居酒屋ぼったくり

秋川滝美

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11巻

11-2

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 次々料理の名をあげる美音の声を聞きながら、要は、ため息を抑えられない。いつもながら、美音のいさぎよさに頭が下がる。
 祖父や兄との過去の経緯にまったく頓着していない様子というだけでも見上げたものだと思うのに、慣れているとは言い難い台所で作る料理の量をさらに増やすという。どう考えても、並大抵の心臓ではなかった。

「お酒はたくさん召し上がりますか?」
「おれの家族だからね。おふくろはランチタイムでも平気で一杯やるタイプだよ」

 それを聞いた美音が、電話の向こうで思わせぶりに笑った。なんとなく、もう知ってます、と言わんばかりの笑い方で、要は不思議な気持ちになる。母と美音が昼食を共にした機会などなかったはずだが……と首を傾げていると、美音の取りつくろうような声が飛び込んできた。

「お母様のことはわかりました。それで、他のご家族は?」
「みんなおれの家族だからね。クソ爺と兄貴は酒豪、他もそれなりだよ」
「それなりというと?」
「ウワバミとまでは言わないけど、それなりに呑むってこと。もちろん、君ほどじゃない」

 要の言葉に、美音はひどく不満そうな声を出した。

「要さん、私がどれぐらい呑むかなんてどうしてわかるんですか?」

 付き合い始めてから、ふたりで食事に行く機会も増えたし、酒を呑むこともある。とはいえ、少し呑んでしっかり食べて、がふたりの基本だから、限界まで呑んだことなど一度もない。
 それでどうして私の酒量が見極められるんですか、と美音は問い詰めるような口調で言った。真剣そのものの声に、思わず要は噴き出しそうになる。

「だって君、自分で申告してたじゃないか。潰れたことなんてないって」

 以前、無理やり店を閉めさせてバーに連れ出したことがあった。そのとき、カウンターに並んで腰掛けて聞いた中に、美音を潰して『お持ち帰り』しようとした先輩を返り討ちにした、という話があった。それだけでも美音の酒の強さを知るには十分だ。そもそも酒のファーストトライで、メロンフィズを立て続けに二杯呑んだにもかかわらず、ちょっとふわふわしただけだという。しかも当時の美音は小学生だったというのだから、末恐ろしいにも程がある。

「君は酒に強い。たぶん酒豪だよ。否定できる?」 
「できま……せん……」

 根っからの正直者、嘘なんてつけないからこそ、否定はできなかったのだろう。そして、美音はひどくつまらなそうに言った。

「お酒に強いって、女にとっては褒め言葉じゃないですよね。むしろハンデ」
「なんで?」
「だって……隙がない感じで、可愛くないでしょ?」

 そもそも呑み会も合コンも、十中八九、介抱役になってしまう。くだを巻く友人を四苦八苦してタクシーに押し込んだり、具合が悪くなった友人を部屋まで送っていったり……。部屋に入ったとたん、玄関先で眠り込まれ、布団だけかぶせて帰宅したこともある、と美音は不満をぶちまける。
 友人たちは美音が酒に強いことも、とんでもなくお人好しで面倒見がいいことも知っているから、美音が参加しているとき、あてにして羽目を外すことが多かったそうだ。
 それでは、美音が楽しむことなどできっこない。もちろん、誰かと良い雰囲気になることも……

「つまんないですよ、酒に強い女なんて。自分で望んでなったわけじゃなくて、最初から強かったんです。もうね……お父さんとお母さんの遺伝子を返上したいぐらいでした」

 美音はぶつぶつ言い続けているが、要としては、彼女の両親の遺伝子にはこの先も全力で頑張ってほしい。
 その酒の強さ故に、誰かと深い仲になることもなかったのだ。無事、自分のところに辿り着いたのが、両親の遺伝子のおかげだとしたら、感謝感激雨あられだった。

「まあ、職業柄、酒には強いほうがいいのは確か。問題ないよ。ということで本題、本題」

 なぐさめにもならないようなことを言ったあと、家族の嗜好しこうをあれこれ伝えながら、ふたりは献立の検討を再開した。


     †


「いらっしゃい、美音さん! ようこそ、馨さん!」

『顔合わせ』当日、食材その他、運ぶものも多いだろうから、ということで要が車で自宅まで迎えに来てくれた。そして要といっしょに彼の家に入ったところで、八重の熱烈歓迎を受けたのである。
 玄関先での出迎えは予想の範疇はんちゅうではあったが、八重の後ろからふたりの女性がひょっこり顔を出したのには驚かされた。

