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第12章 スペードの女王と道化師
ムッシュウ・ノストラダムス
しおりを挟む王宮の食卓は、誇らしくもやや緊張する場である。
20人は余裕で座れるだろうと思われる食卓に子どもたちと母親が着席している。給仕の人間たちが手際よくそれぞれに料理を提供していく。だがそれで夕食の始まりとはならない。
毒味役がまずそれぞれひとさじ食べて、「はい、美味でございます」と言葉を発してからが食事のスタートである。
食卓には肉や魚のローストや煮込みに添え物で装飾を施した皿がテーブルの人数分次々と並べられる。今日あるようなバゲットではないがパンやスープもある。夏の盛りだからか、料理には香辛料がふんだんに使われているようで辺りに食欲をそそる香りが充満している。
ミシェルは小さい子どもばかりの食卓に座って、静かに辺りを観察している。あえていうことでもないが、彼の子どもたちよりは大人しい。それは王家の人間として必要な礼儀作法を日々指導されているからだろう。それでもここには子どもたちの社会というのがあって、大人には分からない程度の規範に皆粛々と従っているようにも見える。
「ほら、苦手なものを避けてはいけないわ。何でもないようにいただかなくては」
子どもの王は意外なことに、きょうだいたちとは血の繋がりのないのっぽの娘だった。メアリー・スチュアートである。確かに年長の子どもではあるが血の繋がりがないのだから、それだけで王になれるはずもない。ここではあえて「王」と表現しているが、それは彼女が生後6日で王位を得た女王だからである。とはいっても、暴君よろしく皆に圧政を強いているわけではない。いちばん年長だという立場上、「お姉さん」として振る舞っているという方が正しい。加えてHer Majesty(威厳のある女性、すなわち女王)だという誇りもあって、いくらか指揮官のようになってしまうのだった。フランス王家の子どもたち、特に同じ部屋を与えられているエリザベートは威厳のある姉に深い愛情を抱いているようだった。
そんな子どもの王国を微笑ましく眺めながら、ミシェルは尋ねてみる。
「はて、メアリーさまのお誕生日を伺っていませんでしたな。もう13歳になられたのでしたか」
突然口を開いた老人(子どもにはそう見えた)に目を丸くしてから、メアリーはにっこりと微笑む。
「いいえ、まだですのよ、ムッシュウ・ノストラダムス。12月8日が私の誕生日なの」
「ああ、それではメアリーさまは人馬宮(射手座)ですな。自由に森を走り回る」
メアリーはうなずく。
「ええ、ギリシア神話のケイローンのように。あとは人に知恵を授けられるとよいのだけれど」
メアリーは賢い娘だとミシェルは瞬時に理解した。理解すると同時に、なぜか無性に楽しい気分になってきた。「賢い」というのは単に物知りであるとか、知識が多ければよいわけではない。知っていることを上手に組み合わせ、場に合わせて出したり引っ込めたりを自在にできる。それは賢いという条件のひとつだろうと彼は考える。そのような人に出くわすことは大人を含めてもそれほど頻繁ではない。好敵手に出会ったときの高揚感をミシェルが持つのは自然といえた。
そして、メアリーは少し恥ずかしそうにいう。
「ごめんなさい。生意気だと思われたのでは?」
「いいえ、ちっとも」とミシェルは答える。
「私は王妃さまの蔵書をよく見せていただくのだけれど、その中で最も美しいのは時祷書なのです。そこには黄道十二宮も描かれています。家庭教師にも教えてもらいました。だから人馬宮といわれてそれとわかりますし、決して幅広い知識があるというわけではありませんのよ。小さい頃ここに来て、フランス語を覚えるのにも一生懸命でした。王妃さまとおんなじ」と率直な言葉が流暢に流れてきた。
「メアリーは私よりよほど勉強熱心です。私はまだイタリア訛りがありますからね」とカトリーヌが応じる。
「王妃さまの智恵の泉にイタリアのトスカーナ訛りがあるのは素晴らしいことだと思います。この食卓にもその恩恵がいっぱい溢れています。私は王宮もフランスも大好きですので学ぶのがとても楽しいのです。あらいけない、冷めてしまうわ」
そういうとメアリーは鳥のローストに取りかかる。母親とフランスを誉められていると子どもたちも安心するらしい。皆にこやかにメアリーの話を傾聴して食事に戻る。
「そうね、あなたは王宮の気風に早くから馴染んで皆の模範にもなっている。このままずっと、ここにいてほしいわ」とカトリーヌはいう。
ミシェルは王宮の中で、最も考慮すべきは子どもたち同士の関係であるように思った。皆将来の王であり悪くても王位継承権を持つ最高位の貴族である。そして場合によっては王妃であり女王でもあるのだ。この子どもたちがどうなるか、どこへ行くのかというのは親にとっても、国にとってもたいへん重要なことなのだ。妻や子どもを時には切り捨てるイングランド王と決定的に異なるのはその点だろう。
カトリーヌはそういったもろもろの心配を相談するために自分を呼んだのだということが、改めて感じられる。彼女が人一倍苦労し、家族の愛に恵まれなかったことも影響しているのだろう。ミシェルは美味しい食事に舌鼓を打ちながら、王妃の相談役として何を伝えるべきかと考えていた。もちろん、明るく振る舞うスコットランド女王の行く末ーーもそこには含まれている。
その晩、ミシェルはずいぶん長い夢を見た。
ハッと目が覚めると朝はまだ遠く、鶏が鳴くきざしもなかった。彼は急いで灯りを灯してその夢を記していく。それから持参した天体図を見て計算を始める。それを仕上げると、間違いがないかともう一度丁寧に見直してさらに書き加えていく。王の家族には他に人馬宮の人間がいないことも確認した。
夢はあまり好ましいものではなかった。
だが、夢は逆の現実を示していることもあるのであくまでも参考程度にとどめておかねばならない。さきほど見た幸せな家族の食卓がーー人の入れ替わりが多少はあってもーーずっと続いていくのならばそれが一番なのだから。
それらを書き終えて、ミシェルは日の出まで少しだけ眠ることにした。眠りが浅いのは、さきの夕食がミシェルの胃にやや重たかったのも関係があるようだ。今後は少なめに盛ってもらわなければとも思う。
翌朝は部屋に朝食が運ばれてきた。
午前中、ミシェルは世話をしている女官にイングランドの王族の誕生日をできる限り知りたいと告げる。メアリーの今後についても知りたかったからだ。人馬宮は森を駆ける人の象徴で、活動的な分危険な領域に誤って踏み込んでしまうことがある。
イングランドはさきに亡くなったヘンリー8世の子どもたちと背後の有力貴族たちが王位を巡って政争を繰り広げている。王位を継いだエドワード6世は15歳で早世し、その後はジェーン・グレイ、メアリー1世と女王が擁立されている。ジェーン・グレイは9日間の在位ののち16歳で処刑された。
かつてエドワード6世はメアリー・ステュアートを妻にしようとしていた。彼女はそれを避けて母の祖国のフランスに亡命することになったのだ。それは正解だっただろうとミシェルは考える。それでなければ、メアリーはジェーン・グレイのような憂き目に遭っていたかもしれなかった。カトリックだったのでなおさらである。
いきさつを見れば、イングランドおよびスコットランドはメアリーにとって全体が危険な森である。カトリーヌが「ずっとここにいればいい」というのはそれを鑑みてのことだろう。
その辺りもさらに調べておかなければと考えつつ、ミシェルは朝食をとる。今日も王妃との会談が待っているのだ。
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