16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

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第8章 さまよえる小公女 カテリーナ・デ・メディチ

黄金時代 15世紀後半~16世紀前半 フィレンツェ

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〈ロレンツォ・ディ・メディチ(イル・マニーフィコ)、クラリーチェ・オルシーニ、ルクレツィア・ディ・メディチ、ジュリアーノ・ディ・メディチ、ジュリオ・ディ・メディチらメディチ家の人々、チェーザレ・ボルジア〉

 ロレンツォ・ディ・メディチ(1449~1492)は、メディチ家を語るときに真っ先に名前の出てくる人物である。イル・マニーフィコという呼び名も彼だけのものである。後世に残っている彼の肖像画を見ると、鼻の筋が目立って尖って眼光の鋭い顔つきである。美麗という表現はあまり似つかわしくない。野性味に満ちた精悍な男性という印象である。カリスマ、という言葉が似合うのはその種の男であろう。
 しかし、彼は祖父コジモ譲りの語学の才能を幼少から持っていたし、その才能は詩や文学、芸術の分野へと広がっていった。彼はチェスやパッローネ(現代のサッカー)も騎乗槍試合も狩りも音楽も一通りたしなんでいたという。人生を楽しむことにかけて、この人は非常に果敢だった。

× × × ×

 少し話をずらすが、その果敢さはチェーザレ・ボルジアに通ずるものがあるだろう。
 彼がピサ大学に在籍していた頃のエピソードを思い出してほしい。彼がパーリオ(競馬)で1等賞を取ることにどれほど意欲的だったかを。それは彼にとって、彼のような若者にとって魂が燃え盛るような楽しみだったはずである。チェーザレは教皇の子であるが狩りも好んでいた。そして、炎は彼のできることすべてに広がり及んだはずである。
 そのような「熱」はこの二人に通ずる部分だといっていい。

 この時代の人は全般的に見ればおおらかに人間を見ていたのかもしれない。多少の壁があるにしても、教皇の子や富裕な商人の子が同じような希望を持つことができる。それが限られた人間にしか実現できないものだとしても。

 ロレンツォ・ディ・メディチはチェーザレ・ボルジアと年齢が離れているが、チェーザレがピサにいた頃に会ったことがあるはずだ。ピサはフィレンツェのほど近くだし、チェーザレと同じ学舎でロレンツォの息子、ジョヴァンニが学んでいたのだから。ジョヴァンニはロレンツォの二男で、のちの教皇レオ10世になる人物である。

 ロレンツォが、黒服を身にまとったスペイン人の一団の中心にいるチェーザレをどのように思っていたかはわからない。当時、チェーザレの父は有力な枢機卿(すうききょう、すうきけい)としてローマに在ってロレンツォのことを知らないはずはなかったし、ロレンツォにしても同様だ。チェーザレの父親に限らず、バチカン全体がそうだった。16歳でパンプローナの高位聖職者に着任したチェーザレを知らないはずがない。その枢機卿の息子(チェーザレは実子だが扱いは庶子)が父親並みには賢く、また父親より果敢で統率力があることも認識していただろう。
 一方で、よく言えば御曹司、悪く言えば金持ちのボンボンという境遇ゆえなのか、おっとりした性格のジョヴァンニは統率者には向いていないと思っていたかもしれない。二男は聖職者になるというのが慣習であったが、それを言えばチェーザレも同じである。
 卓越した人間が、ひとつの家に何人も現れるわけではない。現れないこともそれほど珍しくはない。何より才覚を持っていても、それを時代なり環境が活かしてくれなければ発揮する機会もない。逆に、凡庸な器量しかなくても機会があれば歴史に名を残せるということでもある。

 ロレンツォとチェーザレが異なる点はもちろんある。ロレンツォは文芸や芸術をたいへん好んだが、チェーザレはそれほどには感じていなかった。それぞれが担おうとした役割の違いによる。
 それでも、ロレンツォがチェーザレの姿に若かりし日の自分を重ねていたと想像するのは難しいことではない。
 彼がピサでチェーザレを見たのは、もう最晩年のことだ。