「ごめんなさいね。約束の時間にみんな一緒に来てもらうつもりだったんだけど、どうしても舞台裏が見たいって……」

 迷惑でしょうけど勘弁してね、と詫びながら、八重は要の祖母の紀子のりこと怜の妻の香織かおりを紹介した。
 面食らいはしたもののそこは長年の客商売、無難に挨拶を返す。同時に、これは当然の成り行きだろうとも思う。
 もしも逆の立場だったら、美音だって、どんな料理をどんな風に作り上げるか知りたい、間近でつぶさに見たいと思うに違いない。特に、要と八重が口を揃えて絶賛する、プロの料理であればなおのことだった。
 とはいえ、今日の美音は『ぼったくり』の店主としてここに来たわけではない。あくまでも要の婚約者として挨拶に来たのだから、普段のようにカウンターの向こうとこちらに分かれっぱなしの状態はためらわれた。
 和気藹々わきあいあいとはいかないまでも少しは距離を縮めたい。美音がそう考えていると、八重がこれまたすまなそうに言う。

「本当にごめんなさい。そのかわり、お手伝いできることがあったらなんでもするから言ってね」

 それを聞いてはっとした美音は、八重の言葉に甘え、佐島家の女性たちに頼み事をすることにした。
 とはいえ、美音の頼みは単なる『お手伝い』ではなかった。

「香織さんは怜さん、紀子さんは松雄さん、八重さんは要さんが一番好きなお料理を作ってくださいませんか? みなさんがどんなお料理、どんな味付けをお好みか教えていただきたいんです」

 いずれは家族になるのだから料理だけではなく、他のことについても教えたり教わったりしていきたい。美音は自分の申し出に、そんな思いを込めた。だが、それがちゃんと伝わるかどうかは、相手の受け取り方次第。若干の不安を覚えつつ、美音は女性陣の言葉を待った。

「そうね! 家族の集まりなのにひとりだけが台所に立つなんておかしいわよね!」

 まず八重がそう言って大きく頷いてくれた。続いて紀子もにっこり笑う。

「せっかくの機会だから、美音さんにプロのお料理を習いたいって思ったんだけど、私にも美音さんに教えられることがあるなんて嬉しいわ」


 八重はもちろん、紀子の好意的な発言に、美音はひとまず胸をなで下ろした。けれど、最後のひとり、香織は見るからに眉をひそめている。そして、その表情のまま口を開いた。

「お料理を作るのはかまわないんですけど、怜さんが好きなのって、子どもみたいなものばっかりなんです。カレーに唐揚げ、ハンバーグ……わざわざ作るようなものじゃない、っていうより、作り甲斐のないことこの上なし!」

 聞いた途端、その場にいた香織を除いた四人の女が噴き出した。思い当たることがたっぷりあるらしい要も、くっくっと笑っている。

「兄貴は昔から脳みそばっかり磨いてて、舌は置き去りだったんじゃない?」
「まったくねえ……。どうしてこんなに違いが出ちゃったのかしら? 同じものを食べさせて育てた要は、それなりに大人の味覚になってるのに……。ごめんなさいね、香織さん」

 嘆かわしい、と言わんばかりの顔で八重が謝った。
 香織は即座に、お義母様のせいじゃありません、好き嫌いはあくまでも本人の問題です、ときっぱり否定した。
 そのやり取りを聞いていた馨が、美音にこっそり囁く。

「嫁しゅうとめ問題はなさそうだね」

 香織と八重は言うまでもなく、八重と紀子の間も円満そうだ。そうでなければ、夫を放置して八重の住む家に先乗りしてくるわけがない。
 とかく嫁と姑はうまくいかないと言われがちだが、この様子なら美音と八重もきっと大丈夫。馨は、心底安心したようにそんなことを言った。
 ――馨は、私が佐島家の人たちに虐められないか心配してくれてたのね……
 いつも心配させるばかりだった妹が自分を心配する、そのくすぐったさに結婚とはまた違う幸せを感じた。
 姉妹のやりとりに気付かなかったのか、はたまた気付いていても知らぬふりをしてくれたのかは定かではないが、佐島家の女性陣は美音と馨をそっちのけで冷蔵庫の中を覗き込んでいる。

