが知らない、聖職者ではない人物を従者にするなど無理ではないでしょうか」
私の反駁(はんばく)は想像していたのか、マルティンは落ち着いた様子のままだった。
「フランシスコ、本来ならばこの方は誰よりも資格を持っている。昔パンプローナ司教やヴァレンシア大司教、枢機卿(すうききょう、すうきけい)まで務められたのだよ」
私は驚いておじいさまの顔を見た。
おじいさまは頭を左右に振った。
「いや、ナワロ教授。私は聖職いっさいを返上した。だから、従者として同行したいのだ」
「なぜ、それほどの立場にあった方が……」
次々と出てくる新しい事実に、私はついていけない。おじいさまが言う。
「フランシスコ、おまえと私が知り合った頃のナヴァーラの王を覚えているか」
「ジャン・ダルブレ公です」
「私はダルブレ公の義理の弟なのだ」と彼は言った。
私にはその条件に該当する人物を一人しか思い浮かべることができなかったが、それはいわば伝説のようになっている人物で、眼前に当の本人がいるとは信じられなかった。当のおじいさまはふんぎりをつけたようで、マルティンを制して語りはじめた。
「当て推量することはない。私はチェーザレ・ボルジアだ」
その名を聞いて、私は言葉を失った。
ピエール・ファーブルが言っていたのは、彼のことだったのか。
チェーザレ・ボルジア、ヴァレンティーノ公爵。前世紀末の教皇・アレクサンデル6世の息子にして枢機卿だった人物。のちに聖職を全て投げ打ち、フランスの後ろ楯を得てイタリアの統一に取りかかった。イタリア中部をほぼ制圧するなど、その政治力と軍事的才覚で目覚ましい進軍を続けていた。しかし、教皇アレクサンデル6世が亡くなったのち、陥れられて囚われの身となる。スペインで補囚中に脱出し、ダルブレ王が治めているナヴァーラまで落ち延びて潰えるに至った。
私は自分の知っているチェーザレ・ボルジア像を必死に描いた。勇敢にして残忍、しかも常に沈着冷静で交渉にも長けている。ルネッサンスを体現する傑物であると、ものの本には書かれていた。
しかし、私はなおも確かめずにはいられなかった。
「その方はナヴァーラで亡くなられたと教わりました」
「チェーザレ・ボルジア、すなわち私が戦死したと言われているヴィアナ戦線。その場で私の甲冑を着ていたのはナヴァーラ軍の兵士だ。ジャン・ダルブレが私の身を案じて、パンプローナから夜陰に乗じて逆方向のシャビエル城に移したのだ。アラゴンに出自を持ち、王の義弟である私を一時亡き者にし、情勢が変わった時に切り札として使おうと思っていたのかもしれない。しかし、それがどこからか漏れて知られるに至れば、必ず私は狙われる。私がまたどこかで反旗を翻すのではないのか恐れている者はそこらじゅうにいるからな。スペインも、イタリアも、ローマも、フランスもだ。だから私が生きていることは決して知られてはならなかった。おまえの父ホアン・デ・ハスは王ダルブレの意を受けて、忠実に私を預かってくれたし、おまえの母は丁重に世話をしてくれた。おまえの一族以外に私が誰だか知る者はいない」
私は氷漬けになっていた幼い頃の疑問が、春の川のように解けて流れていくのを感じた。ああ、それほどの人物だからこそ、永い永い間隠者のように潜んでいたのだ。名を知ることもなかったのだ。幼い私が王について説いたのは、まさにアレクサンドロス大王のごとくローマから進軍していた人だったのだ。私の父はきっと世話をすることを快諾したのに違いない。そして王はチェーザレにナヴァーラ王国の再興を賭けていたのか。私は胸が熱くなった。
しかし、セサルすなわちチェーザレ・ボルジアを東洋への長い旅に同行させることに、まだ不安は残っていた。ジョアン3世は果たして、この従者を認めるだろうか。いや、逆にイエズス会に疑問を抱きはしないだろうか。それは絶対に避けたい事態だった。ポルトガル王の全面的な援助による布教なのだから、それだけは重々認識してもらわねばならなかった。マルティンが説明を加えた。