× × ×

 さて、若きロレンツォはローマの貴族オルシーニ家から妻を娶ることになった。メディチは貴族ではないが押しも押されぬフィレンツェの名家である。その御曹司の結婚相手が誰でもいいというわけにはいかない。本人もよく分かっているので、付き合った女性を妻にしたいなどと言い出すことはなかった。恋愛と結婚は別だということだ。
 ロレンツォの母ルクレツィアは後世にも残る母親の熱心さで候補となる娘を熱心に探し続けた。そして白羽の矢が立ったのがクラリーチェだった。彼女に決めるのにも母は非常に慎重だったのだろうか。ローマまで所用にかこつけて出かけていって、サン・ピエトロ聖堂を礼拝するクラリーチェの様子を逐一観察していたという。フィレンツェからローマまではおよそ60レグア(約300km)ある。車も電車もバスもない時代の話である。
 怖い気がしないでもないが、珍しいことではないかもしれない。
 ちなみに、ルクレツィアという名はロレンツォのきょうだいにも、娘にも、その後もみられる。ルクレツィアという女性名がイタリア半島において一般的なものだったとしても、メディチ家にとってロレンツォの母であるルクレツィアが崇敬される存在だったのかもしれない。

 ロレンツォの結婚式は「華燭の典」(かしょくのてん)というのが控えめに感じられるほど華やかなものだったと伝えられている。それはローマとフィレンツェで執り行われた。1468年12月にローマ、1469年6月にフィレンツェ、その間の半年がすべて祭典『ラ・ジョストラ』の期間とされた。
 フィナーレとなるフィレンツェでの婚礼は市民にも開かれた盛大な祝典で、以下のようなものだった(婚礼の部分は『フィレンツェ』若桑みどり著 講談社学術文庫より主に引用。文面は変えています)。

ーーこの日花嫁は親戚の家から出て、2人の騎士と30人の乙女たち、そして楽隊を伴ってサン・ロレンツォに向かった。ここからもうパレードになっている。広場では人々が踊り、道筋の家々からは月桂樹の枝が投げられた。祝宴はパラッツィオ・メディチの中庭で開かれた。広間ではダンスが行われ、市民たちにも400人分の豪華な食事が提供された。ーー

 このように華やかな『黄金時代』をボッティチェリもレオナルド・ダ・ヴィンチも見ていたのである。
 ミケランジェロは少し年下だったので、晩年のロレンツォの姿しか見ていない。それでも、メディチ家に逗留することを許されたのは、彼に大きな影響を与えたことだろう。

