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本編
09.部下からの助言
しおりを挟む「おつかれさまです。少し休憩にしませんか」
地形データの数値をまとめて表作成していた俺は、事務員さんの言葉にはっとして顔を上げた。
事務所の壁掛け時計を見ると、昼を少し過ぎた時間だ。
久々にがっつりした書類仕事でつい夢中になってしまった。両腕を真上に伸ばして仰け反ると、背中がバキッと大きな音を立てた。
事務椅子を回転させて立ち上がると、応接セットに事務員さんがコーヒーを淹れてくれていた。
「すみません、つい熱中しちゃって」
「いえいえ。仕事熱心なのは大変結構。破壊神さんは書類仕事がお好きなんですね」
ソファに腰掛けて淹れたてのコーヒーの香りを楽しみながら啜る。
事務員さんが何気なく口にした「好き」という単語にどきりとさせられて、一瞬コーヒーを噎せかけた。
「ごほっ……そう、書類仕事は好き……です」
「……創造神さんとなにかありました?」
核心を突いてきた事務員さんを上目遣いでちらりと伺う。
この一瞬でそこまで分かっちゃうのか?
事務員さんは特になんの感情も浮かんでいない表情で、気を使わせてしまったのかどうかも俺には判断できなかった。
ただ、誰かに聞いてもらいたい気分だったのは確かだ。
「実は……」
俺は昨日の顛末を掻い摘んで事務員さんに話した。
創造神に友達ではないと言ったこと、実際に考えてみても友達というのは当てはまらない気がしていること。なにが好きでなにが嫌いか考えたことがなかったこと。向こうが俺を友達だと思っているのに、俺はまったくそう思っていない事実に自分の薄情さを思い知ったこと───。
あまりにも女々しくて、社会人として相応しくない幼稚な悩みだと自覚があるのでとても恥ずかしかったが、事務員さんはそれを笑ったり馬鹿にしたりすることなく聞いてくれていた。
「なるほど……だいたい状況はわかりました」
「あの、こんな悩みとも言えないような話聞かせちゃって申し訳ない……俺ずっと仕事ばっかりで、創造神ともそういう話する仲じゃないし」
「いえ、この件に関してはなにもかも創造神さんが悪いのでお気になさらず」
事務員さんが真顔でずばっと俺の悩みを一刀両断してきた。
な、なにもかも創造神が悪い……のか?
「前から思ってましたけど、事務員さんって創造神のこと嫌いですよね?」
「嫌いというか、大嫌いですね」
「そ、そんなに……?」
「特にああいうデカい図体でウジウジしてる奴は殴り飛ばしたくなります」
デカい図体なのは分かるけど、ウジウジしてるのか創造神って?
どのへんがそうなのか俺にはわからない。
というか事務員さん、他人を殴り飛ばすのか?
