28 / 35
💧 Life3 ふたりのかたち
主夫も楽じゃない
しおりを挟む*
カーテンから優しく差し込む朝の光で、目が覚めた。
アラームじゃ、ない。ということは――
丈はそっと寝返りを打ち、すぐそばで穏やかな寝息を立てるあまねに、思わず顔をほころばせた。
と同時に、今隣にいるのは、恋人じゃなくて妻なんだよなぁ……なんてことを飽きもせずしみじみ思う。
ずっと好きだった女の子に、愛の告白をすっ飛ばしてプロポーズされて結婚してから、早半年が経とうとしていた。
そして、今からおよそ一ヶ月前――久しぶりに体調を崩したあの日、突然知らされた妊娠の事実。彼女のお腹に宿った新しい命は、すくすくと成長しているようだし、丈の主夫業もだいぶ板についてきた今日この頃だ。
いつもは彼女のスマホのアラームで一緒に目覚めるのだが、今日はそれが鳴らなかった。
そういえば昨日の夜「やっと休みだぁ~」と歓喜していた気がしなくもない。
シフトのやり繰りがしやすいよう、平日と土日でバイト先を分けているにもかかわらず、人手不足を理由に急遽呼び出されることもめずらしくないので、完全な休日は週に一度あるかないかだ。
丈も余裕のあるときは日雇いに出たりするが、こちらもこちらで条件が劣悪なものが多く、なかなか家計の足しにはならない。
今は妊娠初期で何かと不安定な時期だし、体は大事にしてほしいけれど、おそらくギリギリまで働くつもりだろう。
だったらせめて、たまの休みくらい、好きなだけ寝かせてあげたい。
丈は、貴重な妻の寝顔をゆっくり眺めていたい――もっと欲を言えばそっとキスを落としたい衝動を抑え、静かにベッドから抜け出した。
トイレを済ませ、リビングダイニングまでやってきて、ふと思い出す。
しまった。今日はゴミの日だったか、と。
あわてて壁の時計を見やる。
今朝は自然な目覚めだったから、かなり寝過ごしたのではと思ったが、蓋を開けてみるとそうでもなかった。
よかった。まだ間に合う。体内時計に感謝だ。
ほっとしながら、キッチンにかけられたゴミ袋を覗いた丈は、むむむと眉間にしわを寄せた。
上部でひしめき合う、某有名バーガーショップのフライドポテトとカップラーメンの空容器。見たくもないが、奥を漁ればまだ出てきそうだ。
――これは、またか。
中身はあまねの腹に収まったのだろう。現場を目撃していないことから推測するに、犯行時間は深夜かもしれない。
彼女は今、言わば食べづわりというやつで、食欲が凄まじいことになっている。特に最近は、常に何か口にしていないと気持ち悪くてしかたない、のだそうだ。
しかも困ったことに、塩気や脂気の強いものばかり食べたくなるという。
下手をすれば仕事も続けられなかっただろうし、吐き気が止まらない辛さを痛いほど知っている丈としては吐きづわりよりよほどいいと思うものの、まだお腹の膨らみが目立つ頃でもないのに、少々丸み帯びてきたような気がする。
こんなこと、本人に言ったら鉄拳が飛んできそうなので、黙っているが。
一度、見兼ねてやんわり注意したこともあったけれど、
「どうせ男のあんたには分かんないもん」
と冷たく返された。
その言い方はずるいし、心外である。
実のところ丈だって、レスが辛いのだ。
妊娠三ヶ月目。もともとそういう欲が強いほうではないのでどうにか耐えられてはいるけれど、妊娠が発覚する直前までは、かなりの頻度で愛を育んでいたわけで。
それがぱったりなくなったとなれば、やはり男として寂しいものはある。
先日の通院時にあまねの妊娠を主治医に伝えたところ、もし君が本格的に治療を受けていたら、その影響で子供は望めなかったかもしれない、と言われた。君の頑固な姿勢を全肯定するわけじゃないけど、そこだけはよかったかもね、と。
妊娠中だからといって絶対にNGというわけではないらしいのだが、初めての子だから何かあっては困るし、あまねにも余計な負担はかけたくない。
やむを得ず、専らいってらっしゃいのキスで我慢の日々が続いている。もっとも、彼女が休みの今日は、それすらお預けというしょっぱい現実。
――もう、僕だっていろいろ考えてるのにっ!