 彼の治世(あえて治世と呼ぶならば)はこの婚礼に至る祝祭を例にとって、『黄金時代』と通称される。
 ただ、光が濃ければ影もそれだけ濃くなるのが道理だ。その影の部分も書いておかなければ公平ではないだろう。まず、彼の時代は芸術や文芸が厚く保護されたこともあって絢爛豪華の絶頂にあったが、それに伴う出費は莫大な額に上った。同時に本業の銀行業では各国の王侯へ積極的に貸付をしていたものの、回収のペースが追い付かず金庫が空に近くなっていた。加えて、ロレンツォの父ピエロを苦しめた敵対勢力がいなくなったのでもない。
 彼が若いときに見舞われたもっとも大きな災難は、『パッツィ家の陰謀』と後世呼ばれるものである。前にも触れたが、メディチ家に敵対する勢力がロレンツォはじめメディチ家の人物を暗殺しようとした事件である。そこにメディチ家の既得権益に否定的な、ときの教皇シクストゥス4世も乗った。
 1477年、ローマでジローラモ・リアーリオ、フランチェスコ・サルヴィアーティ、フランチェスコ・デ・パッツィが集まり、ロレンツォとジュリアーノのメディチ兄弟を殺害して、フィレンツェの統治者を交替させようという謀議が持たれた。その場には教皇も同席している。
 この計画によればこの暗殺で反乱の火蓋を切って落とし、あらかじめ仕込んでいる反対派が市民を煽動し市庁舎を占拠させ、これもあらかじめ同調者を仕込んである軍隊に町を包囲させるという手はずで進められることになっていた。
 1478年、暗殺は実行に移された。
 その惨劇はよりによって、聖堂で実行された。
 ロレンツォの弟ジュリアーノは刺殺された。
 しかし、ロレンツォはとっさにマントで身を防御しかすり傷を負っただけで逃げることに成功した。
 これは、計画の完全な失敗だった。
 なぜなら、ジュリアーノはフィレンツェ市民にたいそう人気があったからである。彼は武張ったところのない、文芸や音楽を愛する美青年としてよく知られていたのである。その彼だけが殺されたということに対して、市民の怒りは爆発した。パッツィらの陰謀はこれ以上ないほど手痛いしっぺ返しを食らうことになったのである。
 サルヴィアーティは首に縄を付けられ窓から投げ落とされた。放り投げられた吊るし首である。パッツィや実行犯もそのさだめからは逃れられなかった。

 レオナルド・ダ・ヴィンチはこのとき現場にいた。ジュリアーノを刺したバンディーニという男が処刑されるのを目の当たりにして、それをスケッチとして残している。現代であれば報道カメラマンのような心情だったのだろうか。それは聞いてみないと分からない。

 25歳だったジュリアーノにはまだ生まれたばかりの子どもがいる。その子はジュリオと名付けられていたが、ロレンツォが自分の子として預かり、養育することにした。

 のちに教皇クレメンス7世となる子である。

 このように、ロレンツォの治世がのどかで恵まれたものだったとはいえない面もある。晩年には修道僧サヴォナローナが教会の腐敗や反メディチの旗を掲げて台頭してきていた。サヴォナローラの辻説法は民衆に大きな影響を与える。この運動はのちの宗教改革と同様に、「聖職者の腐敗を糾弾する」主旨でなされていたのだが、現世の権力のそれも否定したので、メディチ家に矛先が向いたのは自然なことだった。
 ロレンツォはその行く末を見ずに病を得て亡くなることになる。

 そしてその子どもたちはロレンツォやコジモほどの器量を持っていなかった。彼にはジュリオも加えれば7人の子がいたが、フィレンツェの統率者となった者は出なかった。形としては息子ピエロが跡を継ぐことになったのだが、フィレンツェ政府によってメディチ家は追放の憂き目にあってしまった。

 時はすでに16世紀に入っている。
 ピエロは早世し、その子ロレンツォ(小ロレンツォと通称される)もフィレンツェ政府の重鎮として活躍することはない。
 一方で、ロレンツォ・イル・マニーフィコの子の一人、ジョヴァンニは1512年に教皇レオ10世(在位1513~21年)になる。レオ10世については第2章の『とびきり欲深い者に対する論題』でも触れたが、ルターやカルヴァンがキリスト教に新たな改革を促すきっかけを作った当事者である。
 そして、ジュリアーノの遺児ジュリオは教皇クレメンス7世(在位1523~34)になった。この人はイギリス王ヘンリー8世の離婚申請を却下して、イギリスが英国国教会を興すきっかけを作った人である。どちらも歴史が好きな方であれば聞いたことのあることがらだろう。

 16世紀前半、聖職者として名を残す人物をメディチは輩出している。しかし、本家については本業で破産こそしていないものの、フィレンツェの政治に堂々と返り咲くことはなかなかできなかった。

 1510年代の終わり、メディチ家の「薄曇りの時代」とでもいうべき時期に小ロレンツォに一人の女児が生まれる。

 その女児の誕生に先だって、ひとつのエピソードをつまびらかにしていこう。
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