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本編
10.夢中になれる仕事
しおりを挟む一人で四阿までの道を歩く。
心なしか足が重い。
この雲海というのは不思議なもので、柔らかい感触なのに踏み抜いてしまいそうな不安は感じない。
でこぼこして見えるが、分厚くて硬いマットレスを踏んでいるような感触だ。
革靴でもサンダルでも足を取られることはなくて、マットレスの上に濃い目のスモークが流れているような、そんな不思議存在。
実際には俺達が歩いているのは恐らく下位次元の表面で、俺が空間に干渉する力がないから難なく上を歩けるのだろう。下位次元の存在がこの雲海の上に現れても、雲は足場になってはくれない。
創造神は俺についてくることはなく、それどころか今日は朝起きてもこなかった。
いつもの朝食を準備し終わっても部屋から出てこなくて。
悪いと思いつつ、少しだけ扉を開けて覗き見したら、ベッドに俯せになって眠っていた。
創造神というものは破壊神とはまた違った系譜を持つ存在で、睡眠も食事も生き物らしい活動はほぼ必要ないらしい。
だがここの創造神はよく眠る。どうやら個性の問題もあるようだ。
起こすのも悪いのでそのまま出勤して、事務所で資料を受け取って今現場に向かっている。
数ある業務の中で一番好きな、地上観察の仕事に向かうというのに……俺の心は全然弾んでいなかった。
四阿に到着し、書類を適当に屋根の下のテーブルに広げて雲海の裂け目を覗き込む。
前回の観察業務から数日経っていて、地上では年単位で時間が経過しているはずだが、見下ろした人間の世界は想定より遥かに発展していた。思わず目を瞠る。
もはや文化が発生したとかいうレベルではない。
例えるなら中世ヨーロッパのような……。
「うわっ!」
俺が首を突っ込んで下界を見下ろしていた場所の、すぐ目の前を巨大な何かが横切った。
思わず顔を背けて雲から体を放す。
大型の猛禽類でも通ったか? それにしてはデカかった気がする。
恐る恐るもう一度雲に頭を突っ込むと、遮るものがない広い空を、明らかに鳥より巨大な生物がゆったりと飛んでいた。
それは大きな翼と細く長い体を持っていて、どう見ても鳥類より爬虫類に近い。表皮は鱗に覆われていて、羽ばたく翼は蝙蝠のような薄皮で出来ている。
俺の目の前を掠め飛んだやつは黒っぽい色で、かなり離れたところにもう一匹、モスグリーンの似たような生物が移動するように飛んでいるのも見えた。
「もしかして……ドラゴン?」
どう見てもそうだ。ドラゴンだ。
剣と魔法のファンタジー作品に必ず出てくるファンタジー生物が、まさか俺の管轄の世界に……!
派遣先の世界で極稀にファンタジー方面に発展する場合があると聞いたことがあったけど、俺自身はそういう世界を見たことはなかったので、これは嬉しい驚きだ。
ドラゴンがいるということは、もしかすると?
「あっ今の発火現象は……もしかして魔法!?」
首を突き出して地上をズーム視点にする。いや別に首を伸ばす必要はないんだけど気分の問題だ。
地上では、以前見たときよりはっきりした顔立ちになった人間達が、数人で円陣のように集まって大きな火を起こしていた。
どうやら魔法を儀式の一部のように使った集会のようで、円陣の外側にはたくさんの人間が平伏していた。
今のところ、限られた人間しか魔法を使うことはできない様子が見て取れる。
「魔法か……いいなぁ。俺もつかってみたい」
俺も魔法が使えたら、洗濯物を風魔法ですぐ乾かしたり、料理の食材を風魔法で一瞬でみじん切りにしたり、風魔法で一気に全部屋掃除したりできるのに。
でも実際には俺は破壊神なので、きっと洗濯物も食材も床材もダメにするような魔法しか使えないんだろうな。残念だ。
妙に上がってしまったテンションが元通りに下降したところで、今回の地上の劇的な変化をレポートに書き留める。
普段はそこまで長い報告書にはならない傾向にあるが、今回は書かなければならないことがたくさんありそうだ。
俺はペンを片手に、地上の生物達の営みをくまなく観察していった。
物語の中にあるようなファンタジー世界を覗き込んではメモを取る。
こんな世界が眼下に、手を伸ばせばすぐ触れられそうな場所にあるなんて感激だ。