「今日もボルジア家の血はイタリア、フランス、スペインの領主・貴族に連なっている。この地にいるならば、この方に自由はない。だから一度儚き身となったこの方が残りの人生をどう過ごすかを考えるならば、東洋に行くというのもひとつの手段であると思う」
私はおじいさまを見て聞いてみた。
「チェーザレ、いえ、セサル。あなたは神に忠誠を誓い、イエズス会員になりますか」
「前者はイエス、後者はノーだ」と彼は即答した。そして続けた。
「船に乗る者全てがイエズス会員ではなかろう。また会は教皇庁に承認された修道会だ。そして私がそれといっさいの関わりを絶ったことはさっき言った。信仰という意味においてのみ私は主に忠誠を誓う。宗教や会派にではない」
「あなたらしいですな」
すでにセサルと二十年近くの付き合いがあるマルティンは、勝手知ったように相づちを打った。そして笑って私に告げた。
「フランシスコ、この方を懐柔する時間はたっぷりあるぞ。私はおまえの親族として、この方が共に赴いて下さるなら、それは光栄だと思っている。本当ならば、一族の今後を担う一翼である大切なおまえに、帰ってこられるかも分からない異国へなど行ってほしくない。私が代わりに赴きたいぐらいだ。ただ、おまえがどうしても発つというのであれば、おまえの苦しみや喜びをともに分かち合い、側で見守ってくれる存在がいてほしい。セサルがその役割を進んでしてくれるというのなら、これほど心強いことはない」
マルティンの心配はもちろん理解できた。私とて完全に平静な状況で赴くわけではないのだ。
「おじいさま、もしあなたが途中で病にかかったりした場合はどうするのですか」
「その地に置いて捨てればいい。船なら息絶えたのち海に葬ればいい。いずれにしても、私は戻る気はないのだから」
「わかりました」と私は困ったような、嬉しいような顔をした。
それから、話は大いに盛り上がった……と言いたいところだが、あまりに突然で重大なできごとに、私は気が動転してひっくり返ってしまったのだ。情けないことだ。
1541年4月7日、ポルトガル艦隊、旗艦サンティアゴ号率いる5隻のキャラック船がリスボンの港を出港する。
私をはじめとして、イエズス会士ミセル・パウロ、フランシスコ・マンシラス、ディエゴ・フェルナンデスが乗船している。責任者は新任のインド総督、兵隊に商人が大勢乗船している。国王ジョアン3世も見送りに出ていた。
そして、私の隣には従者として、セサル・アスピルクエタが立っている。
「船に乗るのは、おまえが生まれた年以来だ」とセサルが遠い目をして言う。
「きょうは私の誕生日なのです、おじいさま……いや、セサル」
「そうか……歳を取ったものだな。私も、おまえも……神は平等だ」とセサルが海を見て誰にともなく言った。
ふと空を見上げると、その高い高い上方に何か猛禽類が飛翔しているのが見える。
「あれは、何だろう」と私がつぶやく。
「鶚(みさご)だよ、フランシスコ」
セサルはそう言って、いつまでも空を眺めていた。
《第2章 海の巡礼路 西洋編 了》
1540年の秋から冬にかけて、リスボンにいる私たちイエズス会士の毎日はたいへん忙しいものだった。ポルトガルでも入会を希望する人がいて、会士は都合6人となっていた。
私がイエズス会におけるこの地の代表ということになるので、宮中での窓口としてさまざまな案件に取りかからなければならなかった。国王ジョアン3世に謁見が許される場合は直接依頼をし、無理な場合には王の側近に要望を伝える。宮中からも告解や説教といった司祭の仕事以外にも細々とした依頼を受けたのだ。
たとえば――「ポルトガル国王としてイエズス会を支援する」との公式文書をローマの教皇庁に出してもらいたい、またはローマへの資金援助を――などとお願いするのが大きな仕事だった。一国の王からの支援を得られるというのはたいへんなことなのだよ、アントニオ。すでに、ポルトガル国内においてイエズス会士の育成を行う「学院」については、既存の大学に併設するという約束を取り付けていた。しかし、ローマへの資金提供についてはあまり前向きな返答は得られていなかった。
