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第12章 スペードの女王と道化師
ホロスコープを読み解く
しおりを挟む1555年にようやく、フランス王妃カトリーヌ・ド・メディシスと医師・著述家のミシェル・ノストラダムスの会見が実現した。それから1カ月ほどプロヴァンスの人は王宮に留まるのだが、会見がどのようなものだったかについては、いくらか怪しい話も伝わっている。
〈新月の夜に日没の一時間後、磨かれて光った凹面の長方形の鋼板の四隅に鳩の血でエホヴァ、エロヒム、ミタトロン(メタトロンとも……著者注)、アドナイの名を書き、真っ白な布の上に置く。窓に近づき、死の天使アナエルを鏡面に呼び出す。そばには真新しい鉄のコンロがおかれ、真っ赤な石炭の上にアナエルの好きなサフランを投げる。そしてゆっくり十字を切った。同じことを四五日続けるとアナエルが金髪の子どもの姿で出てきて、ノストラダムスに従ったという。〉(※)
「会見」でなくて「儀式」である。話はまだ続いて、さらに怪しくなってくるのだが割愛する。この類いのものは後の風評とでもいうべきで、そのようなことをフランスの宮廷でやっていたとしたら皆正真正銘の異端ということになってしまう。
実際にミシェルがしたのは、王家のホロスコープを作ることだった。現在のホロスコープは円形を描いてそこに定点(誕生日など)の時点の天体配置を記していくのだが、ノストラダムスの描いていたそれは正方形を重ねて展開したような形である。16世紀ではそれが標準だったといえる。そして描くことより、ホロスコープをどう解釈していくかが何よりも重要なのだった。そして王家にとどまらず、他国の重要人物のものも作ったと思われる。
紙にこのような線を引いてホロスコープを書く
カトリーヌは自身や夫はもとより、子どもたちのことをさらに詳しく知りたいと伝えた。そして、ミシェルに打ち明け話をする。
「アルマナック(星読み)を見たのは3年前のことだったと思うけれど、そこに『1553年のこの日に生まれる子は世を統べるようになるだろう』というのがありました。私はその日に子どもを産んだのです。もちろん、アルマナックがそれを指しているのかは分かりません。ただ、子の誕生をずばりと指し示されたように思えて、強い感銘を受けたのです。その頃から、あなたに話を聞きたいとずっと願ってきました」
ミシェルはテーブルに紙を広げて1枚を選びカトリーヌの前に出す。
「マルグリット王女様ですね。確かにこの日の星の配置は少し特異でしたので、そのように書きました」
カトリーヌはうなずく。
「ええ、もちろんマルゴはまだ小さいし、今は他の子どもたちと何も変わらないわ。子どものうちは……私もそうでしたが、その先の人生がどうなるかなど皆目わからないでしょう。ただ、人の親としては当然ですけれど、子どもには幸せになってもらいたい。そして国を治める者として、王の資質があるのは誰なのか、私が最も知りたいのはそこです」
ミシェルは地元でも貴族の依頼で占いをすることがあるので、王妃の依頼に驚いたりすることはない。ただ、表現方法には工夫が必要である。例えば「人望がない」と出た場合は「一人で何かを追求するのに向いている」と言い換えるというようなことである。人に頼まれて占う場合には現代でも気を遣うところである。嫌な未来を告げられたくないのは誰も同じである。
一方、彼の刊行した『予言書』は4行詩の体裁で特定の現存する人物を取り上げてはいないし、時期も出していない。仄めかしほどのもので、自由に解釈ができる。
普通ならば、最新刊である『予言書』を大々的に宣伝するためにパリまで行った、いわゆるプロモーションツアーと考えるのが妥当だが、著者ミシェルにそのつもりは毛頭なかった。話題になればなるほど、人が読めば読むほど、支持する人が増えるのと同様に反駁したり、吊し上げようとする人も増えていくのである。サロン・ド・プロヴァンスで家族とのんびり暮らしたいミシェルにとって、話題になり過ぎることは禁忌だった。だからこそ、『予言書』は象徴に置き換えて書いたのである。王宮に行くのを今回まで引き延ばしていたのも勿体ぶった態度からではなく、「話題になりたくない」という、ただ一点だったといえなくもない。