「あら……お料理を作るのはいいんだけど、材料がないわ。今日は美音さんがお料理してくれるって聞いてたから、お買い物もしていないし……」
「ごめん、母さん。おれが、美音が食材をたくさん持ち込むだろうから、冷蔵庫を空けておいてって言ったせいだよね」
「たまたまよ」

 八重は要の言葉を否定するように笑う。食材のことまで考えなかった自分を責めながら、美音は慌てて前言を撤回した。

「すみません! そんなことなら、お料理は……」
「とんでもない。材料なんて買いに行けばいいだけのこと。ってことで、お義母様、香織さん、お買い物に行きましょう。要、車を出してね」
「はいはい、どこへなりとお連れしますよ、奥様方!」

 やけくそのような言葉に、香織が嬉しそうに言う。

「『おれは美音と一緒にいたいのに』って、顔に書いてあるわよ。でも、私たちは運転できないし、お願いね、要さん」
「おやおや……それは申し訳ないわね。でもスーパーまで歩いていくのはちょっと……ってことで、美音さん、要をお借りするわね」
「お気をつけて」
「あら、意外とあっさり『貸し出す』のね」

 その言葉にぎょっとしたような顔をする美音、そして要をひとしきり笑ったあと、佐島家の女性たちは『運転手』を引き連れ、賑やかに出かけていった。
 八重たちにも料理を作ってほしいと頼んだ以上、さっさと作業を終えて台所を明け渡さねばならない。ここからはスピード勝負、とばかりに美音は腕まくりをする。
 馨も同じくエプロンの紐をぎゅっと締め、ふたりは料理に取りかかった。


 怜と松雄が八重の家にやってきたのは、約束の時刻よりも一時間も早い午後五時だった。

「あら、もう来ちゃったの?」

 なんて、約束の時間よりも半日以上早く来た自分たちを棚上げにして紀子が言う。

「いや、今日は土曜日だし、急ぎの用もなかったし、な……」

 松雄が、とってつけたような言い訳をする。

「でも、怜さんは、今日はどこかにお出掛けになってから、って言ってませんでした?」

 香織に訊ねられた怜も、あの予定は別に今日じゃなくてもよかったから……と口の中で呟いている。
 結局みんな待ちきれなかったのね……と美音はこぼれる笑みを抑えられなくなる。
 美音に会いたかったのか、美音の料理を食べたかったのか、あるいは美音が持ってくるに違いないとびきりの酒を呑みたかったのか。
 いずれにしても、全員が予定よりも早くやってきた。美音はそれが嬉しくてならない。
 長年の客商売だし、客相手に失礼なことをして叱られた経験もない。けれど、こればかりは客とは同列に語れない。要の家族に受け入れてもらえなかったらどうしよう……と不安でならなかったが、どうやらその心配はなさそうだった。
 大勢で進めているせいで台所はてんやわんや、それでも和やかに会話しながら料理していると、要がやってきた。

「先に呑み始めちゃっていいかな?」
「じゃあ要さん、お酒は野菜室に入ってますから選んでください」
「大役だな」

 そう言いながら冷蔵庫を開けた要は、中の様子に目を見張った。


「これ、既に野菜室じゃないよね?」
「ごめんなさい。占領しちゃいました」

 野菜室には酒が詰め込まれていた。『ぼったくり』で出される酒のうち、特に人気が高いだろう銘柄が何本も、それに日本酒だけではなく、ビールもワインも入っている。たくさんありすぎて、選ぶのは至難のわざだった。
 助けを求めるように美音をうかがったのに、彼女は素知らぬ顔をしている。
 今日のつどいは、ある意味嫁試しのシチュエーションだというのに、なんでおれが美音に試されることになっちゃうんだ……と脱力しながら、要はいったん野菜室という名の酒蔵さかぐらを閉めて、美音に向き直った。

「最初に出す料理は?」
「要さん、ワンポイント獲得!」

 ふたりのやり取りを聞いていた馨が、高らかに宣言した。
 料理との相性も考えずに酒を取り出すようでは、『ぼったくり』店主の連れ合いは務まりません、なんて、したり顔をする馨を、要は軽く睨んだ。