国王ジョアン3世との折衝以外に、教会はもちろん、王宮や学校、異端審問所でも引き続き告解(告白)を聴いたり説教を行ったりした。
異端審問所に捕われた人々とたびたび面会して思ったことは――彼ら、彼女らの態度が「普通」だということだった。外の教会で行う説教と変わらないのだ。確かに、心証をよくするために敬虔(けいけん)な信徒を装う人がいたのかもしれない。しかし、すべてをそうだと言い切ることはできない。
私は9月のできごとにかなり大きな衝撃を受けていたし、それ以降は心に枷(かせ)をかけられたようだった。
それは、一緒にいた会士たちもそうだった。ただ、そのことについて話すことはどうしてもはばかられた。それぞれが皆自分なりに考えていたのだと思う。私が異端審問所に行くのを止めなかったのも、ユダヤ教徒からキリスト教徒へ真の改宗をすすめるというのが大義名分だったが、何がしか穏健な方法がないかと心の中で思っていたのだ。
逃げたり、避けたりするべきではないと感じていたのだ。
しかし、ポルトガル国の、国王の意に反することはできない。私はイニゴにポルトガルでの活動について手紙を書きながら、その矛盾をどうしたら解決できるのかずっと考えていた。
あの件については結局、イニゴには書かなかった。書けなかった。
そのようにして、1540年は暮れていった。
年が明けて、新年のあいさつのため王宮(サン・ジョルジュ宮殿)に出向いたとき、国王は相変わらずの早口でこう仰せになった。
「イエズス会の創立に関わったフランシスコ・ザビエル、シモン・ロドリゲス、あなたがたのどちらかに、ポルトガルに留まり宣教活動、育成活動に携わってもらいたいのだ。そして、インドへはどちらか一人が赴いてほしい。そのように変更してもらえないか」
私たちは相談したうえで追って知らせたい、と言上して退出した。
私たちはテージョ川を右手にして歩いていた。この川は河口にあたり、もう大西洋の一端である。見たこともないほど広大な川だ。冬の空にカモメが啼いているが、その声はどことなく淋しく聞こえる。船が何隻も見えるが人影はない。
春になるまでは、風も優しく吹いてはくれないのだ。
私の心はもう固まっていた。しかし、シモンはどうだろうか。私は彼にどうしたいかをまず尋ねた。彼がインドに行くほうを望むならば、私はもう一方を選ぶだろう。シモンは腕組みをしてしばらく考え込んでいた。そして、何とも難しい顔で言った。
「フランシスコ、とても難しい二者択一だ。もともとインドに行くつもりでリスボンまで来たのだから、あなたにも分かるでしょう。しかし、私には自信がない。言葉の違う異教徒の中に入り込んで、イエスについて理解してもらおうというのはたいへん難しいと思う。フランシスコ、私はどうしたらいいだろうか」
「……私は、インドに行きたいと思っている」
「フランシスコ……」とシモンが少し悲しげな表情で言う。
「おそらく、インドにはさらなる困難が待ち受けているだろう。今リスボンにいる会士を全員集めても現地の宣教には全く足りない。しかし、やはり先鞭(せんべん)をつけるためには誰かが行かねばならない。それならば、私が行きたいのだ」
「ああ、あなたは誰もしていないことに挑戦することが好きだった……」とシモンが静かに言う。
「シモン、それと、これは今あなたにしか言わない。他の誰にも言わないでおいてほしい。私たちの初期の誓願を覚えているかい?」
「清貧、貞潔、聖地巡礼ですね」とシモンは即答する。
「私は今でも聖地巡礼を諦めていない。結局、ヴェネツィアから巡礼船は出なかった。オスマン帝国とヨーロッパの連合軍はまたどこかの海で戦うだろうから、その手段ではイェルサレムに行くことはできない。でも、インドからならどうだろうか。そこにはかつてイスラム商人が紅海に胡椒(こしょう)を運んでいた航路がある。ということは、インドから船でイェルサレムに行く方が、地中海を行くよりはるかに至便ではないだろうか。私はイェルサレムに巡礼を果たしたい。それだけが目的でないことはもちろんだが、その手立てを探してみたいのだよ、シモン」
