16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

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第11章 ふたりのルイスと魔王2

遠回りのエヴァンジェリスタ

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〈ルイス・デ・アルメイダ、バルタザール・ガーゴ司祭〉

 永禄の元号を迎えた頃(1558)になると、守護(大名)という肩書で国を治める者はずいぶんと減っていた。
 かなり以前から守護大名間での戦いがあり、身内・家督争いの末に主家が絶える例、他の勢力に押されて規模を小さくしながら名を継ぐ家もあった。さまざまな変遷を経ているので、決していっときに減ったわけではない。しかし、永禄の時分には守護職が「侵さざるべき地位」ではなくなっていたことは確かである。肩書きに依らず、実力で土地を手にして軍勢を引き連れ上洛し、足利将軍を守る有力者としてお墨付きを得るのが通例になっていた。
 「将軍」という武士の長は、もう名目でしかないのだ。
 将軍が名目なら、守護もそれに準じていく。すでに美濃では土岐氏が倒され、尾張では斯波氏が追放され、周防・長門では大内氏が滅ぼされ、駿河・遠江では今川氏の治世が危機に瀕していた。

 現在では戦国時代というが、非常に曖昧かつ抽象的な区切りである。「いつからいつまでが戦国時代なのか」とこの頃の人に尋ねたら、何と答えるだろうか。

「うーむ、今の戦の世になった緒……やはり応仁の乱ではないんかや。各地で争乱が起こるようになったのはそこからだぎゃ。足利政権が揺らいどるもんで、皆がそれぞれの思惑で動くようになった。しかしな、それはものの書や言い伝えがあってはじめてわかることだで、生まれとらんわしにわかるわけないがや。いつまで? まだ只中だもんで分からん。わしに末を知ること能うかどうか……」


(戦国大名の嚆矢といわれる北条早雲像)

 尋ねるのが、守護家に在って戦記物語や公卿の日記も精読したような人ならば上記のように答えるかもしれない。そもそも、この頃戦っていた人のすべてが乱世のいきさつや複雑な関わりまで学んでいたとは思えない。
 敵が攻めてくる。
 戦う、懐柔する、同盟を組む、配下になる。
 生きる、死ぬ。
 その繰り返しに過ぎなかったのかもしれない。

 そもそも、戦国時代というのも後の人が名付けたものである。

 ついでにいえば、ルネッサンスという言葉も同じである。古代の芸術文化を復興させようという気概を持ち合わせていた人はいただろうが、当時の人にあまねく「今がルネッサンスだ」という認識があっただろうか。レオナルド・ダ・ヴィンチならば「今はルネッサンスだ」と言ったかもしれないが、そうだとしても時代の区分けではない。

 狭間(はざま)を進む人がいる。
 それは、国境(くにざかい)の山あいを進む人のことであるし、もっと大きなものの狭間を進むという意味でもある。

 永禄4年(1561)、ルイス・デ・アルメイダは筑前博多の町に立っていた。
 豊後府内からポルトガルの商船でこの地に到着したのである。かつて宋との貿易で栄えた古からの商都はこのときも変わらず賑やかだった。府内も人は多かったが、ここはもっと大きな町とアルメイダにもすぐ分かる。津には大小多くの船が停泊し荷役の人、迎える商人の声が喧騒の渦となって、ぐわんぐわんと響き渡る。町に移動してもせわしなく人が行き交い、のんびりしているとぶつかってしまいそうだ。その賑わいはアルメイダの故郷リスボンの港町を思わせたが、坂がほとんどないのが大きな違いだろうか。リスボンは坂ばかりなので、高所にいけば町を見下ろすことができる。アルメイダは坂の上で自分の町を見渡すのが好きだった。
 見回すとひとつ小山があり、そこからなら港を見下ろせそうだとアルメイダは思う。後で知ったが、その小山は「アラツ山」(荒津山)ということだった。

 町を眺めていると、彼を離れたところからじっと伺うような視線にいくつもぶつかる。それはそうだろう。黒衣の異国人が町中にポツンと現れたのだ。近年見かけるようになった髭面の商人とも違う。
「これは、これから私が常に出会う景色なのだろう」とアルメイダは心の中でつぶやく。

 彼は博多で世話をしてくれるという家を訪ねるために歩きだした。ロレンソ了斎という熱心な日本人信徒ーー今や宣教師の有能な助手であるーーが紹介してくれたのだ。

 アルメイダはロレンソと交誼をはかったことがないが、日本に最も早く入り、宣教の責任者となったトーレス司祭や、同じときに入国したフェルナンデス修士は山口でロレンソとともに活動していた。
 そもそもロレンソは旅をしながら、琵琶で音曲を奏で物語を語る仕事(琵琶法師)をしていたが、山口で宣教師の話に感銘を受け洗礼を受けた。以降はその活動を助ける役を進んで担っている。
 その白眉は、永禄3年(1560)に将軍足利義輝に拝謁した宣教師・ガスパル・ヴィレラの通訳をしたことだろう。
 かつて、フランシスコ・ザビエルがなしえなかった悲願を果たしたのである。
 日本という国の長に宣教の許可を受ける、それがザビエルの当初の目的だった。京では収穫なく引き上げざるを得なかったが、彼は国主といわれる地域の長から許可を得ることに成功した。大友義鎮(宗麟、豊後)、大内義興(周防・長門)である。その後大内氏が衰退したことで山口から引き上げたが、肥前に拠点を築いてきた。そこを足掛かりにしてようやく将軍への拝謁が叶ったのである。そして、珍重な品である砂時計を献上し宣教の許可を願い出た。
 そして許可を受けた。
 ただ、この冒頭でも書いたが足利将軍の権威は控えめにいってもだいぶ下がっている。それは宣教師たちもじきに知ることになるだろう。