「おれだって、それぐらいはわかってるよ。それで?」
「まずは、イカナゴの釘煮です」

 そう言いながら、美音は濃い青色の小鉢をお盆にのせる。
 中高なかだかに盛られているのはイカナゴの釘煮だ。瀬戸内に面する地域で二月から四月頃までに取られるイカナゴを使って作られ、春の風物詩のひとつとなっているこの料理は、生のイカナゴを煮た姿が折れ曲がった釘のように見えることから『釘煮』と呼ばれているそうだ。
 要も食べたことがあるが、少々甘みの勝った濃い味付けが、ご飯のおかずや酒のさかなにもってこいの逸品だった。
 少し大きめに育ったイカナゴをさっと釜ゆでにして生姜しょうが醤油じょうゆで食べる方法もあるが、保存性では圧倒的に釘煮が勝る。イカナゴが手に入る地域では、春先に作ったものを小分けにして冷凍し、一年中楽しむのが常だと聞いていた。

「これ、私の友だちがお母様と一緒に炊いたものなんです。毎年春になると、たくさん送ってくれて……」

 美音いわく、せっかくの友人の心遣いだから商売に使うことはせず、家族で大事にいただいている、今日は親族の集まりだし、突き出しにちょうどいいと思って持参したとのことだった。
 密閉容器に入った釘煮を、八重がちらちら見ていた。それに気付いたのか、美音はにっこり笑って八重に手の平を出させ、一箸のせている。八重は目を輝かせ、早速ぱくりとやった。

「そうそう、こんな味だったわ。これ、ちりめん山椒さんしょうとはちょっと違うけど、生姜がきいてて美味しいのよね。お酒にもぴったり……」

 日本酒の冷やと一緒にいただいたら、さぞや美味しいでしょう、と八重は呑兵衛そのものの台詞せりふを口にする。見たところ、八重や紀子、香織の料理は既に終わったようで、作業をしているのは美音と馨だけ。彼女らにしても、最後の仕上げや盛り付けを残すのみなのだろう。
 これなら……と要が誘いをかける前に、美音が口を開いた。

「ありがとうございました。皆さんも、あちらに……」

 要たちと一緒に呑み始めることを勧めた美音に、八重はあっさり首を横に振った。

「そうさせていただきたいのは山々だけど、美音さんと馨さんを置き去りにはできないわ」

 ここはお店じゃないんだから、あなたたちだけを働かせておくわけにはいかない、と紀子と香織も口を揃えた。

「本来、美音さんたちはお客様なのに、お料理をしてもらっただけでも申し訳ないと思ってるわ。そうじゃなくても、女は台所にこもりっぱなし、なんて前時代的すぎるし」

 そんな台詞せりふを口にしたのは、意外にも一番年長者である紀子だった。どうやら、男が呑んで女は働く、という姿に前々から不満を覚えていたらしい。
 確かに今は男女平等の時代。酒食を提供する商売ならまだしも、普通の家庭で女性だけが立ち働いているのを気にする人も多くなっているだろう。ホームパーティの場合もホスト夫妻が並んで、あるいは交替で料理をするという形が増えてきているようだ。おそらく紀子は、客が来たら女性は台所にこもりきり、というのが当たり前の世代。それだけに、逆戻りはまっぴらごめんと思っている可能性も高かった。
 とはいえ、料理はほぼ終わっている。このまま女五人で台所にいてもすることがない。そう思っただろう美音は、再度八重たちをうながした。

「大丈夫です。もうほとんど終わりました」
「あら……そうなの?」
「そうなんです。突き出し代わりのイカナゴの釘煮のあとは、お刺身の盛り合わせ、ヒラメの昆布締こぶじめも入っています。旬なのであぶらがしっかりのって、淡麗なお酒にもよく合うんですよ。申し訳ありませんが、これ、あちらに運んでいただけますか?」

 そう言うと、美音は刺身の大皿を香織に渡した。さらに、刺身に続く料理の説明を添える。

「お野菜はえ物、サラダ、筑前煮の三種類です。ぶりがもうすぐ焼き上がりますし、手羽先もグリルに入っています。ピリ辛のタレを塗って焼いたので、大人の味わいです」

 ――ピピッ、ピピッ、ピピッ……
 ちょうどそのタイミングでタイマーが鳴り、手羽先が焼き上がった。美音は手早く料理を皿に盛り付け、今度は八重に渡す。

「冷めないうちにお願いします。私たちもお魚が焼けたらすぐに行きますから」

 美音の言葉で、八重たちは急ぎ足で大きな座卓が据えられた客間に移っていった。新鮮な刺身と、焼きたての手羽先に、早く食べたい気持ちを増幅されたのだろう。
 美音が鰤の焦げ目を確かめながら訊ねてくる。