シモンは深くうなずいた。そして微笑みながら何度も、「うん、うん」というしぐさを繰り返した。
「そうでしたか。私はそれに気付いていませんでした。確かに、確かにそうですね。それならば私も行きたいですが、あなたか私、どちらかしか行けないのですよね……それならば、あなたが行ってください。そして、ローマのイニゴに聖地巡礼の誓願を果たした報告をしてください。私はポルトガルに残る役割を引き受けます」
そのあとで、私たちは宿舎では話せないようなことも話した。
異端審問の件である。
ジョアン3世が峻烈(しゅんれつ)な異端審問制度を今後も積極的に進めるつもりであることは明らかだ。国王の決定に反することは許されない。ただ、できるかぎり穏健な方法を取るようにしてもらえないだろうか。それを働きかけることはできないだろうか。
テージョ川のほとりを歩きながら、私たちは長くそれについて話し合っていたが、そのときによい考えは浮かばなかった。ただ、心の枷のようなものはお互いにあって、それを忌憚(きたん)なく声に出せたことには少しほっとしていた。
のちに私はひとつの方法を思いつき、実行することとなる。
それについては、あらためて話そう。
風はとても冷たく、長衣にマントを身につけただけの私たちには少し堪えた。
私たちの仲間であるミセル・パウロとフランシスコ・マンシラスは私とともにインドに行くことになっている。あと、ポルトガルで会士になった司祭が合流するかどうか、それはまだはっきり決まっていなかった。
船が出るまであと少しになった。
ポルトガルの都市コインブラには母マリアのまたいとこ、マルティン・アスピルクエタがいる。その話は何度もしただろう。
私が小さな頃からずっと目をかけてくれて、サラマンカ大学への進学を薦めてくれたにも関わらず、私はパリ大学に進んでしまった。その後も何かと相談に乗ってくれていたが、私がイニゴらと活動をはじめた頃から疎遠になってしまっていた。マルティンが現在、リスボン郊外のコインブラ大学で教鞭を取り、ナワロ博士と呼ばれていること、私に長い手紙をくれたことも言っただろう。彼はその後、もう1通長い手紙を送ってくれていたのだよ。
私は彼にぜひ会いたいと手紙を出していた。しかし、コインブラまで赴く時間を作れず時間だけが過ぎていった。
イベリア半島の大学がふたつ出たところで、ヨーロッパの大学について話そう。
12~13世紀にかけて、ヨーロッパの各地で大学が創立されている。これが草創期といえるだろう。最古とされるのはボローニャ大学で11世紀末の創立だといわれている。私の父、ホアン・デ・ハスが学んだ大学だ。
次に開かれたのがイギリスのオックスフォード大学、続いてフランスのトゥールーズ大学、ケンブリッジ大学(イギリス)、サラマンカ大学(スペイン)、ボローニャ大学から派生したパドヴァ大学(イタリア)、ナポリ大学、私の母校パリ大学、そして少し間を空けてモンペリエ大学(フランス)、そしてコインブラ大学(ポルトガル)が1290年に開かれている。
伝統を重ねてきたこれらの大学で学ぶことは大きな誇りである。そして、そこで教鞭を取ることは社会的にも認められた立場であることを意味する。マルティンはその最古の大学群の2つで教授をしていたのだから、その社会的な地位・名声というものは磐石だった。学識という意味で、私の血縁者の中でも抜きん出た存在だった。私などよりはるかに。そのことはこれまで語っていなかったので、ここで説明しておきたい。
船の出発が間近に迫ったある日、リスボンの私の宿所にマルティンの使者が訪れた。マルティンがリスボンに出てきており、ぜひ会いたいのだが、夕食をともに過ごさないかということだった。
私は驚いた。まさかマルティンがリスボンまで足を運んでくれるとは!
