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💧Life2 蒼きジレンマ
未知なる一歩
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――一般病棟に戻ってきました。
数日後、放課後に純からの一報を受けて、飛んできてしまった。
あまねは、弾む息を整え、病室のドアの前で背筋を伸ばす。
一度息を吸って吐いてから、一定のリズムで三回、ドアをノックした。
「はい」
一枚隔てた向こう側で答えたのは、今となってはすっかり耳に馴染んだテノール。
とくん、とくん、と小さく脈打つ胸。なんだか、彼のもとを初めて訪ねた夏の日と、よく似ている。
もうあの頃のようにたどたどしい関係ではないけれど、未知なる一歩を踏み出そうとしているという点では、ある意味同じかもしれない。
そんなことを考えながら、ゆっくりとドアを引いた。
*
「あまね……」
ドアの向こうに立っていたのは、やはり彼女だった。
丈は、読みかけの文庫本をひざの上に置く。夏休み最終日、彼女が読んでいたのと同じものだ。
あの頃、左腕を覆っていた偽りの三角巾は、もちろんもうない。
例に漏れず、真実をひた隠しにしなければならない一員だったはずの彼女も、今やその秘密を共有する限られたうちのひとりだ。
そう考えると、たった数ヶ月前の出来事が、遠い昔のことのように感じられた。
きっと来るだろうと思っていたくせに、いざ目の前にしたら、何を言えばいいか分からない。
ベッドで上半身を起こしたまま思い悩んでいると、彼女はドアを閉めて、おもむろにこちらへ歩みを進め――
ただ何も言わず、僕を抱きしめた。
瞬間、文庫本が乾いた音を立てて落ちる。
抱きしめたというより、縋ったといったほうがいい。
今触れているぬくもりと存在が、本物であるかを確かめるように、さらにきつく引き寄せられる。
その力は、じんわりと痛みを感じるほど強いのに、なぜか脆く崩れてしまいそうで。
間近に感じる息づかいと体温に、鼓動が速くなる。
「ちょっと、あま――」
「ちゃんと、生きてる……?」
尋ねた声はか弱く、かすかに震えていた。
それがどうしようもなく苦しくて、愛おしくて。
「……うん。生きてるよ。生きて、ちゃんとここにいるよ」
静かに答えながら腕を回して抱擁に応え、優しく背中を撫でてやる。
「どんだけ心配したと思ってんの?」
「ごめん」
いつもより頼りなく思える背中をさすりながら、つい数日前まで絶不調だった体が、劇的に回復したのは、こうやって彼女をなぐさめるためだったのかもしれない、なんて思った。
「……そんなに死にたいなら、勝手に死んじゃえばいい」
突如、身を預けたまま彼女が放ったのは、衝撃的な一言だった。他人が聞いていたら、頬を張られてもおかしくないほど。
穏やかに上下していた丈の手も、とたんに止まってしまう。
呆気に取られていると「ただその前に……」と何か決意するような深呼吸が聞こえた。
「――結婚してよ。私と」
「えっ……?」
続けられた言葉に、一層混乱する。
反射的に渦巻き始めた、疑問や否定的な思いは、
「分かってる」
彼女のひと声で掻き消された。
「自分でも分かってる。むちゃくちゃなこと言ってるって。だって私たち、まだ十八だし、そもそも付き合ってもいない。けど初めてなの。誰かが自分の前からいなくなっちゃうかもって思ったとき、それを怖いって、嫌だって、叫びたくなったのは」
切実な訴えは、次第に涙を帯びていく。
「この気持ちが、愛なんて立派なものなのかどうかは分からない。突き詰めると、身勝手で、結局自分がかわいいだけなんじゃないかって思ったりもする。でもエゴだとしても、丈が大事なの。失いたくないの」
もしかしたら、昨日の電話の後も、こんなふうに泣いたのだろうか。
「だから、どうせ置いていくなら――生きられないのなら、遺される人に生きる希望を託してからいなくなってよ」
こんなふうに泣いて、たくさん悩んだのだろうか。
本気で言ってる……?
熱い涙を前に、そんな疑いも消えていく。
「丈が私に何かを残してくれたら、お父さんがなんだかんだ言いつつそれなりに父親やってるみたいに、今よりちょっとだけまともな人間になれる気がするから。捨てるはずだった時間、私にちょうだい」
――そこまで聞いて、ようやく彼女の言わんとするところが分かった気がした。
「でもそれってさ、別に、相手は僕じゃなくてもよくない?」
張り裂けそうな気持ちを抑え、ちょっと試すつもりで問うてみれば、
「違うっ! 丈じゃなきゃダメなの!」
彼女は駄々をこねる子供のように言い張って、ついに嗚咽を漏らし始める。
「それに私、もう逃げたくない! あなたと他人のまま終わるなんていやだ!」
――あぁ、もう。
「あーもう、ずるい! ほんとずるい!」
思わず叫んで、泣きじゃくる彼女を、再びぎゅっと抱擁した。
たしかに俯瞰してみれば、彼女の主張は身勝手で、無謀で、自己中心的かもしれない。けれど、それを叶えてあげたいと思ってしまうのは、きっと相手が彼女だからこそで。
つまるところ、人間関係って、そうやって成り立っているんじゃないのか?
「ねぇ、知ってる? あまね。絶対脈ナシだと思ってた女の子からそんなこと言われたら、男はたまんないんだよ?」
場の勢いに任せて口走ったものの、耳もとで聞こえる嗚咽が大きくなっただけだった。
果たして伝わっているのやら、いないのやら。
釈然としないが、少なくともこちらに気があると分かってこんな大胆な行動に出たわけではなさそうだ。
初めて目の前で見せる涙が、何よりの証だろう。
「君の両親は、十八と十六で学生デキ婚したんでしょ? だったら、僕らにだってできないことはないよ」
実際、問題は山積みだろうし、愛さえあればなんとかなるなんて、夢見がちなことを言うつもりはないけれど。でも、それでも。
「まあもっとも――ふたりのボスからお許しが出たら、だけどね」
あえて軽い口調で言うと、彼女は鼻をすすりながら、くすっと笑った。
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