16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

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第12章 スペードの女王と道化師

第一次宗教戦争

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 1562年もフランスにかかった重く立ち込める霧は晴れることがない。ポワシーの会談で教義のすり合わせを行ったのも、民衆にはあまり響きはしなかったようだ。ユグノーと呼ばれるカルヴァン支持の改革派はあちらこちらで反乱ののろしを上げている。

 この年あたりから出来事の名称は『第一次宗教戦争(第一次ユグノー戦争)』とされる。第一次といわれるからにはその先もあるということで、フランスは内戦状態になっていくのだ。
 ポワシーの会談まで、国王の母であるカトリーヌ・ド・メディシスはあくまでも、国教であるカトリックに改革派(新教、ユグノー)を巻き取っていく穏健な方針を取っていた。彼女自身が長いイタリア戦争でさんざん苦労してきたので、戦争状態を新たに作りたくなかったのだ。しかしその目論見はことごとく外れ、両者の対立は民衆も巻き込んで、どんどん広がるばかりだった。

 カトリーヌは変わらずにカトリックと改革派の代表のやり取りを重ねていたし、重臣にカトリックのみならず改革派の人間も採用していた。ただそれは宮廷内の話で、この頃からは民衆の蜂起に対して断固とした態度を取るべきだと考えるようになったのかもしれない。

 この内乱の端緒になった最初の事件は『ヴァシーの虐殺』である。
 それは1562年3月、カトリック派の筆頭であるギーズ公フランソワが起こしたものだった。ギーズ公は移動中、パリから東に250kmほどの位置にある町ヴァシーでミサに出席しようとした。しかしそこで改革派の信徒が納屋で集会をしているのを発見したのだ。先般発布された勅令では集会は禁じられていないが、町の区域外で行うという定めがあった。それを破っているとギーズ公は激昂する。一行はユグノーを追いたてようとして小競り合いになった。人々は石を投げて応戦したが、そのうちのひとつがギーズ公に当たった。彼は憤って叫んだ。
「ヴァシーからユグノーを追い出せ。抵抗するようなら殺せ!」
 武器を携帯している王の重臣の一行に対し、人々は何も持っていない。戦うためにそこに来たわけではないのだ。本来するべきではない行為だが、ギーズ公はユグノーの教会に火を付けさせ、抵抗する人はもちろん、そうでない人々も次々と打ち倒していった。
 この攻撃で62人の人々が死亡し、100人を越える負傷者が出た。

 改革派の重臣は黙っていなかった。これまでもたびたび登場しているコンデ公ルイである。彼は暗にギーズ公を指して、議会は「悪」であり王と摂政(カトリーヌ)をそこから解放するために戦うと宣言した。そしてロワール川沿いに軍備を敷いて改革派を保護する目的で出兵した。コンデ公が軍事要員を集めているのは前々から言われていたことである。それがいよいよ実行の段階に移ったのだ。あらかじめ想定しうる事態だったともいえる。

 コンデ公ルイは初めから戦うつもりだったが、当の発端ともいえる改革派の指導者カルヴァンは、ジュネーヴからこの事態をどうみていたのだろうか。ヴァシーはジュネーヴから400kmほどしか離れていない。コンデ公やナヴァーラ王アントワーヌ、同じく女王ジャンヌ・ダルブレなどブルボン家の改革派の面々はそれぞれ、カルヴァンと書面のやり取りを頻繁にしていたようだ。カルヴァンはもちろんことの成り行きを知っていただろうし、彼らを叱咤激励していただろう。
 もしカルヴァンがそこから一歩踏み込んで、みずからカトリックとの対話に臨んでいたならば、また状況は変わったかもしれない。彼は亡命者なので本国(フランス)に帰国したら身の安全は保証されない、と考えていたはずだ。それでもみずからの教義が国を二分していたのだから、すすんで対話するという手段はあったかもしれない。
 ただ、ここでカルヴァンを責めるのも酷な話だ。1562年のこのとき、彼は50代前半だったが、すでに人生の最晩年にあたっていたのだから。
 ちなみに、宗教改革の大きな流れを作ったマルティン・ルターはすでに14年前に亡くなっている。

