16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

文字の大きさ
337 / 480
第10章 ふたりのルイスと魔王1

囲炉裏の火の向こうに 1557年 小牧

しおりを挟む

〈老人(雪沙)、織田信長、イグナティウス・ロヨラ、ベルナルド〉

 小牧の庵に棲む老人は、外の音を聞いて風向きが変わったように感じた。木戸を開けてみると、びゅうびゅうと北風が吹いている。辺りの木々の葉はそこらにばらばらと落ちている。それが本格的な冬の訪れを知らせる、木枯らしであるのはとうに知っている。しかし、その風が単なる自然現象だけにはとどまらないだろうことを、老人は本能的に感じていた。

 私はいつまで生きるのだろう、と老人はふと思う。
 今年は弘治3年、西洋の暦でいえば1557年になる。老人の頭はまだはっきりしていたので、自身が1475年9月13日生まれであることや、引き算をすれば満82歳だというのは分かっていた。暦を大切にするのは、彼のように父なる神と主イエス・キリストに仕える身だった者にはごく自然なことだった。
 ただ自分自身を振り返れば、それほど長く生きてきたようには思えなかった。いや、無限に長いと感じていたのが、ある時点から加速していったのかもしれない。

 初めの30年で、自分の人生を一端終わらせなければならなかったことは残念なことだった。この人は公的には1507年に死んでいる。ナヴァーラのヴィアナで敵に取り囲まれて絶命したのだ。

 ローマの夏を老人は思う。
 1503年までは、自分の戦略と兵力があればすべてが思い通りになると信じて疑わなかった。父教皇の後ろ楯を最大限に生かして、教皇軍司令官として、ヴァランス公爵として、イタリアの中部を拠点にフィレンツェ、ナポリ、そしてヴェネツィア、ジェノヴァを攻略させる。そして、アルプスで区切った地域を統一国家とする。
 その国は半島の名、いにしえの名で呼ばれることになるだろう。
「イタリア」と。
 老人はその先の計画も持っていた。フランスと同盟を結び、神聖ローマ帝国やオスマン・トルコに対する防衛線を築く。そこから一気に帝国を突き崩す。そして……。
 老人はローマ皇帝として自らが戴冠する姿を何度も頭に浮かべていた。

 そこまでの段取りを承知していたのは、僚友のミケーレ・ダ・コレーリアだけだった。いや、幼いフランシスコ(・ザビエル)にもうっすらと仄めかしたことがあったかもしれない。アレクサンドロス大王の東征を語りあったとき、征服者の末路はろくなものではないと自嘲したのだ。それを幼いフランシスコは風のように喝破した。あのときはまさか、あの子どもがはるか東に旅をするようになるとは夢にも思わなかった。

 もうじき雪が降ってきそうな空を老人は見ていた。

 そういえばしばらく前に、上総介(信長)にもそんな話をしたことがあった。さすがに自身の抱いていた野望までは告げなかったが、いにしえの大帝国について説明していたのだ。

「帝国というのは、秦や漢、明のようなものかや」
「ああ、他に元というのもあっただろう。あの帝国はヨーロッパまで進出してきたので、強大だったはずだ」
「おう、こちらにも攻めてきた。鎌倉が九州に防御を敷いたというあれか」

 中国の帝国、皇帝については学んでもいるし理解しやすいようだったが、ローマ皇帝の変遷は別物だった。そもそも皇帝という言葉が中国のそれを指すものだからである。特に、古代ローマ帝国が瓦解した後はちんぷんかんぷんになるようだった。シャルルマーニュや十字軍、聖職叙任権闘争などを事細かに説明すればよいのだろうが、そもそも、キリスト教がその基盤にあることを呑み込む必要がある。老人もそこまでは詳しく話さなかった。

「いずれにせよ、西洋の歴史の中でいちばん強大な帝国がいにしえのローマ帝国だったのだろう。その長は王ではなく皇帝といい、善政の折り広く民により選ばれた。今もローマはあるが皇帝は東をもっぱら治めとるようだで、いにしえのものはもっとどでかく、大ローマ帝王とでも呼ぶべきか」と信長は自己流に解釈している。

「いや、現在の神聖ローマ皇帝はかなり広範な領土を持っている。実際にその裁量が及ぶ範囲はもう少し狭いかもしれないが。しかし、そうか、区別するために大ローマ帝王か。愉快な呼び方だ」と老人は微笑んでいる。

「自身が統治して武力もすべて握るとしたら、この国の帝も大帝王と呼ばれるのだろうが……」

 信長のつぶやきは、戦乱に見舞われるこの国のありさまを一言で的確に表しているように老人には思えた。自身がイタリア半島を統一しようと行軍していた姿に重なったのだ。
 老人も同じだった。
 これまでのものを打ち捨てて、新たな方向に大きく舵を切ったのだ。それは絶え間なく戦い続け、敵を攻め滅ぼしていく道だ。決して戻ることはできない。
 止まるのは死ぬときだけだ。