彼は、私が新たな修道会の一員であることに少なからず憂慮の念を抱いていた。それはリスボンで受け取った手紙の一部にも記されていた。ポルトガルに私たちが来たことで、その懸念はいくらか払拭(ふっしょく)されたと信じていたのだが、彼には私の活動を理解してほしいとずっと思っていたのだ。それこそ学生時代からずっと。そのためには、やはり直接話すほかはない。
私は使者に今夜マルティンの滞在先に行く旨を知らせた。その際に使者に一言釘をさされた。
「ナワロ博士はおおごとにしたくないと、コインブラ大学にも休暇としか告げていません。どうかこのことは内密に」
会ったら途端に説教を食らうのだろうか。
脱会しろといってコインブラに連れていかれるのではないか。
久々の再会が嬉しい反面、そのようなことも怖れていたのだよ、アントニオ。
わざわざ会いに来てくれたのに、本当にばかなことを考えたものだ。
しかし、私の気負いは全くの杞憂(きゆう)だった。
懐かしい顔!
少し白髪は増えて肥えていたものの、マルティンはとても元気そうだった。
マルティンは私を大きな抱擁で迎え、なかなか離そうとはしなかった。私はなすがままにされるしかない。その後食事のしたくができるまで、腰かけて少し話した。手紙でも書いていたように、彼は私のこれまでの道のりをよく知り、客観的に受け止めていた。
「フランシスコ、よく来てくれた。今日はゆっくり過ごそう。ああ、きみのイニゴはローマだったな。彼はリスボンには来ないのか」
「はい。彼は代表者としてローマにいます」と私が答える。
「そうか」
私は久しぶりに、家庭の食卓という座についた。マルティンがこの宿に頼んで特別にしつらえたのである。食事がたくさん出されたが、普段から粗食にしているので、なかなか食べ切れるものではない。これ以上は望めないほどの温かいもてなしを受け、これまでの空白を埋めるように、たくさんの話をした。
その途中で、マルティンが一人の老人を部屋に招き入れた。
「フランシスコ、この方を覚えているかな」
彼の言葉に、私は首をかしげた。どこで出会った人だったか……。
「久しぶりだな、フランチェスコ」
その老人の声に私ははっとした。そしてその姿をまじまじと見た。
「まさか!」
「ああ、分かったか」
髪の毛はすっかり白くなっていて、キュクロープスの目には皺が増えていたものの、間違いなくおじいさまだった。
なぜマルティンの隣におじいさまがいるのだ?
私の頭は混乱した。
戸惑うばかりの私を見て、マルティンが微笑みながら説明した。
かつて、シャビエル城を破壊するため王兵が迫ってきていた頃のことだ。
私の母マリアはその少し前からマルティンに、「自分の力では彼を守れない、おじいさまを預かってほしい」と頼んだのだ。そしておじいさまは夜陰にまぎれて城から遠路を馬で走り、マルティンのもとに逃げたのである。それからおじいさまはずっとマルティンの側にいたのだ。
マルティンは続けた。
「おまえは聡明だから気付いていただろうが、彼は訳あって公の場に出られないのだ。名前も仮のもので、セサル・アスピルクエタと名乗っている」
「あなたと母の苗字ではないですか。母の血縁の方ですか」
「いや……そうではないのだ」
マルティンもその先は語りづらいようだった。
「それもあるが、実はフランシスコ、この方はおまえとともに東洋に行きたいと言うのだ。従者として、彼を一緒に船に乗せてやってくれないか。彼の身分証明書は持っている。私の叔父であるとの証明書だ」
私は耳を疑った。
東洋に行きたい? そんな!
