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第7章 海の巡礼路(日本編) フランシスコ・ザビエル
ベルナルドの誓い 1552年 ゴア(インド)
しおりを挟む〈フランシスコ・ザビエル、ベルナルド(河邊成道)、アントニオ、マテオ(日本人)ら同行者、ディエゴ・ペレイラ、アントニオ・ゴメス、ガスパル・バルゼオ司祭、バルタザール・ガーゴ司祭、各地に派遣されている宣教者、アントニオ(中国人)〉
アントニオ、私が1552年にゴアに着いて以降、ここに至るまでのことをあなたは知っている。それなのに、詳細に語るのは少し滑稽なことかもしれない。ただ、これまでずっとバスク語で、あえてあなたの分からない言葉でずっと話してきたのは、ここに至る道をきちんと語っておきたいと思ったからだ。今、私の床にずっと付いてくれているのはあなただから、私はあなたに理解できる言葉で語るべきなのかもしれない。
このようなことを言ったらあなたは信じるだろうか。熱にうなされるようになってから、私は時折、主と母なるマリアの姿を見るようになっている。それを幻影だと言ってしまえば、それだけのことに過ぎないだろう。しかし、私の目はもうほとんど現世のものを映していないのに、主と母なるマリアの姿だけは、どんどんはっきりとしてくるのだ。その姿は眩しい光に溢れ、私は永遠の昼にいるようだ。
そのような時に、私は何語で話すべきだろう。祈りの言葉だけは自然とラテン語で発することができるが……ラテン語か、ポルトガル語か、スペイン語か、イタリア語か……やはり話すとなると、私が生まれ育った土地の言葉、バスク語になってしまうのだ。それはもう、他の言葉に転換できるものではないのだ。
あなたには申し訳ないと思っている。この病んだ人はあなたに理解できない言葉でただずっとうわ言を言い続けている。そのようにしか見えないだろう。ただ、それでもあなたはずっと私を見守ってくれている。私はそんなあなたに、慈愛深き聖母の愛を感じることもできるのだ。敬虔で従順なアントニオ、もう少しの辛抱だ。私にはもう現世のものが見えないので、アラガオにもよろしく伝えてくれないだろうか。たまに船から様子を見に来てくれているようだが……私にはもう、その声もよく聞き取ることができないのだ。
ゴアの話に戻ろう。
ゴアではまず聖信学院の人事に取りかかった。アントニオ・ゴメス院長(司祭)の退任が大きな目的だったが、これまで私が書いてきた手紙の内容を逐一知っていたのだろう。彼は私の意には決して従わないという意思を鮮明に打ち出してきた。ポルトガルの官吏や聖職者の一部を味方に付けて、周辺から退任反対の声が出るように仕向けたのだ。このようなことは政治の場面ではよくあることで、権謀術数という言葉で表されているが、それが神の使徒がなすのは一層醜く映るものだ。そのような手段を取られても、私はゴメスの件でゴアの使徒の中で分裂が起こることだけは断固として止めなければならなかった。
幸い、私はポルトガル国王の任命を受けてきており、自身が最近まで知らなかったこととはいえ、イエズス会インド管区長にもなっていたので、最終的な決定権を持っていた。
ゴメスの頑強な抵抗の裏には、私がポルトガル人ではないということもあっただろう。ポルトガルの拠点でなぜスペイン人、いや、ナヴァーラ人なのだが、どちらにしても外国人が大きな顔をしているのだと間違いなく思っていただろう。そのような考えがあるところに加えて、私がゴメスには適性がないと真っ向から指摘したのだから、さぞかし立腹し恨みにも思うのだろう。そのような人としての心の動きは分かるのだが、そこに神への忠誠、主イエス・キリストへの愛はかけらもないように私には思えた。
それならば兄弟(同じ使徒という意味での兄弟)として手をつなぐことは難しい。
何のための東方宣教なのか。ポルトガル人のためだけに教会があればよいと言うのならば現地の人々に宣教活動をする必要はない。ただし、もし本当にそのようになるのならば、それはキリスト教ではない。
主はそのようなことを決してされなかった。私が異教徒の人々に説いている、最も平明で基本になる言葉にもそれが示されている。
〈あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ〉
私はゴメスに、聖信学院の院長職を解き、ディウに説教師として派遣する旨を告げた。もちろん、彼は納得できないと不服を申し立てた。しかし、この件はすでにローマのイエズス会本部にも通達しているので、インド管区長である私の命令が覆ることはないと申し渡した。何の異義申し立ても受けなかった。そして、ガスパル・バルゼオ司祭を後任に指名し、あわせてインド副管区長に任命することにした。
このような命令を上位職の人にしたことはなかった。それなので、私も悩まないということはなかった。それだけしか、今の私に言えることはない。