カトリーヌは占い師ではないが、ミシェルが大仰な神秘主義者ではなく、もっと謙虚に天文学や文学を志向していることを理解したようである。また、真っ暗な部屋で生け贄を捧げて怪しげな儀式をしているのではなく、子の夜泣きの世話をする健気な父親であるところも大いに気に入った。王宮では子の夜泣きに困るような仕儀にはならないが、その気持ちは十分に分かるのである。
「王妃さま、お子さまがたの性格について星読みに見られる部分をお知らせしましょう。
フランソワ王太子さまは合理的にものごとを見る性質を持っておられます。戦争でも状況をよく把握し指揮できるでしょう。公明正大な性質は平和な治世により向いております。エリザベートさまはたいへん率直で聡明です。どちらに嫁がれてもうまく国同士を繋いでくれるでしょう。シャルル王太子さまは優しいですが感受性の強いお子さまです。心が傷つきやすいですので優しく接されてください。アンリ王太子さまは上にごきょうだいがいらっしゃるからか、少し甘えん坊で淋しがりやです。人と接することがお好きですので人前に出る機会を多く作ってあげるといいでしょう。そして、先ほどおっしゃられていたマルゴ王女さまですが、自然と中心になる方です。社交的ですし、器用に考えを切り替えることができます。人心を推し量り判断するという意味で人を統べるのに向いているといえますが、アルマナックに書いたのはそのようなことではないのです」
ミシェルの言葉を書き取っていたカトリーヌはふっと顔を上げる。
「それは、どのような?」
ミシェルは一瞬目を伏せて、それからカトリーヌを見る。
「王妃さまはかつて、フィレンツェで修道院に幽閉され群衆に襲われる寸前だったというお話を伺いました」
「ええ、他のメディチの人間は皆フィレンツェを出ていましたからね。修道院は安全だといわれても、四面楚歌でしたからいつでも縛り首に遭う危険がありました」とカトリーヌは淡々と語る。
ミシェルは顔をしかめる。
「それはさぞ、お辛かったことと存じます」
カトリーヌは当時の話をすることがほとんどなかったので、淡々と話している自分に驚いていたが、それに心からの同情の言葉をかけられるのもずいぶん久しぶりであるのに気がついた。少し動揺して涙ぐみそうになるのを抑えて、カトリーヌは話を進めた。
「ええ、でももう過ぎたことです。それで、マルゴのことは?」
ミシェルは軽くうなずきながら続ける。
「王妃さまがそのような目に遭ったのは、王妃さまが何か悪いことをしたからではありません。時代という大きな流れの中で分岐点になるような事件が起こります。それに巻き込まれただけなのです。それが人を強くしなやかに鍛える場合もあります。王妃さまは生き残られてフランス王妃になられた。あなたを放り出した者、痛めつけようとした者、強さを誇った者たちはどうなりましたか。おそらくは王妃さまのように安泰ではないでしょう。強い運を持つものは九死に一生を得るような経験をして、運命に向かっていくことができます。マルグリット王女さまについては、そのような運をお持ちだということをお知らせしたかったのです」
「フランスでも、何か動乱や戦争が起こるということかしら。もうさきの戦争も終わらせようとしているのに」とカトリーヌは顔を曇らせる。
ミシェルはあまりその先を言うべきではないように感じたので、いったん話を止める。
「王妃さま、戦争や内乱、疫病などは起こってほしくなくてもやって来てしまう場合があります。大事なのはそのようなときにどう向き合うかではないでしょうか。さて、今日は話し込んでしまいましたな。また続きは明日といたしましょう」
カトリーヌも了承する。
「そうですね、今夜はあなたが占ってくださった子どもたちを夕食に集めるわ。下のフランソワだけはおねむかもしれないけれど、どうぞ話してやってくださいな」
「御意、喜んで」とミシェルは答える。
怪しげな召喚儀式はない。
冒頭に挙げた参照文にはユダヤ教に由来する文言がある。家系にユダヤ教徒がいるミシェル・ノストラダムスはその秘儀的な教義に親しみを持っていたかもしれないが、それはキリスト教徒であるという大前提があってのことだ。
彼はあくまでも「星読み」で、カトリーヌと重ねていく対話はカウンセリングとでもいうべき作業だった。
(※)『ノストラダムスの生涯』竹下節子(朝日新聞社)より引用
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