証明書があるかどうかという話ではない。
命の保証がない船の長旅である。彼の年齢では肉体的に耐えられるわけがない。しかも行く先はポルトガルよりはるかに暑い国、何より異教徒の地なのだ。
私は慌てて、マルティンに訴えた。
「私は教皇の命によりポルトガルに派遣され、その国王に委任されて宣教に行くのです。誰でも許可されるというわけではありませんし……ましてや、周りが知らない、聖職者ではない人物を従者にするなど無理ではないでしょうか」
私の反駁(はんばく)は想像していたのか、マルティンは落ち着いた様子のままだった。
「フランシスコ、本来ならばこの方は誰よりも資格を持っている。昔パンプローナ司教やヴァレンシア大司教、枢機卿(すうききょう、すうきけい)まで務められたのだよ」
私は驚いておじいさまの顔を見た。
おじいさまは頭を左右に振った。
「いや、ナワロ教授。私は聖職いっさいを返上した。だから、従者として同行したいのだ」
「なぜ、それほどの立場にあった方が……」
次々と出てくる新しい事実に、私はついていけない。おじいさまが言う。
「フランシスコ、おまえと私が知り合った頃のナヴァーラの王を覚えているか」
「ジャン・ダルブレ公です」
「私はダルブレ公の義理の弟なのだ」と彼は言った。
私にはその条件に該当する人物を一人しか思い浮かべることができなかったが、それはいわば伝説のようになっている人物で、眼前に当の本人がいるとは信じられなかった。当のおじいさまはふんぎりをつけたようで、マルティンを制して語りはじめた。
「当て推量することはない。私はチェーザレ・ボルジアだ」
その名を聞いて、私は言葉を失った。
ピエール・ファーブルが言っていたのは、彼のことだったのか。
チェーザレ・ボルジア、ヴァレンティーノ公爵。前世紀末の教皇・アレクサンデル6世の息子にして枢機卿だった人物。のちに聖職を全て投げ打ち、フランスの後ろ楯を得てイタリアの統一に取りかかった。イタリア中部をほぼ制圧するなど、その政治力と軍事的才覚で目覚ましい進軍を続けていた。しかし、教皇アレクサンデル6世が亡くなったのち、陥れられて囚われの身となる。スペインで補囚中に脱出し、ダルブレ王が治めているナヴァーラまで落ち延びて潰えるに至った。
私は自分の知っているチェーザレ・ボルジア像を必死に描いた。勇敢にして残忍、しかも常に沈着冷静で交渉にも長けている。ルネッサンスを体現する傑物であると、ものの本には書かれていた。
しかし、私はなおも確かめずにはいられなかった。
「その方はナヴァーラで亡くなられたと教わりました」
「チェーザレ・ボルジア、すなわち私が戦死したと言われているヴィアナ戦線。その場で私の甲冑を着ていたのはナヴァーラ軍の兵士だ。ジャン・ダルブレが私の身を案じて、パンプローナから夜陰に乗じて逆方向のシャビエル城に移したのだ。アラゴンに出自を持ち、王の義弟である私を一時亡き者にし、情勢が変わった時に切り札として使おうと思っていたのかもしれない。しかし、それがどこからか漏れて知られるに至れば、必ず私は狙われる。私がまたどこかで反旗を翻すのではないのか恐れている者はそこらじゅうにいるからな。スペインも、イタリアも、ローマも、フランスもだ。だから私が生きていることは決して知られてはならなかった。おまえの父ホアン・デ・ハスは王ダルブレの意を受けて、忠実に私を預かってくれたし、おまえの母は丁重に世話をしてくれた。おまえの一族以外に私が誰だか知る者はいない」
私は氷漬けになっていた幼い頃の疑問が、春の川のように解けて流れていくのを感じた。ああ、それほどの人物だからこそ、永い永い間隠者のように潜んでいたのだ。名を知ることもなかったのだ。幼い私が王について説いたのは、まさにアレクサンドロス大王のごとくローマから進軍していた人だったのだ。私の父はきっと世話をすることを快諾したのに違いない。そして王はチェーザレにナヴァーラ王国の再興を賭けていたのか。私は胸が熱くなった。
