16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

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第12章 スペードの女王と道化師

四行詩に込められたもの

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 パリから遠く離れたサロン・ド・プロヴァンスの町にも王の訃報が届いた。
 ミシェル・ノストラダムスの家には王家の使者がじかに持参したが、王妃カトリーヌ・ド・メディシスの直筆の手紙も添えられていた。その文面に、ミシェルの本『予言の書』(日本語ではそうなるが、実際は『預言』と同義である)についての言及はなかった。

 王の突然の死に打ちひしがれているが、次代の王となるフランソワを母后としてしっかりと支えていかねばならない。何よりも重要なのはフランスという国を守ることで、嘆き悲しんでいる時ではないと理解している。さきにノストラダムス先生がはるばるパリまでやって来て下さり、王家に対して明晰な助言を与えてくれたことを忘れてはいない。今後ますますあなたの助言が必要になるでしょう。ぜひとも力を貸してくれるよう切にお願いしたい。

 カトリーヌの手紙はそのような内容であったが、サロンの町でも王が危篤状態だという話は風に乗って届いていた。不幸な事故から2週間以上経っているのだから不思議なことではない。

 ミシェルはため息をついて手紙を折り畳んだ。

 国王が祝宴の最中、不幸な事故に遇いみまかられた。

 ミシェルは書棚から自著の1558年の改訂版を取り出すと、ページをめくった。すぐに著者ミシェルによる国王アンリ2世への献辞が目に飛び込んできた。ミシェルはそれにじっくり目を通すとページをパラパラとめくっていく。改訂版には900を越える四行詩を採録しているが、著者ならばひとつの詩句を見つけるのは難しくない。

 若き獅子は老人に打ち勝たん
 いくさの庭にて 一騎討ちのはてに
 黄金の檻の中なる双眼をえぐり抜かん
 酷き死を死ぬため二の傷は一とならん

 王の事故の報を聞いて、当のミシェルも真っ先にこの詩句を思い浮かべた。そして逐一検証を始めた。それを何度も何度も繰り返した。

 国王は50歳で年老いているわけではないが、モンゴメリー伯から見れば年長である。
 いくさの庭というのは違う。戦争が終わった後の祝宴の出来事なのだ。それでも、武装していればいくさの庭と解釈することができる。黄金の檻ばかりは、兜としか思われないだろう。しかも黄金といえば高貴な身分、いわゆる王を指すと誰もが思うだろう。双眼をえぐり抜くというのは明らかに違う。王が損傷したのは片方だったと聞いたが……傷が脳に達するという比喩はまさにその通りだ。

 詩の作者であるミシェルは王の事故をこの一編と結びつけてほしくないのだ。

 なぜならそもそも、この詩はアンリ2世の事故を予見するために書いたものではないのだった。力強い古の王が若い騎士と一騎討ちをし倒れるという故事は16世紀までの世界においていくつも存在していた。若い人の一撃が王朝の終焉を招くという筋立てで書いたものなのだ。まさか戦場でもない場所でアンリ2世が重傷を負うなどと誰が考えるだろう。その王に献辞までしているのに、分かっていたら誰がそんなことを書くだろうか。

 ミシェルは内心おののいていた。
 見方によっては最上級の不敬である。

 ただ、王妃カトリーヌから「今後も助けてほしい」という手紙を受け取ったことで、恐怖はいくらか薄らいだ。王妃の手紙にミシェルを責めるような気配はなかった。そして彼は王妃に回ってきた重圧のことを思う。王の子どもたちは……成人に近い年齢にはなっているが、意気軒昂に玉座に座るような性格には見えなかった。女子のエリザベートや王太子妃になったメアリー・ステュアートならばいくらか向いているだろうが。自分が新王を支えなければいけないという重圧は相当なものだろう。加えて、イングランドほどではないにせよ、近臣の対立がないとはいえない。その均衡を保つ役割もするのだろう。

 ミシェルはこれ以上の大事がないようにと祈りつつ、星を観察するために専用の屋根裏部屋に上がった。
「そういえば明るいほうき星が見えた日があったが、いつだったか……」とつぶやいてミシェルは空を見る。
 ほうき星、すなわち彗星は他の天体と異なり、運行の周期がわからない。現れかたも一様ではない。それだけに洋の東西を問わず、あまり喜ばしくない象徴としてとらえられている。ミシェルは彗星が単純に全て凶兆で、ゆっくり流れ去っていくだけのものとは思っていない。占星術も天文学同様「科学」だとミシェルは考えている。
 動きの法則は知られていないだけで、観察を積み重ねることで解明することができる。ただやはり彗星の登場にはしばしば驚かされてしまう。法則の見当がまったくつかない。ほんの数十年星を見たところで、それはまだまだ部分、途上に過ぎないというのは事実だった。

 次の世紀(17世紀)は後に科学革命ともいわれるほどめざましい進展を遂げるのだが、その芽はこの世紀にあった。ニコラウス・コペルニクスがその最先鋒である。彼の地動説はローマで話題に上っていたのでミシェルも知っていたかもしれない。ガリレオ・ガリレイがトスカーナで生まれるのはこのときより少しだけ後である(1564年生まれ)。

 星の動きで吉凶を読むのは行き当たりばったりではなくて、先人の観察の積み重ねである。その道は不可逆で未来へ向かっている。ミシェルの『予言』はその基本に沿ったものだった。多義的に暗喩的に示され、いつ、どこで、具体的に何が起こるかはぼかされる。もし万が一、全てがはっきり見えたとしても決してそのまま知らせることはない。予言ではあるが読み物なのだ。

 ミシェルはそれを四行詩で表現した。

 例えば、12世紀イングランド王のハロルド2世は王位に就いた年の戦いで頭もしくは目に矢傷を負って絶命した。それによって、アングロサクソンの系統からノルマン人へと王朝が切り替わった。同様の例は他にも挙げられるだろうが、四行詩にはそのような史実が下敷きにされていた可能性もある。ハロルド2世に取って変わったノルマン人の王ウィリアム1世がフランスに縁があることも付け足した方がよいかもしれない。

 いずれにしても、ミシェルはフランスを激励することはあっても、国王を打ち倒すような詩を書いたりはしなかっただろう。これまでも述べた通り、彼は反逆、異端の位置に置かれることをひどく気にしていたのだから。

 それをカトリーヌはぼんやりとでも理解していたのかもしれない。よいことかそうでないかはさておいて、彼女はこれまで以上に、ミシェルを頼りにするようになっていく。

 そして1559年、二つの結婚式と王の崩御が公表されると同時に、フランソワ2世は新国王となった。
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