首をかしげる俺の心境を察したのか、事務員さんは少し笑って脚を組み直した。
「破壊神さんの心の中の問題は、外野がなにを言っても解決しないでしょう。年の功で簡単な助言くらいはできるかもしれませんが……その程度ですね。それより」
「それより?」
「破壊神さんとしては、自分の心の問題にきっぱり決着を付けることと、職場環境を平和に保っていくこと、どちらの方が重要ですか?」
これは痛いところを突かれてしまった、と思った。
仕事一筋でやってきたせいで、俺の思考回路は自分の理念や求めるものより、業務遂行のために必要か、妥協できるか、といった部分に重きが置かれていることが多くなっているのは自覚があった。
創造神と会話をしていても、同僚の機嫌を損ねないという大前提があって、それに忠実であろうとするあまり自己と行動が分離してしまっている感覚に陥ることがある。
それでも今まではなんとかやってこれた。
ところがここでは、創造神は真っ直ぐに俺を、「俺自身を」見つめてくるので、調子が狂ってしまっているのだ。
「正直、よくわからなくなってしまいました……。でも、俺の個人的な考えを押し通そうとするあまり仕事が疎かになるというのなら、俺の心なんて無くていいと思っています」
「……ふむ。破壊神さんの考え方は根底に相当重いものがありそうですね」
「重いもの……ですか?」
「その話は追々。ともかくまずは創造神さんとぎくしゃくしている現状ですね」
「そうですね……嘘でも、友達だと言って安心させるのが一番早いと思うんですけど」
「それでは根本的な解決にならないでしょう。やり方を私に任せてくれませんか?」
「も、もちろん! 事務員さんに妙案があるというならぜひ!」
事務員さんは鷹揚に頷いてコーヒーを啜った。
こんな俺個人の問題に真剣に向き合ってくれるだけでもありがたいのに、この状況をなんとかする方法まで授けてくれるなんて……事務員さんに後光が射して見える。
「事務員さんみたいな優秀な人が神じゃないなんて、世の中わかんないもんですねぇ」
話し込んで食べ損ねていた弁当を取り出して、俺が溜息混じりに呟いた言葉に事務員さんは苦笑するだけだった。
夕刻。
定時で事務所を締め、事務員さんと別れた。
てっきり事務所に部屋があってそこに住んでいるのかと思っていたけど、そんなことはなかった。あの人の私生活は謎に包まれている。
帰宅した俺を待っている者はいなかった。
「ただいま~」
控えめに声を掛けてみたが、創造神が出てくることはなかった。
暗い室内を突っ切ってキッチンに向かう。
途中、テーブルの上に置いておいた創造神のぶんの昼飯がなくなっていたのを横目で確認した。
たぶん自室にいるのだろうが、物音ひとつしないところをみると寝てしまっているのかもしれない。
いつもうるさいくらい存在感のある創造神が、同じ屋根の下にいるはずなのに気配もなく姿を現すこともないというのは、思いのほか物寂しさを齎した。
「これも作戦のためだ」
自分用と、もし創造神が起きてきたら食べられるように、大鍋に野菜カレーの支度をしながら俺はひっそりと息を吐き出す。
事務員さんが提案してくれた作戦は、特に苦労もなさそうなシンプルなものだった。
創造神が俺と距離を置こうとしているのは、向こうも適切な距離感を測り直したいのだろうというのが事務員さんの見立てだ。
それを利用して、俺の方も創造神とは距離を取り、少し引き気味の位置から徐々に適切な立ち位置を見極めてみよう、というもの。
そのための振る舞いについては簡単に説明を受けた。
まずは今日、自分から創造神に近づかない。
向こうから距離を詰めてくる場合は以前の距離感に戻るということになるが、それは創造神が友達云々の発言を特に気にしていないという証拠でもあるので、気負わず今までのように振る舞えばいいだけと言われた。
ただそうなる可能性は低いとも。
事務員さんの予想通り、創造神は俺と顔を合わせる気はないようだ。
次に明日も、事務所へ出勤すること。
二日連続で家から出て仕事をする俺を見て、創造神がどう動くか見るということだった。
特に明日はちょうど地上観察の業務があるので、家から四阿に行って資料をまとめ、家に戻って書類を完成させてから提出するよりは、事務所から四阿へ赴いて事務所で書類作成と提出をやってしまうほうが、俺も事務員さんも負担が軽くなるという合理的な理由もある。
元々地上観察業務は創造神の担当区分があまりないので、今の拗れ具合でこの仕事に奴が無理やり同行してくることはないのではないかという事務員さんの予想があった。
三日目以降の作戦は二日目までの出方を見て決めるとのことで、現時点では教えてもらっていない。
創造神を試しているという状況に、嫌な気分にならないでもなかったが……俺は対応を誤るわけにはいかないんだ。
借りられるものは猫の手でも事務員の知恵でも惜しむつもりはない。
これが最善だと信じて、行動を起こすことしか俺には道が残されていなかった。
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