しかし、セサルすなわちチェーザレ・ボルジアを東洋への長い旅に同行させることに、まだ不安は残っていた。ジョアン3世は果たして、この従者を認めるだろうか。いや、逆にイエズス会に疑問を抱きはしないだろうか。それは絶対に避けたい事態だった。ポルトガル王の全面的な援助による布教なのだから、それだけは重々認識してもらわねばならなかった。マルティンが説明を加えた。
「今日もボルジア家の血はイタリア、フランス、スペインの領主・貴族に連なっている。この地にいるならば、この方に自由はない。だから一度儚き身となったこの方が残りの人生をどう過ごすかを考えるならば、東洋に行くというのもひとつの手段であると思う」
私はおじいさまを見て聞いてみた。
「チェーザレ、いえ、セサル。あなたは神に忠誠を誓い、イエズス会員になりますか」
「前者はイエス、後者はノーだ」と彼は即答した。そして続けた。
「船に乗る者全てがイエズス会員ではなかろう。また会は教皇庁に承認された修道会だ。そして私がそれといっさいの関わりを絶ったことはさっき言った。信仰という意味においてのみ私は主に忠誠を誓う。宗教や会派にではない」
「あなたらしいですな」
すでにセサルと二十年近くの付き合いがあるマルティンは、勝手知ったように相づちを打った。そして笑って私に告げた。
「フランシスコ、この方を懐柔する時間はたっぷりあるぞ。私はおまえの親族として、この方が共に赴いて下さるなら、それは光栄だと思っている。本当ならば、一族の今後を担う一翼である大切なおまえに、帰ってこられるかも分からない異国へなど行ってほしくない。私が代わりに赴きたいぐらいだ。ただ、おまえがどうしても発つというのであれば、おまえの苦しみや喜びをともに分かち合い、側で見守ってくれる存在がいてほしい。セサルがその役割を進んでしてくれるというのなら、これほど心強いことはない」
マルティンの心配はもちろん理解できた。私とて完全に平静な状況で赴くわけではないのだ。
「おじいさま、もしあなたが途中で病にかかったりした場合はどうするのですか」
「その地に置いて捨てればいい。船なら息絶えたのち海に葬ればいい。いずれにしても、私は戻る気はないのだから」
「わかりました」と私は困ったような、嬉しいような顔をした。
それから、話は大いに盛り上がった……と言いたいところだが、あまりに突然で重大なできごとに、私は気が動転してひっくり返ってしまったのだ。情けないことだ。
1541年4月7日、ポルトガル艦隊、旗艦サンティアゴ号率いる5隻のキャラック船がリスボンの港を出港する。
私をはじめとして、イエズス会士ミセル・パウロ、フランシスコ・マンシラス、ディエゴ・フェルナンデスが乗船している。責任者は新任のインド総督、兵隊に商人が大勢乗船している。国王ジョアン3世も見送りに出ていた。
そして、私の隣には従者として、セサル・アスピルクエタが立っている。
「船に乗るのは、おまえが生まれた年以来だ」とセサルが遠い目をして言う。
「きょうは私の誕生日なのです、おじいさま……いや、セサル」
「そうか……歳を取ったものだな。私も、おまえも……神は平等だ」とセサルが海を見て誰にともなく言った。
ふと空を見上げると、その高い高い上方に何か猛禽類が飛翔しているのが見える。
「あれは、何だろう」と私がつぶやく。
「鶚(みさご)だよ、フランシスコ」
セサルはそう言って、いつまでも空を眺めていた。
《第2章 海の巡礼路 西洋編 了》
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