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 毎日潘神に挨拶に行っているのだが、徹底的に無視されている。あまりしつこくしても嫌われるだけなので、オスカーはまずは接触回数を増やして、爽やかに挨拶だけするよう決めており、特に落ち込んだりすることはなかった。
 因縁のいきさつもいきさつである。
 のんびり大神殿の中庭を散歩しながら、オスカーは思索にふけった。
 なんというか、潘神様は本当に不遇な英雄なのである。
 生まれ故郷の村は焼かれ、村人は全員死亡。師匠は英雄を守って殺され、聖女は仲間のソードマスターに寝取られ、魔王と相打ちで何百年もの深い眠りについた。また、最終決戦の前に、彼の関わった死者たちが現れて、彼に力を授けたが、彼らが光の扉の向こうに去る際、英雄は「私も連れて行ってくれ!」と叫んだという。ものの本によれば、結局使命のために、ともに行くことはできなかったとある。
(なんとも不憫なんだよなあ)
 オスカーは後ろ手に組んでいた手を解き、顎に手を当てながら、神木と呼ばれるリアの木を眺めた。別に信心はなく、ちょうどいい木陰だったので、立ち止まったのである。
 気持ちの良い風が吹いていた。リアの木も、葉擦れをさわさわとさせている。
 このたび潘神に嫁ぐと立候補したのを「面白そうだから」と言ったオスカーであるが、実を言うと本心というにはいささか語弊があった。
 不憫だなあと思う通り、オスカーは英雄に同情的であったし、もし彼の逸話が脚色を差し引いたにしても、「おいて行かないでくれ、私も連れて行ってくれ!」と泣いてすがったが、結局使命を優先して、ともに行くことができなかったとするエピソードなどは、あまり勇壮でもないので、実際あったのではないかなあと見ていた。
「……非常に倫理的な方だ」
 存在が不安定な神格は、その巫子と交わることで、安定するというのは実際過去に例のあることらしく、仕方ないといえば仕方ないですむのに、きっぱり拒否していた。理由も、他者を自分の慰めに使うことをしたくないと、まっとうである。
 オスカーはこれまで、性的対象はもっぱら女性であったが、特にこだわりはない。好きだなあと思った相手が好きな相手だ。というわけで、潘神様を好きだなあと思い始めていた。正確に言うと、英雄に昔から強く惹かれていたが、実際に英雄であった神様と会って話して、好きだなあと思ったのだ。
 しかし、潘神からは無視されており、また彼はどうも神殿の奥に引きこもっている。そろそろ、もう少し距離をつめてみるかな、とオスカーは考えた。いつも潘神がいる書斎に行ってみたが、不在だったので、少し待つことにした。だが戻って来るけはいはない。
 少し考えると、 魔塔に在籍しているオスカーは、風の精霊に声をかけ、潘神様をお見かけしなかったかな? と尋ねた。
『透明な部屋。緑のたくさんあるところ』
 精霊の回答に、オスカーは礼を言う。
「植物園かな?」
 神殿は薬草や貴重な植物を育てており、ガラスの温室なども施設が充実している。
 訪ねると、奥の方にひとのけはいがあると精霊が教えてくれた。
 そっと進むと、亜熱帯植物のつやつやした大きな葉の下で、膝を抱え込み、大柄な潘神は子供のように身を縮めて、声を殺し泣いていた。両方の手の甲で涙を拭うが、間に合わない。ぼろぼろと次から次に零れてきて、しゃくりあげていた。オスカーは胸がぎゅっとなった。見て見ぬふりをするべきなのか考えたが、とてもできそうにない。わざと足音を立てると、ぎょっとしたように潘神が顔をあげた。
「潘神様」
 オスカーは彼の隣に座った。青ざめた潘神は、けはいを尖らせ、オスカーを意識しているようだが、無言である。
 ひっく、と耐えかねたように潘神の喉がしゃくりあげた。本人にもコントロールが効かないらしい。
 オスカーは、潘神を撫でたり抱きしめたりしたいなぁと思った。しかし、まだ潘神に触れることを許されていない。
 少し考えて、精霊に助力を請うことを断り、ハンカチを冷たい水で濡らすと、潘神に差し出した。
「……」
 潘神はやはり無言だったが、考えた末に受け取ってくれた。オスカーは少しほっとする。
 オスカーの渡したハンカチを目に当てて、やがて彼は口を開いた。
「……なぜ私が泣いていたのか聞かないのか」
「聞いてもよろしいのですか?」
 横に座って、オスカーは首を傾ける。
「理由を聞かせていただけると、私は嬉しいです」
 潘神はまた黙る。短くない沈黙の後、なにか琴線に触れるものがあったらしい。ぽつぽつと話し始めた。
 彼の話は、先程オスカーが思い出していた逸話とほとんど同じだった。潘神は、故郷の人々、師、仲間たちに、先に旅立たれてしまったのだ。彼一人、時間に置き去りにされてしまった。その莫大な時の流れ、それがもたらした孤独と向き合うことに怯え、泣いていたのである。
 繊細な人だ……とオスカーは嫌味でなく思った。繊細で、感受性の強い方だ。
 どうやって陰惨な戦いをくぐり抜けで来られたのかわからない。
「直接……あなたの涙をぬぐってもいいでしょうか」
 オスカーがつとめて淡々と請うと、潘神は長らく黙っていたが、小さく頷いた。
「失礼」
 オスカーは指の背で、彼の目元にそっと触れる。
 涙が伝っていた。美しい涙だ。
「さびしいでしょうね……」
 ぽろり、とまた涙がこぼれる。
 潘神が涙をぬぐうオスカーの手首をつかんだ。どかそうとしたわけではなく、戸惑っているように瞳が揺れている。
「潘神様、もう少しだけ触れてもいいですか」
 オスカーが尋ねると、潘神は先よりは短い時間で了承した。オスカーは彼の髪に触れ、うなじを撫で、更に許可をもらって彼の背中に腕を回して抱きしめた。
 今、この神様に必要なのは、撫でたり、ハグしたり、かなうなら、キスすることだと思った。
 そこは我慢して、と思ったけれども、やはり難しい。ままよ、とオスカーは腹をくくる。
「家族にするようなキスを、あなたにしてもいいですか」
と切り出した。
 潘神がこくりと頷いたので、ほっと安堵し、こめかみや髪など、唇から遠いところにキスをふらした。
 さびしかったですね、がんばりましたね、たいへんでしたね、つらかったですね、そんな気持ちを込めて、家族のキスを贈り続ける。
 やがて、潘神の太い腕が、オスカーの背中に回された。オスカーはそれなりに筋肉質なのだが、潘神に抱きしめられると、腕の中にすっかり閉じ込められてしまう。
「潘神様」
 気づくと、潘神の頬を両手で挟み、彼の方から夢中で唇を合わせ、貪られていた。

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