人間は海に隔てられた三つの大陸に満遍なく生息していて、それぞれの大陸でいくつかの国として纏まり、順調に数を増やしていた。
大陸によって使われる言語は微妙に違うが、俺から見れば方言程度の差異に思える。
別の大陸の存在はそれぞれ認識しているようで、大陸内の国々でときどき紛争や小競り合いはあるが、世界中を巻き込んで争われるほどの戦はなく、どの大陸も海外を警戒して相手の出方を伺いつつ睨み合いを続けているという状態のようだった。
それぞれの国の進化が行き着いて、自国の発展が安定してくれば大陸間戦争になる可能性はある。そうなれば魔法の撃ち合いになりそうだ。
人間達には「魔力」と呼ぶ力の大小の区別があり、生まれの身分の他に魔力が多いものが尊ばれる傾向があるようだった。
魔力を行使して発生する現象が「魔法」と呼ばれていて、魔力は誰にでも備わっているが魔法を使えるかどうかは本人の資質や努力次第、という社会構造になっているらしい。
そういうことなので魔法が使えない人はそこそこ多く、上流階級にいくほど魔法は必須となっているようだ。魔力が少ないと地位を追われるケースもいくつかあった。
また、人間以外の生き物が多大な魔力を持って生まれてくる場合、ドラゴンのようなファンタジー生物に変異するらしい。ちっちゃいトカゲの状態で生まれるドラゴンの子供はとても可愛かった。
ほかにもケルベロスやグリフォン、ユニコーンなど、俺が知っている動物っぽいファンタジー生物はしっかりと生息していた。
体内の魔力が多すぎて制御できない人間がファンタジー生物に変異してしまう場合もあり、人魚や狼男、吸血鬼といった存在も確認できた。
ただこちらは見た目も中身も人間に近いせいか、一般の人間に嫌悪されやすく、他のファンタジー生物より露骨に迫害されている場面が見受けられて悲しくなる。
「吸血鬼って言ったらファンタジーの中でも人気の種族なのに、現実は世知辛いんだな……」
異形であることが知れ、住処の周辺の村人に火を掛けられ迫害される吸血鬼の一家を眺めながら、俺は手を差し伸べてやりたい気持ちを我慢した。
絶対的多数派である人間によるファンタジー生物達への迫害は日々どこかで起こっていて、それにいちいち感情を動かしていたらキリがない。
それに破壊神である俺がなにかを施そうとしても、命を奪う対象が変わるだけの話だ。数えられる程度の命が消えるだけならまだいいが、俺の采配ひとつで国が滅んでしまっては目も当てられない。
物語を読むときのように、自分とは関係のない世界であると自分を律していなければいけない。こういうときは、つらい仕事だと思う。
燃え上がる吸血鬼の家だったものを眺めながらメモを取っていると、微かに俺を呼ぶ声が聞こえてきた。
「……さん、破壊神さ~ん」
「あれ、事務員さん?」
雲海に突っ込んでいた上半身を起こすと、四阿の向こうから事務員さんが駆けてきていた。
いかにも内勤な事務員さんは、少し走っただけでだいぶ息があがっている。
「はぁはぁ……破壊神さん、もうすっかり勤務終了時間ですよ」
「えっ!」
驚いて辺りを見回せば、すっかり暗くなってしまっていた。
地上の観察に集中するあまり、夜になっていることも気づかなかった。
「す、すみません! すぐ戻って報告書作ります。事務員さんは先に上がっておいてください!」
「あぁ、いえいえ。少しくらい残業でも構いませんよ」
「いや今回はまとめる内容が多くて、何時間かかるかわからないので……」
そこらじゅうに散乱している走り書きを掻き集めて、俺は頭を下げまくった。
きっと事務員さんも俺が帰ってこなくて退勤できなかったんだろう。申し訳なくてお辞儀の角度がどんどん深くなる。
「わかりました。片付けたら私は先に上がりますので、とりあえず一緒に戻りましょう」
「はい……本当にすみません」
「仕事が楽しくて時間を忘れるなんて、いいことですよ。気にしないでください」
背中をぽんと叩いて帰り道を促す事務員さんはどこまでも優しい声色で、申し訳なさとありがたみが同時に心に迫ってきて目頭が熱くなる。
俺は本当に良い職場に恵まれた、幸せな破壊神だ……!
この優しい部下のためにも、きっちり仕事を仕上げて本部を唸らせるようなレポートを送りつけてみせる。
俺は拳を握りしめて誓った。
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