「お酒決まりました?」
「うん、決まった。これにするよ」

 そう言いつつ要が取り出したのは『久保田くぼた 千寿せんじゅ』。新潟にある朝日酒造あさひしゅぞう株式会社の代表的銘柄である。まろやかな口当たりと穏やかな香りを持つ吟醸酒で、全国で広く愛されている。ふくよかな甘みが、イカナゴの釘煮やヒラメの昆布締こぶじめの味を引き立ててくれるはずだ。 

「お見事です」

 美音が、難問を解き終えた生徒を褒めるように頷いた。要は自慢げに、ふふん、と鼻を鳴らし、酒瓶を手に客間に向かった。


 座卓の一番上座は松雄、隣に怜、要が座っている。反対側は、紀子、八重、美音、馨、香織と女性陣が並ぶ。『顔合わせ』という目的上、当初、美音と馨の席は松雄の向かいに用意されていたのだが、調理の関係で席を離れることもあるし卓の中程が望ましいだろう、と八重が席替えを提案してくれたのだ。
 美音と要を別れさせようとした『処理』の件には触れない、という暗黙の了解はあるものの、面と向かうのは気まずい……と思っていた美音は、八重の配慮に頭が下がる思いだった。
 それぞれのはいに酒が満たされた。

「では始めましょうか」

 家主の八重の声で宴が始まる。どの盃に入っているのも日本酒。とりあえずビールという発想は微塵みじんもない家らしい。美音にしてみれば、嬉しいような、恐ろしいような……だった。
 そっと馨をうかがうと、馨もこっちを見ていて、日本酒で乾杯ってすごいよね、と美音だけに聞こえるような声で囁く。さすがは姉妹、思うところは同じらしかった。
 座卓の上には、所狭しと料理が並んでいる。
 八重と要のふたり暮らし、しかも普段要は留守がちである。食器、特に大皿が揃っているとは思えなかったため、美音は食器も持ち込んだ。大半の料理は、その大皿にどーんと盛り付けている。
 こうしておけば好きなものを好きなだけ食べられる。口に合わないものもあるだろうし、それぞれが食べる量もタイミングも違うだろうから……と考えてのことだった。

「壮観ねえ……」

 紀子は感嘆の息を漏らし、香織は写真を撮り始めた。どうやらSNSに記事をあげるつもりらしく『いいね』が増えるの増えないの、と嬉しそうに怜に話している。

「佐島建設の社長夫人がSNSに夢中なの?」

 馨は驚いたようだが、彼女自身もSNSを頻繁に利用している。実名が義務づけられているサイトなら簡単に辿りつけるし、もしかしたらSNSでの交流も始まるかもしれない。
 女性はいずれも料理に満足してくれている様子。では男性たちは? と美音は向かい側に目をやった。
 要が料理の説明をしてくれている。イカナゴの釘煮を除けば、どれも一度は『ぼったくり』で食べたことがある料理のため、よどみなく説明が進んでいく。
 説明のかたわらで、松雄は要が取り分けた料理のひとつひとつをじっくり眺めて口に運ぶ。
 あまり表情が変わらないから、気に入らないのだろうか……と心配していると、紀子が笑いながら言った。

「美音さん、あの人、かなり気に入ったみたいよ」

 昔の男だから、食べ物についてあれこれ言うのは好ましくないと思っている。けれど、気に入らないものは絶対に食べないし、文句だけは大声で言う。そのどちらでもなく、せっせと食べているのだから気に入っているに違いない、と紀子は言うのだ。

「ちっともお箸が止まらないでしょ? 普段ならお酒のときはほとんど食べない人なの。それなのにこの有様」
「そうなんですか……」

 紀子の解説で、美音は胸を撫で下ろした。
『ぼったくり』の客はみな、酒や料理についての感想は言うのが当たり前、客の意見が店を育てるのだ、という考えの人ばかりだ。だから、無言で箸を運ばれると、ついつい不安になる。だが、紀子がそう言うのであれば、本当に気に入ってくれているのだろう。
 続いて、香織が口を開く。

「怜さんもよ。もともとお子様嗜好しこうだから、煮物を食べるのは珍しいの。よほど気に入ったのね、あの筑前煮」
「最初に胡麻油ごまあぶらでしっかり炒めてありますから、普通の煮物より食べやすいのかもしれません」

 煮物よりも炒め物に近い。それぐらい、はっきりと胡麻油の香りがする。味も少々濃い目にした。 
 野菜本来の味を消してしまう可能性もあったが、『お子様嗜好』と揶揄やゆされる怜にはそのほうが食べやすかったようだ。

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