この聖信学院長の人事だけではなく、私がするべきことは他にも多くあった。すでにさまざまな場所に派遣されている兄弟(聖職者)たちの現状を確認すること、宣教活動において重要な点を明記して伝えること、そして必要な人を派遣することである。まず、インドからは遠方のホルムズ海峡で宣教につとめているゴンサロ・ロドリゲス司祭に手紙を書いた。続いてインド・バセインにいるメルキオル・ヌネス・バレット司祭あてに、2人の修士を新たに派遣することなどを伝えた。また、院長兼副管区長をつとめるバルゼオ司祭に万一のことがあった場合に、マヌエル・デ・モライス司祭、バレット司祭を後任とするように指示した。あと、サン・トメのチブリアノ司祭にも手紙を送ったが、本来ならば彼にはソコトラ島での宣教を任せたかったのだ。
モルッカ諸島で宣教にあたっている3人のことも気がかりだったが、マラッカやゴアで知ることのできる情報は限られていた。彼らの報告を受けてどのように今後活動をすすめていくかはバルゼオ司祭に判断決定を任せることになりそうだった。
アントニオ、あなたは知っているだろう。
インド管区がどれほど広いかを。
1552年2月から4月のはじめまで。
私がゴアに2カ月しかいられなかったことを。
その間に今後のことを整えて行かなければならなかったのだ。
私の手紙の筆耕はバルタザール・ガーゴ司祭が多くを担ってくれていた。彼は篤実な人物で、よく私の仕事を手伝ってくれていた。私は彼と中国宣教に携わることに決めていた。中国に渡航するのは私とガーゴ司祭、ドゥアルテ・ダ・シルヴァとアルカソヴァ修士、神学生のフェレイラ、インド人のクリストバル、そして中国人通訳としてアントニオーーあなたのことだーーの一団になる。これにポルトガルのインド副王に任命された公式な使節として、商人のディエゴ・ペレイラが加わる。
日本から来てくれた人のうち、ジョアンとアントニオらは途中まで同船だが、日本に帰国してもらうことにした。
出発まで聖信学院に学ぶ日本人、ベルナルドとマテオのことを話そう。彼らとはゴアでは会話する機会がほとんど持てなかった。彼らは私たちとは逆の西に向かい、ポルトガルのリスボンに向かってもらう。しかし、周防から来たマテオは慣れない船旅と寄港地の猛烈な暑さ、香辛料の多い食事などで体力をひどく消耗していた。この上さらに長い船旅をさせるのは無理かもしれないと感じた。彼にはとにかくできるだけ涼しい場所で安静にするように命じたが、体調を回復するのには時間がかかると思われた。ベルナルドがマテオをよく看病してくれていたのだが、ベルナルドは心細く思っているに違いなかった。
私たちの出発が迫った頃、ようやくベルナルドと話をする機会を持てた。彼らは後の船でリスボンに向かうので残していく形になる。
聖信学院の狭い一室、もう夜も更けていたので、私たちは小さく粗末なテーブルに灯るろうそくの火を間にして向かい合うように座っていた。
「ベルナルド、あなたの心に不安がないのか、私にはそれだけが心配なのです。もちろんバルゼオ司祭にも、ミセル・パウロ司祭にも、リスボンにいるシモン・ロドリゲス司祭にも、あなたがたのことを頼みますと念入りに伝えました。ですから、あなたが日本人であるからという理由で何か不利益を被ることはない。ただ、私はあなたの心と身体が心配なのです。マテオは体調がとても悪いので、もしかしたらあなたは1人で船に乗らなければならないかもしれません。それでも、リスボンからローマへ、行ってくれますか」
私の長い問いかけをベルナルドは真剣に聞いていた。そして、彼は見事なポルトガル語で答える。
「司祭さま、私は行きます。マテオがもし行けなくとも、私は行きます。司祭さまが私を西洋に行かせようと、どれほど力を尽くしてくれたか、私は分かっています。それに、私はマラッカやゴアで改めて知りました」
「何をですか。ベルナルド」と私は尋ねた。
「薩摩の道端で皆にからかわれていたあなた様がどれほど責任の重い仕事をされてきたのかということをです。あなたさまは主の教えを伝え、皆に心のよりどころを与えようと、それだけを考えて日本まで来られました。インドの地でもあらゆる問題を解決されてなお、そこに安穏とせずに率先して新たな地へ向かおうとされています。その務めがどれほど大きく、重いものかをゴアで痛いほど知って、私はふがいないことに、薩摩のもっこすとしてはありえないことですが……泣いてしまいました」
ベルナルドの言葉を耳にして、私は涙があふれそうになるのを懸命にこらえなければならなかった。ベルナルドはそんな私を見て、目をうるませながら微笑んだ。
「司祭さま、これは神の与えてくださったミッション(使命)だと思っています。私はどんな困難も越えて、リスボンに渡りローマへ行きます。一層学ぶことに精進し、イグナティウス・ロヨラ総長や教皇さまにお会いします。そして、あなたさまがどれほど困難を越えて真摯に宣教されているかお話をしてきたいと思います。司祭さま、私は神とあなたさまに、それをお誓い申し上げます」
私は泣いていた。もう何も話すことはできなかった。
私が託したものをベルナルドはしっかりと受け取り、そのあかしをヨーロッパに持っていってくれるというのだ。
これが天からの贈り物でなければ、何というのだろうか。
ゴアの夜空には満天の星が輝き、大きな窓からもそれがよく見えるが、私にはすべてが滲んで見えていた。
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