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冗談のつもりだったのだが、私が夕食の支度をしている間、千賀さんは主にベッドや小型のクローゼット等、実家から持ち込んだ家具の組み立てを引き受けてくれた。こういった作業があまり得意でない私にとっては、これで残りの片付けは大分楽になる。
「一人暮らしの家に、いいのかな。でも……いやいややっぱり」
もっとも玄関に入ってから靴を脱ぐまで、千賀さんは謎の文言を連ねながら、たっぷり十分は葛藤していたけれど。
「美味そうだね」
冬になると決まって流れるCMを真似て作った、豚肉と白菜の鍋を部屋の中央に置いたテーブルに乗せると、千賀さんは嬉しそうに頬を緩ませた。
「一人鍋もありなんだろうが、やっぱり二人で囲む方がいいな」
湯気の向こうではにかみながら、味わって食べる千賀さん。特に工夫したものでもないのに、喜んでくれているのが面映ゆい。
「大袈裟です」
「前にも言ったけど、灯里ちゃんの作る飯は美味いよ。朝も夜も楽しみだったよ」
「確かに完食してましたけど、いつも渋々といった体でしたよ?」
「顔に出ないようにしてたからなあ」
苦笑する傍からおかわりする千賀さんに、ほのぼのとした雰囲気が漂う。
「そういえば上原さんが、お弁当を見せびらかしていたって」
ぽろりと零して慌てて口を噤む。当時はうっかり騙されたけれど、これは似非脚本家が仕込んだ嘘。余計な話題を持ち出してしまった。
「本当だよ」
照れ臭そうに千賀さんが明後日の方を向いた。
「同僚達の前で庇えなかったから、灯里ちゃんが料理上手だと認めさせたかったのもあるけど、灯里ちゃんと結婚できて、他の誰でもない俺が一番幸せなんだって、周囲に知らしめたかった」
君なら分かってくれるだろう、と続ける。
「たかが紙切れ一枚だという人もいる。でもその紙切れが、俺と灯里ちゃんを一生繋ぐんだよ? 灯里ちゃんの夫としてずっと傍にいられるんだよ?」
そうだ。だから私も結婚したのだ。例え千賀さんの気持ちが私になくとも、普通の夫婦のようにはなれなくとも、私達なりの形で寄り添える日を夢見て。
「別居をしても、俺達は他人じゃない」
優しく諭されて、私は静かに箸を置いた。自分のしていることに意味があるのか、今更ながら分からなくなった。ここまで私を必要としてくれる千賀さんに、意地を通して無理をさせて、縛りたくないと言いながら縛って。結局今の私は彩華や上原さん同様、彼を振り回しているだけなのではないだろうか。
ーー私はただ千賀さんと一緒にいたかった筈なのに。
「酷いことしてますよね、私」
真っ直ぐな千賀さんの想いに触れて、ほんの少し目が覚めたような気がした。贖罪でも何でもない。私は自己満足の為に、まるでこれが罪滅ぼしかのように、身勝手な行動を取っているのだと。一番大切な人を苦しめて。
「灯里ちゃん」
ゆっくりと千賀さんが私の名前を呼んだ。
「人は間違う生き物だろう?」
二人暮らしのリビングとは違う、全てが近い六畳一間で、低い彼の声が身の内に沁みてゆく。
「俺も、上原も、彩華も。灯里ちゃんだって」
「でも」
「何もしないより、時には気持ちのままに動くのも大事なんじゃないかな。結果間違えて、誰かを傷つけることもあるかもしれないけれど、そこで過ちに気づくことも、またやり直すこともできるだろう?」
禊中の俺が言えた義理じゃないな、と千賀さんは自分の台詞に吹き出した。つられて笑った私を、今度は真顔でみつめる。
「俺はどんな灯里ちゃんも好きだから」
間違ったなら二人でやり直せばいい。君が俺に怒りの拳を振るったときのように、と。
「千賀さん……」
くしゃりと顔を歪めた私の頭を、千賀さんは腕を伸ばして三度撫でる。妙に安心できて、大人しくされるがままになっていたら、彼は唐突に自分の髪を掻きむしった。
「やばい。帰りたくなくなる」
「お正月は私のせいでばたばたして、ゆっくり休めなかったですよね。少し横になりますか?あ、でも着替えがないですね」
「そ、そそ、そういう問題じゃないから!」
無意識に首を傾げると、それも反則だからと軽く私を睨みつつ狼狽える。
「俺、一年お預け食らってるんだよ?」
「お預けって餌じゃあるまいし」
「笑い事じゃない! 正確には再会した頃からだから、一年どころじゃないんだぞ!」
「はあ、それが?」
「狼になるかもしれないだろ!」
「手も繋げない人がですか?」
お鍋の煮えるぐつぐつという音と、スープの絶妙な臭いが室内に充満する。ろくに会話がなくても、同じ家に住んでいたのだ。いくらでも機会はあった筈。
「またそうやってヘタレ扱いする」
拗ねて白菜にかぶりつく千賀さんが、この上なく可愛く見えて、私は最早笑いが止められなかった。
「千賀さん、こんな人だったんですね」
「どうせ呆れてるんだろ」
「いいえ。不思議なんですけど、知れば知るほど嫌いになれません」
優しいあなたも、不器用なあなたも、格好悪いあなたも、可愛いあなたも、ヘタレなあなたも、全て引っくるめて。
「またどうして無自覚に……。煽ってばかりいると、俺すぐにでもここに引っ越してくるぞ」
「六畳一間ですよ?」
「幸い家具は処分済み。元々俺の荷物も少ない」
「ご覧の通り狭いですよ?」
「再出発には持ってこいだな。灯里ちゃんさえいてくれたら、俺はどこだっていい」
本人的には失言(?)だったのだろう。殺し文句を吐いた途端、千賀さんは耳を火照らせた。誤魔化すように食べまくる彼に心が和む。
意地を張るのをやめてもいいのだろうか。でも昨日の今日で態度を覆したら、私の意思を汲んでくれた千賀さんの気持ちを台無しにすることになる。
「こうして会えるなら、今のままでも不幸じゃないけれど、もし灯里ちゃんが少しでも俺と一緒にいたいと思ってくれるなら、自分を曲げるのは大歓迎だ」
私の迷いを見透かしたように、千賀さんは柔らかくも力強く言った。
「一人暮らしの家に、いいのかな。でも……いやいややっぱり」
もっとも玄関に入ってから靴を脱ぐまで、千賀さんは謎の文言を連ねながら、たっぷり十分は葛藤していたけれど。
「美味そうだね」
冬になると決まって流れるCMを真似て作った、豚肉と白菜の鍋を部屋の中央に置いたテーブルに乗せると、千賀さんは嬉しそうに頬を緩ませた。
「一人鍋もありなんだろうが、やっぱり二人で囲む方がいいな」
湯気の向こうではにかみながら、味わって食べる千賀さん。特に工夫したものでもないのに、喜んでくれているのが面映ゆい。
「大袈裟です」
「前にも言ったけど、灯里ちゃんの作る飯は美味いよ。朝も夜も楽しみだったよ」
「確かに完食してましたけど、いつも渋々といった体でしたよ?」
「顔に出ないようにしてたからなあ」
苦笑する傍からおかわりする千賀さんに、ほのぼのとした雰囲気が漂う。
「そういえば上原さんが、お弁当を見せびらかしていたって」
ぽろりと零して慌てて口を噤む。当時はうっかり騙されたけれど、これは似非脚本家が仕込んだ嘘。余計な話題を持ち出してしまった。
「本当だよ」
照れ臭そうに千賀さんが明後日の方を向いた。
「同僚達の前で庇えなかったから、灯里ちゃんが料理上手だと認めさせたかったのもあるけど、灯里ちゃんと結婚できて、他の誰でもない俺が一番幸せなんだって、周囲に知らしめたかった」
君なら分かってくれるだろう、と続ける。
「たかが紙切れ一枚だという人もいる。でもその紙切れが、俺と灯里ちゃんを一生繋ぐんだよ? 灯里ちゃんの夫としてずっと傍にいられるんだよ?」
そうだ。だから私も結婚したのだ。例え千賀さんの気持ちが私になくとも、普通の夫婦のようにはなれなくとも、私達なりの形で寄り添える日を夢見て。
「別居をしても、俺達は他人じゃない」
優しく諭されて、私は静かに箸を置いた。自分のしていることに意味があるのか、今更ながら分からなくなった。ここまで私を必要としてくれる千賀さんに、意地を通して無理をさせて、縛りたくないと言いながら縛って。結局今の私は彩華や上原さん同様、彼を振り回しているだけなのではないだろうか。
ーー私はただ千賀さんと一緒にいたかった筈なのに。
「酷いことしてますよね、私」
真っ直ぐな千賀さんの想いに触れて、ほんの少し目が覚めたような気がした。贖罪でも何でもない。私は自己満足の為に、まるでこれが罪滅ぼしかのように、身勝手な行動を取っているのだと。一番大切な人を苦しめて。
「灯里ちゃん」
ゆっくりと千賀さんが私の名前を呼んだ。
「人は間違う生き物だろう?」
二人暮らしのリビングとは違う、全てが近い六畳一間で、低い彼の声が身の内に沁みてゆく。
「俺も、上原も、彩華も。灯里ちゃんだって」
「でも」
「何もしないより、時には気持ちのままに動くのも大事なんじゃないかな。結果間違えて、誰かを傷つけることもあるかもしれないけれど、そこで過ちに気づくことも、またやり直すこともできるだろう?」
禊中の俺が言えた義理じゃないな、と千賀さんは自分の台詞に吹き出した。つられて笑った私を、今度は真顔でみつめる。
「俺はどんな灯里ちゃんも好きだから」
間違ったなら二人でやり直せばいい。君が俺に怒りの拳を振るったときのように、と。
「千賀さん……」
くしゃりと顔を歪めた私の頭を、千賀さんは腕を伸ばして三度撫でる。妙に安心できて、大人しくされるがままになっていたら、彼は唐突に自分の髪を掻きむしった。
「やばい。帰りたくなくなる」
「お正月は私のせいでばたばたして、ゆっくり休めなかったですよね。少し横になりますか?あ、でも着替えがないですね」
「そ、そそ、そういう問題じゃないから!」
無意識に首を傾げると、それも反則だからと軽く私を睨みつつ狼狽える。
「俺、一年お預け食らってるんだよ?」
「お預けって餌じゃあるまいし」
「笑い事じゃない! 正確には再会した頃からだから、一年どころじゃないんだぞ!」
「はあ、それが?」
「狼になるかもしれないだろ!」
「手も繋げない人がですか?」
お鍋の煮えるぐつぐつという音と、スープの絶妙な臭いが室内に充満する。ろくに会話がなくても、同じ家に住んでいたのだ。いくらでも機会はあった筈。
「またそうやってヘタレ扱いする」
拗ねて白菜にかぶりつく千賀さんが、この上なく可愛く見えて、私は最早笑いが止められなかった。
「千賀さん、こんな人だったんですね」
「どうせ呆れてるんだろ」
「いいえ。不思議なんですけど、知れば知るほど嫌いになれません」
優しいあなたも、不器用なあなたも、格好悪いあなたも、可愛いあなたも、ヘタレなあなたも、全て引っくるめて。
「またどうして無自覚に……。煽ってばかりいると、俺すぐにでもここに引っ越してくるぞ」
「六畳一間ですよ?」
「幸い家具は処分済み。元々俺の荷物も少ない」
「ご覧の通り狭いですよ?」
「再出発には持ってこいだな。灯里ちゃんさえいてくれたら、俺はどこだっていい」
本人的には失言(?)だったのだろう。殺し文句を吐いた途端、千賀さんは耳を火照らせた。誤魔化すように食べまくる彼に心が和む。
意地を張るのをやめてもいいのだろうか。でも昨日の今日で態度を覆したら、私の意思を汲んでくれた千賀さんの気持ちを台無しにすることになる。
「こうして会えるなら、今のままでも不幸じゃないけれど、もし灯里ちゃんが少しでも俺と一緒にいたいと思ってくれるなら、自分を曲げるのは大歓迎だ」
私の迷いを見透かしたように、千賀さんは柔らかくも力強く言った。
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