 いずれにしても、フランスの宗教戦争には単にカトリックと改革派の対立だけではなく、有力な重臣の権力争いがあった。それはカルヴァンでもルターでもいかんともしがたいものがあっただろう。
 一方、当事者の摂政(母后)カトリーヌはどう考えていただろうか。泣き崩れただろうか。彼女はギーズ公とコンデ公に和解してもらわなければ……と尽力してきた。コンデ公とギーズ公を呼び、息子の臨終の床にまで和解の場を設けたのもまったく反故にされたのである。ギーズ公の頑迷はともかく、コンデ公も「王と摂政のため」に出兵に舵を切った。改革派に寛容であろうとするカトリーヌにはコンデ公を制止することができなかった。

 すっかり影が薄くなったが、フランス国王はカトリーヌの次男のシャルル9世である。このときまだ12歳になったばかりだが、細身で大人しい少年にもなにがしか思うところはあった。
 危険を避けて一時退避していたフォンテーヌブローの城からまたパリに戻るというので、王室は移動の準備に大わらわである。その合間に彼は側近のガスパール・コリニー提督に疑問を投げかけた。
「コンデ公がロワール川の防備に行ってしまったら、ガスパールもともに行くのだろうね」
 コリニー提督は改革派に属している。
 答えは当然「はい」なのだが、少年の寂しそうな問いに対して一言で済ませるわけにはいかない。
「国王陛下、母后さまが日夜カトリックと改革派の宥和に心を砕いておられるのはご存じでしょう。ギーズ公は専横の度が過ぎています。武器を持たない人々を160人も死傷させました。それで勢いづいて、各地の改革派信徒を同じような目に遭わせかねない状態なのです。ですので、私も行かねばならないのです」
 シャルルはゆっくりとうなずいている。
「どうしたら、こんな対立は終わるのだろうね……戦争など何の得もないと思う。イタリア戦争だって国費をすっからかんにしてまで続ける価値はなかった。僕は情けないよ。もっと年長で尊敬されるだけの力量を持って果敢にことを運べればよいのだけれど」
 コリニー提督はふっと優しい表情になる。
「僭越ですが、そのお気持ちはぜひずっと持っていていただきたいと存じます。さて、そういえば、国王陛下が成人になられた暁に各地を巡行する計画を母后さまがすすめていらっしゃいますがご存じですか」
「ああ、チラッとは聞いたけれど、この有り様では当分無理だろう」とシャルルは絵空事のようにつぶやく。
 提督はシャルルを元気づける。
「ですから、今のこの争いを早く終わらせるのです。改革派もカトリックを駆逐しようとしているわけではありません。自由な信仰の機会を与えてほしいのです。でもギーズ公は違います。母后さまもギーズ公の専横には懸念を持っていらっしゃる。彼さえ第一線から退けば、風向きは変わるだろうと私は考えます。そしてまた平和裡に対話を重ねていけばいいのです。そのために私も力を尽くします。そして、巡行の折にはぜひ国王陛下の後ろで守備に就かせてくださいませ。それはコリニー家にとってもたいへんな名誉にございますから」
 シャルルは満面の笑みをもって側近に応える。
「ガスパールがそう望んでくれるなら、僕も最高に幸せだ。ぜひそうさせよう。ただ……そのとき僕は実質的な国王と皆に認めてもらえるだろうか」
「私はそう思っております」と側近ははっきりと答える。

 シャルルは誰よりも、母のカトリーヌよりもコリニー提督に信を置いていた。形だけの国王であると自暴自棄に陥るシャルルを第一に思い、折りに触れて力づけてくれる。国王にとって、コリニー提督は父のような存在だった。

 1562年4月、ロワール川沿いの町、オルレアン、アンジェ、トゥール、ブロアはコンデ公の軍勢が攻略した。そして川を離れさらに南下してリヨンの町まで到達していった。改革派の保護のためという目的は初めのうちは守られていたようだが、彼らの通った後で逸脱した群衆の衝突が再び巻き起こるのだ。
 それは報復に次ぐ報復となって展開するのだった。
 平和理に話ができることなど、想像もできない事態となっていた。
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