 ヴィレラは1556年にゴアから到着したポルトガル人司祭だが、ここから京に落ち着き新たな拠点を築くことになる。ロレンソも京の都でそれを助けるのだ。

 上記は特筆すべき出来事であるが、永禄になると宣教師たちの様相も変わってくる。

 それはルイス・デ・アルメイダにしても同様だった。バルタザール・ガーゴ司祭とともに豊後で日本初の病院を開き、外科医として執刀にもあたっていた彼がなぜ博多の地に立つことになったのだろうか。

 前章と重複する部分もあるが、以下簡単に述べる。

 病院の運営は豊後の太守である大友義鎮の許可を受け、土地の提供もされ順風満帆で始まった。しかしその医術が人々の目には新奇に映る。漢方医が常駐していたので薬は素直に受け取れるが、器具や刃物を持っての治療は別だった。いかにも怪しげな魔術のように受け取られる。さらに悪意を持って見れば殺人者のように映る。この頃に大がかりな開腹手術がなされることはなかったので、魔術とか呪術とまでは見えないようにも思うが、人々にとってはたいそう恐ろしく思えたのだろう。
 さらに「間引き」という、子を捨てる慣習を憂いて孤児院も建てたことが悪い噂に拍車をかけた。「ばてれんは赤子に牛の乳を飲ませ、成長したらその子を食らう」などといわれるのである。
 このような噂の類いに付ける薬はない。
 それらの風評が攻撃の材料となった。
 特に太守の妻、奈多夫人は彼らを嫌っていた。それは致し方ない面もある。彼女は宇佐神宮の神官を務めていた家の出である。他の宗教にしゃしゃり出てほしくないのは道理だ。

 困難は他にもあった。人手不足である。
 外科医と助手が一人ずつ、漢方医が3人、看護師が一人、あるいは数人で切り盛りしていたのだが、漢方医は往診も担っていたのでたいへんな激務であった。じきに漢方医2人が倒れ、亡くなってしまう。風評に関わらず、医師の治療を必要とする人は絶えることがなかったのである。

 アルメイダはそれでも、宣教に務めながら医師として治療にあたるという理想を諦めてはいなかった。自分の外科医としての知識を、惜しまず伝授することにも取り組んでいた。

 最終的にアルメイダの理想を断ち切ったのは、1558年に出されたイエズス会東アジア管区の布告だった。
 具体的にいえば、「宣教地での医療行為を禁ず」という内容である。名指しではないが、豊後の病院の活動を軌道に乗せたいという一心で、「医師資格を持つ人を派遣してほしい」と願い出たアルメイダへの婉曲かつ直截な回答であった。

 結局、府内病院の存続は不可能になった。
 日本初の病院はこのように、数年で終焉を迎えることになったのだ。
 それだけではない。アルメイダの来日以来ずっと師として苦楽をともにしてきたバルタザール・ガーゴ司祭もゴアに戻ることになった。
 この後はトーレス司祭がアルメイダの直接の上長となる。
 トーレス司祭はアルメイダに開拓伝導の任務を与えた。おそらくは、府内病院が閉院のやむ無きに到ったので、アルメイダに新たな環境を与えようとしたのだろう。日本人とよく交わり、言葉も堪能なアルメイダに白羽の矢が立つのは自然な成り行きでもあった。

 山口から府内に移ってきたコスメ・デ・トーレス司祭やファン・フェルナンデス修士はスペイン人である。ポルトガル人のアルメイダから見て、宣教活動をする上で不都合が起こるわけではない。
 ただ、イベリア半島出身者のうちにある根の深い問題をひとつだけ見つけることはできるかもしれない。

 のちに彼は宣教師たちから内々に『Viva Rota』と呼ばれる。「生ける車輪」とでも訳したらいいのだろうか。これを彼に対する賛辞だと評している場合もあるが、それだけではない。Rotaーー丸という意味だがーーという言葉はイベリア半島において、ユダヤ教徒が常に身に付けなければいけない丸い印を指す言葉でもあるからだ。

 博多に立つアルメイダはいろいろなことをよく分かっている。
 豊後の人々の使う言葉も、九州という広大な土地の大まかな成り立ちも、端から見ている姿は冷淡に見える人々が、実は優しく助け合って生きていることも、戦はどこでも起こりうることも、ポルトガル・リスボンの丘から見える夕陽が比類なく美しいことも、帆船がどのように長い航海をするのかも、王立の医学校で学んだことのひとつひとつも、心底から人を愛することも、荒れた海のおそろしさも、イエス・キリストの受難と復活も、その弟子たちの長く困難な旅も分かっている。
 そして、祖母がマラーノという改宗したユダヤ教徒であったことも。

 それらをすべて抱えて、彼は見知らぬ土地に立っている。そして、前年に豊後を発ったガーゴ司祭が去り際に彼に伝えた言葉を思い返す。

「あなたは、遠回りをしてここへやって来ましたね。おそらくはこれからも、あなたは少し遠回りをしなければならないかもしれません。しかし、それは神があなたに与え給うた試練なのです。どうか思い煩うことなく進んでいきなさい。主がきっと見守っていてくださいます」

 アルメイダは静かに目を閉じる。
 遠回りのEvangerista(※)は深呼吸をすると、再び歩きだした。

※Evangerista 伝導者(ポルトガル語)

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