 老人はひときわ冷たい風の襲来に身を軽く震わせて家の中に戻った。また堺からの文が届いていたので目を通さねばと思ったのだ。囲炉裏でゆっくりと火を起こして、しばらく様子を見て、文を読み始めた。
 文面は大半がスペイン語で、文末に「肥前にて」と記されていた。老人の祖先の国はスペインであるが、書いたコスメ・デ・トーレス司祭もスペイン・ヴァレンシアの出である。ポルトガルから来る人が大半なので、ある意味、スペイン語は柔らかい暗号のようでもあった(共通する言葉も多いので読み解けないわけではない)。

ーーー
 そこには大きな出来事が2つ記されていた。
 前の年、1556年7月31日に、イエズス会の創立者で初代総長のイグナティウス・ロヨラが天に召された。享年65歳だった。もともと、彼はイエズス会を創立した仲間の中で最も年長である。
 ロヨラよりも先に天へ旅立った二人については他章に記した。ピエール・ファーブル(1506~46)とフランシスコ・ザビエル(1506~52)である。

 創立時の6人のうち、ディエゴ・ライネス、アルフォンソ・サルメロン、ニコラス・ボバディリャは健在である。2代目総長はディエゴ・ライネスが担うこととなった。
 イエズス会がローマ教皇庁に認可されて20年近く経つが、この会のその間の成長は実に目覚ましいものだった。新しい会員も増え続けている。例えば、貿易商人から修士になったルイス・デ・アルメイダやポルトガルの王室に出仕していた少年ルイス・フロイスのようにすでに東方に出ている人もいたし、ローマやスペイン、ポルトガルの修練校で学ぶ者もいる。会員は管区という単位でまとめられ、海をまたぐ大きな組織となっていた。
 老人はロヨラを知らないが、その功績については疑うところがない。ただ、続く報せが老人に大きな悲しみの感情を与えた。

 薩摩でフランシスコ・ザビエルの話に感銘を受けて洗礼を受けた河邊ベルナルドという青年がいた。彼が逝去したという。トーレス司祭もともに旅をした大切な仲間なので、いきさつを詳しく書いていた。
 ベルナルドは1553年9月にリスボンに到着した。ゴアからの長い船旅で体調を崩していたため、すぐに目的地のローマに向かうことはできなかった。
 彼はポルトガル・コインブラの修練院で静養と祈りにつとめた。その敬虔さに周囲の皆が驚くほどで、ローマ行きの手配が着々と進められた。ただ、コインブラとローマの間のやりとりにもたいそう時間がかかる。
 それを待つ間に彼は正式にイエズス会員となる決意をし、そのための修練生活を送った。1554年の春のことである。
 コインブラ大学にはザビエル師の親戚である、マルティン・アスピルクエタ博士がいるが、彼と面会することは難しくなかっただろう。博士は亡きフランシスコの辿った軌跡をベルナルドのうちに見いだすことができたに違いない。
 1554年3月には、ロヨラ総長からの正式なローマ行きの許可がコインブラに届いた。ベルナルドは同伴者2人、途中からナダル司祭が合流するという日程で、7月にコインブラを出発した。しかし、イベリア半島を夏に横断するというのはたいへんなことである。体調が戻りかけていたベルナルドも、再び衰弱してポルトガル国境を越えたスペインのサラマンカで寝付いてしまう。



 ここでベルナルドが旅を続けられるかというのが危惧されたのだが、本人の意志があるのならば体調の回復を待って出発したらどうかということになった。その決定にはスペイン管区長のフランシスコ・ボルハの強い希望があった。

ーーー
 フランシスコ・ボルハという文字を見て、老人は息を飲んだ。
 文から目を離して、パチ、パチと音を立てている囲炉裏の火をぼんやりと眺める。
 そしてまた文に目を戻す。
ーーー

 ベルナルドの旅は体力の限界を超えるほど困難なものだった。生まれ育った薩摩からインドのゴアへ移ったときも、彼は食べ物や気候に馴染めず体調を崩していた。それに加えてリスボンへの長い船旅、さらには乾燥し気温変化の激しいイベリア半島を長期間横断しなければならない。もちろん、日本語など解さない異国人の中で過ごすことも心の負担になっただろう。
 その積み重ねが彼の体力を極限まで搾り取っていったのだ。

 それでもベルナルドはローマを目指してひたすら旅を続けた。1554年の初秋にはサラマンカからセゴビアに、11月にはヴァレンシアに到着した。現地のホアン・バウティスタ・デ・バルマ司祭は11月10日、ローマのロヨラに手紙を書いてベルナルドに託した。

〈この手紙を持参する人の兄弟たちは3~4日前にヘロニモ・ミロン司祭と私たちの父フランシスコ(ボルハ)司祭の命により、ここに着きました。ミロン司祭もフランシスコ司祭も、早く、できるだけ確実に、このふたりを師父(ロヨラ)のもとに送ろうと熱心に勧めているのです〉
(※1)

 ベルナルドたちは12月の初旬にバルセロナに到着し、そこからシチリアに船で移動したと思われる。そして、クリスマスの前にようやくイタリア半島のナポリに着いたのである。
 このとき、ヴェスビオ火山は噴煙を上げていたのだろうか。シチリアのエトナ火山はどうだっただろうか。二つともこの時期に大噴火は起こしていなかったようだ。ここはヨーロッパでも有数の火山地帯である。
 薩摩から来た若者は、故郷の桜島を思い出したのだろうか。
 ナポリではイエズス会の創立会員であるアルフォンソ・サルメロンが管区長を務めている。おそらく彼らを喜びとともに迎えただろう。ベルナルドは同志フランシスコの忘れ形見も同然なのだ。
 ここからローマへの道はベルナルドにとって温もりを感じられるものだっただろう。そしてほどなく、1月6日頃、ベルナルドはローマに到着した。ロヨラ総長は日を開けることなく彼に対面したようだ。なぜなら、11日にはもうベルナルドの印象を手紙に書いているからだ。



 ローマに着いて以降は彼の記録が格段に増える。初めてローマを公式記録に残る形で訪問した日本人として、亡きフランシスコ・ザビエルに薫陶を受けた者として、改宗した敬虔なキリスト教徒として、彼は注目を浴びることになるのだ。

 ベルナルドが使命を受けて去るまで、ローマ滞在は10カ月にもなった。その間にロヨラ総長との複数回の対面、教皇パウロ4世への数度の謁見をはじめ、ローマ学院(現在のグレゴリアン大学)での学習、聖地ローマの各所を巡ることーーなど得がたい経験をすることができた。ロヨラ総長はベルナルドの健康に最大限の配慮もしている。そして特筆すべきは、ベルナルドの聴罪司祭を任されたリバデネイラ司祭である。ロヨラ総長とも近かった司祭は、日本でのベルナルドの素性やザビエルとの旅についてさまざまな話を聞いていた。ベルナルドの名字が河邊だと聞いたのもリバデネイラ司祭である。

 そして1555年の10月、ベルナルドは任務を得て再びポルトガルに戻ることになった。今度は冬の旅である。ジェノヴァからアリカンテに船で行き、そこからリスボンを目指す行程はーー体調がよくなったら日本に帰してやろうという考えもあったのだろうがーー再びベルナルドの体調をひどく悪化させた。1556年の2月にはリスボンに到着し、それから慣れ親しんだコインブラに派遣された。
 しかし、ベルナルドは長い旅をもうこれ以上続けることができないほど消耗していた。
 1557年の春先に、ベルナルドはコインブラで天に召された。
 享年23歳だった。

ーーー

 ベルナルドの進んだ道を改めて知った老人は、彼が限界を越えて、耐えに耐え抜いたことが痛いほど理解できた。気候も言葉も習慣も何もかも違うのだ。ポルトガル人はまだ同胞と旅をするからいい。自国の人が一人もいない、決まった同伴者もいない中で旅をし続けるのがどれほどきついことか。

 老人はベルナルドと初めて会った場所をまだ覚えている。
 まだアンジロウが薩摩にいるのならば、何とかしてベルナルドの遺骨を分骨してもらい、遺族かあるいは生まれた土地に帰してやれないだろうかとも考える。それをトーレス司祭に託そうと文を書きかけさえした。
 そして、はたと手を止めて考える。

 私は、どこかに戻りたいのだろうか。

 ぱち、ぱちと囲炉裏の火は燃え続けている。


※1 『薩摩のベルナルドの生涯』ホアン・カトレット著/高橋敦子訳(教友社)より引用
 ベルナルドの移動の日程もこちらを参照しました。


しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

マルチバース豊臣家の人々

かまぼこのもと
歴史・時代
1600年9月 後に天下人となる予定だった徳川家康は焦っていた。 ーーこんなはずちゃうやろ? それもそのはず、ある人物が生きていたことで時代は大きく変わるのであった。 果たして、この世界でも家康の天下となるのか!?  そして、豊臣家は生き残ることができるのか!?

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

改造空母機動艦隊

蒼 飛雲
歴史・時代
 兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。  そして、昭和一六年一二月。  日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。  「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。

天竜川で逢いましょう 〜日本史教師が石田三成とか無理なので平和な世界を目指します〜

岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。 けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。 髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。 戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!!??? そもそも現代人が生首とか無理なので、平和な世の中を目指そうと思います。

処理中です...