16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

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第10章 ふたりのルイスと魔王1

鷹狩りで推して量る 1557年 甲斐国

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〈織田信長、武田信玄、天沢和尚〉

 この章では尾張の織田信長の話を中心に書いている。
 武将といえば、駿河の今川義元や美濃の斎藤義龍の話がわずかに出てきたが、それも織田信長との関わる部分だけである。このときの日本全土を見てみれば戦いに奔走する多くの武将たちがいて、皆が国なり地方を掌握しようと、もっと平たく言えば「獲ろう」としていたのだ。
 将軍が上手に手綱を握っていれば、それらの動きは同調であるか反乱となるはずだった。しかし、幕府が弱体化しているので従来の「守護・地頭」を中心とした統治制度もあってないようなものとなっている。もちろん、薩摩の島津氏のように守護としての力を持ったままで、九州南部に狙いを定めている例もある。駿河・遠江の太守である今川氏も同様である。
 すると将軍も守護だけでなくめざましい活躍を続けるものを追認し自身の臣下、兵力に付けることに注力することになる。この時代に京都に赴く、いわゆる「上洛」はそれを指している。

 大内氏の統治が形骸化した中国では毛利元就と尼子晴久が地方の統一に向けて戦いを繰り広げていた。四国では長宗我部元親が土佐国の覇者になろうとしている。そこから四国全域の掌握に取りかかるのだが、少し先の話だ。
 西から話を始めたが東国でも同様である。

 よく知られているのは甲斐の武田信玄と信濃の上杉謙信だろう。武田は甲斐から次々と近隣諸国に攻略の手を広げている。上杉も信濃から勢力を伸ばしているが、双方はたびたび北信濃の川中島で激突している。
 武田と上杉は双方とも鎌倉の頃から重きを置かれた名家である。武田は河内源氏の末裔であるし、上杉は室町時代の大半、関東管領(東国統治の要として設けられた)を世襲で受け継いでいる。二人の対決それ自体が室町幕府の統治の否定ともいえる。


 武田信玄が治める甲斐国にはここのところ高僧がしばしば招かれている。京都天龍寺の僧、策彦周良(さくげんしゅうりょう)が依頼されて恵林寺の住持を務めている。恵林寺を開いた夢窓疎石(むそうそせき、鎌倉末期から室町前期の禅僧)が天龍寺に縁があったことから、策彦も快諾して甲斐に赴いた。
 夢窓疎石は今日まで有名な、天龍寺の庭を作った(作庭した)人である。
 もちろん、高僧だからということで招いただけではないだろう。策彦は京都の将軍の名代として明に出向いたし、その船などもろもろを誂えた大内氏とも懇意だった。そして旅をする中で出会った人々も多い。要するに、いろいろな世情に通じているということである。

 信玄に面会した高僧のひとりに天沢(てんたく)和尚という人がいた。清洲からほど近い尾張天永寺の住持だと告げると、信玄は凄みのある目をキラリと光らせる。三十代後半の武将は膝を乗り出して尋ねた。
「織田上総介(信長)の話を聞かせてくれんか。噂でも何でも構いませぬ」

 信長の話題はいくらでもあると天沢和尚は考えたが、それなりに形のつくように話をした。

「上総介さまは毎朝馬の調教をいたします。それから鉄砲の演習、これは橋本一巴(いっぱ)が師匠に付いています。そして弓の稽古、こちらは市川大介が師です。兵法を座学で学ぶときもありますが、平田三位(さんみ)が常駐して教授しておりますな。あとは、気ままに鷹狩りをなされます」
 いわゆる日課というものだ。この話だけでは、真面目に鍛練に勤めていることしか分からない。それがわかるだけでも貴重なのだが。
「その他に趣味はあるのか」と信玄は尋ねる。
 天沢はうーむ、と思案する。

「舞と小唄でしょうな」
「舞の師匠もいるのか」と信玄はさらに突っ込む。
「清洲の町人の友閑という者を召し出して、舞っております。『敦盛』を一番舞って、そればかりですな。『人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり』。これが十八番です。小唄も唄われます」
「ほう、変わっておるのう。小唄か。どのような」と信玄はさらに聞く。人を知るのに重要な情報ではないと思う場合もあるだろうが、この人は信長のどのようなことも知りたいようだった。

「『死のふは一定、しのび草には何をしよぞ、一帖かたりおこすよの』と唄っておられます」と天沢はつぶやくように言う。
「ちょっとその真似をしてみてくれまいか」
 天沢はぎょっとする。
「いえいえ、拙は出家の身ですもので、唄などしたことがございませぬゆえ、できかねます」
 しかし、信玄はあきらめない。どちらかというと僧侶が小唄をするのを見てみたかっただけなのかもしれない。いたずらっぽく、「そうおっしゃらずに、ぜひ」と懇願する。観念した天沢はつたない様子で一曲、甲斐の太守に献じる羽目になった。
 経典をよろず唱えられる天沢にも苦行のごとき朗唱があったということである。

 面白そうな顔でそれを聴いていた信玄だが、最後に鷹狩りの様子を詳しく教えてほしいと求めた。唄った後で喉が滑らかになったのか、天沢和尚はスラスラと語り始めた。

「鷹狩りは大がかりです。もしかしたらそのような催しなのかもしれませんが、まず二十人が鳥見の衆というのを命ぜられ、手分けして散ります。二~三里向こうまで探して雁がいる、鶴がいると報告し、別の者は何かに驚いて飛び立たないように見張っているのです。
 また六人衆というのが常に付きます。弓三張、槍三本で六人。そして馬乗りの役が一人、この役が特に重要です。藁に虻を結わえつけて、鳥に警戒されないように注意深く近寄っていくのです。上総介様は同じぐらい気配を消してその背後でご自身の鷹とともに機を待ちます。そしてばっと走り出て鷹を放つのです。鷹と獲物が取っ組み合いになりましたら、農夫のなりをした向かい待ちという役の者が取り押さえに行きます。それで結構な獲物が得られていました。お見事でしたな」

 この話に甲斐の太守は大いに満足したようだった。
 ありていにいえば、あまり詳しく話さなくてもいいことだったかもしれない。鷹狩りというのはこの時代の軍事訓練でもあるので、その内容はすなわち戦の攻めかたにも通じる機密事項なのだ。獲物はどこに潜んでいるかわかりづらい敵とみなせば、役目を任された者が臨機応変に動いて仕留めるのは組織的な戦闘の訓練にもなる。皆が勝手に動いては成功しない。

 この頃に信玄は川中島の戦いで『啄木鳥戦法』という方法を採用したが、首尾上々とはいかなかった。結果的には痛み分けになったのだが、大将の目の前まで敵に寄られたのである。
 戦でどう攻めていくかというのは、後の勝敗、あるいは生死に関わる非常に重要なことだというのをこの人は身を持って知っている。
 信玄は、まだ若い信長が鷹狩りをする様子を聞いてその器量をよく理解したようだった。

「上総介どのは戦上手だと聞きましたが、まことにそのようですな」

 天沢は何やらほっとした面持ちで甲斐の館を辞したのだった。
 このように信長は離れた他国でも評判になっていったのだ。


※『信長公記』の訳では信長の小唄の二番目の「いちじょう」は『一定』になっていますが、小唄は掛詞になっていると想定されますので、(『死のふ』と『しのび』のように)
「いちじょう」を「一帖」としました。語り起こすのはものがたりで、一帖とする方が適切だと判断したからです。

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