あれこれ思い返してむっとしながらも、ちゃんと証拠隠滅できていないあたりがまたかわいい、なんてにやけてしまうのは、惚れた弱みか。
調べたところによると、つわりのときには、イチゴやグレープフルーツ、梅など、酸味のあるものが効果的らしい。ネットの情報なんて、どこまで信用していいか分からないけれど「どうせ男」の自分にしてやれることはこれくらいしかない。
たしか、冷蔵庫に梅干しがあったはずだ。食欲爆発中とはいえ、朝はそんなに食べないだろうし、起きてきたら、温め直したご飯にでも乗せてあげよう。
妊娠中ですらこんなふうなのに、生まれたら――やれやれ、主夫も楽じゃない。
丈はちょっぴり先行きに不安を感じつつ、ゴミ袋を手に取った。
*
バイト先へ急ぐ途中、スマホがのん気にメッセージの着信を知らせた。
「なによもう! こんなときにっ!」
走りながら髪をまとめていたあまねは、たまらずやり場のない怒りを叫んだ。
おっと、妊婦は走っちゃダメ――ってそんなことを言っている場合ではない。
昨日、久しぶりにまともな休みを取ったせいで気が緩んだのか、そのままアラームをセットし忘れ、今朝はまさかの寝坊。人生初、遅刻の危機にさらされているのだ。
どうでもいいクーポン情報とかだったらスマホぶん投げてやる、と苛立ちのあまりやけになりながらも、何か忘れたりしていたらいけないと思い、バッグの中を探ったとき――ふと、ビニール袋のようなものが触れた。
怪訝に思って立ち止まる。
そっと取り出してみれば、クッキーの入った小袋だった。ムラのないきつね色。星形やハート形など、見た目もかわいらしい。
『一気にじゃなくて、少しずつ食べること!』
一緒にラッピングされたメモに、ふっと笑みがこぼれる。丈の字だ。
こんなしゃれたもの、いつの間に作ったのだろう。
兄とのふたり暮らしで、やらざるを得なかったのか、彼は家事も料理も、専業主夫の名に恥じない程度にはこなせる。
そこらの男性に比べたらはるかにできるほうだし、言わずもがな、こういった女子力に至っては、妻の自分よりも上だ。まあ、私の微々たる女子力なんて、誰でも簡単に超えられそうだけれど。
本当は直接渡したかったんだろうな、と今日に限って寝坊した自分を悔いた。
しょーがない。ここ数日はキスもご無沙汰だし、帰ったらいっぱい甘えさせてやるとしよう。
そこではっと思い出して、スマホを確認する。
届いていたのは案の定セールス類のものだったけれど、スマホをぶん投げる代わりに、後で通知オフにしておこうと思いながらさっそくクッキーをひとつ口に放り込み、あまねはまた走り出した。
10
あなたにおすすめの小説
壊れていく音を聞きながら
夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。
妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪
何気ない日常のひと幕が、
思いもよらない“ひび”を生んでいく。
母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。
誰も気づきがないまま、
家族のかたちが静かに崩れていく――。
壊れていく音を聞きながら、
それでも誰かを思うことはできるのか。
翡翠の歌姫-皇帝が封じた声【中華サスペンス×切ない恋】
雪城 冴 (ゆきしろ さえ)
キャラ文芸
宮廷歌姫の“声”は、かつて皇帝が封じた禁断の力? 翠蓮は孤児と蔑まれるが、才能で皇子や皇后の目を引き、後宮の争いや命の危機に巻き込まれる――
その声の力に怯えながらも、歌うことをやめられない翠蓮(スイレン)に近づくのは、真逆のタイプの二人の皇子。
優しく寄り添う“学”の皇子・蒼瑛(ソウエイ)と、危険な香りをまとう“武”の皇子・炎辰(エンシン)。
誰が味方で、誰が“声”を利用しようとしているの――?声に導かれ、三人は王家が隠し続けた運命へと引き寄せられていく。
【中華サスペンス×切ない恋】
ミステリー要素あり、ドロドロな重い話あり、身分違いの恋あり
旧題:翡翠の歌姫と2人の王子
後宮なりきり夫婦録
石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」
「はあ……?」
雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。
あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。
空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。
かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。
影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。
サイトより転載になります。
結婚する事に決めたから
KONAN
恋愛
私は既婚者です。
新たな職場で出会った彼女と結婚する為に、私がその時どう考え、どう行動したのかを書き記していきます。
まずは、離婚してから行動を起こします。
主な登場人物
東條なお
似ている芸能人
○原隼人さん
32歳既婚。
中学、高校はテニス部
電気工事の資格と実務経験あり。
車、バイク、船の免許を持っている。
現在、新聞販売店所長代理。
趣味はイカ釣り。
竹田みさき
似ている芸能人
○野芽衣さん
32歳未婚、シングルマザー
医療事務
息子1人
親分(大島)
似ている芸能人
○田新太さん
70代
施設の送迎運転手
板金屋(大倉)
似ている芸能人
○藤大樹さん
23歳
介護助手
理学療法士になる為、勉強中
よっしー課長
似ている芸能人
○倉涼子さん
施設医療事務課長
登山が趣味
o谷事務長
○重豊さん
施設医療事務事務長
腰痛持ち
池さん
似ている芸能人
○田あき子さん
居宅部門管理者
看護師
下山さん(ともさん)
似ている芸能人
○地真央さん
医療事務
息子と娘はテニス選手
t助
似ている芸能人
○ツオくん(アニメ)
施設医療事務事務長
o谷事務長異動後の事務長
ゆういちろう
似ている芸能人
○鹿央士さん
弟の同級生
中学テニス部
高校陸上部
大学帰宅部
髪の赤い看護師
似ている芸能人
○田來未さん
准看護師
ヤンキー
怖い
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる