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第一話:暗い朝

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灰色の空がロマホフの上に広がり、夜の冷たい霧があたりを薄く漂っている。ベニアミーナ・チェーヴァは、石造りの窓から冷えた手を差し出し、庭を見下ろしていた。深く息を吸うと、胸の中に重い塊が沈んでいくのを感じた。今日もまた、彼女を縛るこの屋敷から逃れられない一日が始まろうとしている。

背後から、義母ルイージャの足音が聞こえる。彼女はそっとベニアミーナの肩に手を置き、静かに声をかけた。


「ベニアミーナ、大丈夫?」

「ええ、お義母様。ただ……外の空気を少し吸いたくて」


ルイージャは娘の顔を見つめ、彼女の目の奥に隠された悲しみを読み取ろうとした。だが、その表情は相変わらず硬く、何も感じさせなかった。二人は義理の親子ではあるが、すべてを打ち明けられるほどの気安い関係ではなかった。


「お父様が……」


ルイージャはいったん、言葉を飲み込んだ。
ベニアミーナの肩が、ピクリと反応する


「また、あなたを呼んでいるわ。準備を……してちょうだい」


その言葉がベニアミーナの心臓を強く締めつけた。彼女は窓から視線を外し、静かに頷いた。胸の中で、怒りと恐怖が渦巻く。
彼女は知っていた。今日もまた、あの恐ろしい目に見つめられ、心がすり減るような時間を過ごすのだと。


ベニアミーナは、ふと義母の顔を見つめた。ルイージャアの顔には疲労の色が滲み出ており、その瞳は何かを恐れるように震えている。彼女もまた、フランチェスコの冷酷さから逃れる術を持たない人間だった。ベニアミーナが幼い頃から感じていたその冷たさは、ルイージャをも覆い尽くしていた。


「(お義母様も……お父様に苦しめられているのね?)」


ベニアミーナは心の中で、問いかけた。しかし、言葉にする勇気はなかった。ルイージャは、ベニアミーナを見つめ返すと、微かに唇を震わせた。


「大丈夫よ、ベニアミーナ。私たちは……強くいなければならないわ」


彼女は優しく言うが、その声にはまるで力がなかった。ベニアミーナは、義母もまた、いつかこの屋敷の暗闇に押しつぶされてしまうのではないかと恐れた。



ひとりで階下に降りると、フィデンツィオ・チェーヴァが豪奢な椅子に座り、冷ややかな目で娘を見つめていた。彼の顔は疲れたように見えるが、常に威圧感を漂わせていた。部屋の空気が張り詰め、その存在が全てを支配しているようだった。


「遅いなぁ、ベニアミーナ」


父、フィデンツィオコの低く響く声が部屋を震わせる。


「申し訳ありません、お父様」


ベニアミーナは小さな声で答え、彼の前に立った。


「お前が家の名誉を守るために、もっと何かをしてくれていれば、このようなことはしないですんだのだがな」


そう言ってフィデンツィオはため息をつき、ワインを一口飲んだ。


「お前は私に背を向け続ける」

「私は……いつも家のために尽くしています。これ以上何をしろと……お求めなのですか?」


ベニアミーナの声は震えていたが、その中には反抗心も感じられた。


「黙れ」


それに気づいたフィデンツィオの声が鋭くなる。


「お前に選択肢はない。お前はただ、私の言うことに従えばいい。」


ベニアミーナは唇を噛み締め、言葉を飲み込んだ。彼女には反抗する力などなかった。だが心の中では、炎のように怒りが燃え上がっていた。いつまでこの暗闇に囚われていなければならないのか。いつになれば自由になれるのか。



その晩、ベニアミーナは自室に戻り、鏡の前で自分を見つめた。青白い顔、固く結ばれた唇、そして目の奥に潜む悲しみと怒り。彼女はゆっくりと目を閉じ、心の中で父に問いかけた。


「なぜ、私たちをこんなにも苦しめるのですか?」


答えはない。ただ、部屋の外から父の低い声と義母のすすり泣きが聞こえてくるだけだった。


ベニアミーナは拳を握り締めた。彼女の中で何かが変わり始めていることを感じた。恐怖に屈するのではなく、自らの意志で立ち上がる時が来たのかもしれない。


「もう、これ以上耐えられない……。私は……!」


彼女は小さな声で自分を奮い立たせた。




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