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断章 母なる想いは国か、それとも娘か

28話 贈り物(ネム編)

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 徐々に日も暮れていき美しい夕焼けが姿を現す中、わたくしは冷めた紅茶をすすりながらリーゼの顔を眺めていた。

 今晩でユリア・ラルフハルトとしての人生は終わり、この娘とも当分の間は離れ離れになってしまうだろう。

 そんな寂しさの感情が渦巻く中、わたくしはゆっくりとリーゼの小さな手を優しく握った。

「う、うん……? おかあたま?」
「ごめんね、起こしちゃったわね」
「ううん、おかあたま、ちごとは?」
「あと一つだけ、大事なお仕事があるの」
「ふーん、あっ! おかあたまこれあげる!」

 リーゼの手の中には、なんとも不格好な手作りのイヤリングがあった。水晶を削って作ったようだが、力を込め過ぎたせいなのか若干ヒビが入っているようにも見える。

 この作業を一人で行うのはほぼ不可能。

 おそらくレティーにも手伝ってもらったに違いない。こんな器用な作業をできるのはあの子ぐらいしか思いつかないからだ。

 レティーが手伝ったにせよ、娘がわたくしを思って作ってくれたという事実に涙を堪えながらも、そのイヤリングを受け取り耳たぶに付けた。

「どう? お母さん綺麗?」
「うん!」
「ありがとう、リーゼ」

 突然鳴った扉を叩く音で、娘との夢の時間は終わりを迎えた。

「陛下、準備が整いました」
「レティー少し待ってもらえるかしら」
「皆待機していますので、お急ぎに。感づかれても厄介ですので」
「ええ」

 わたくしは最後にリーゼを強く抱き寄せた。

「大丈夫よ、リーゼの側にはいつもわたくしがいるからね。どんな時も、どんなことがあってもリーゼを見守っているからね」
「うん! いってらったい!」

 この会話を最後にリーゼとはユリアとして、母親としてもこれから一度も顔を合わすことはないだろう。

 そう、この瞬間わたくしは死んだ扱いとなったのだから。
 
「レティー、これがわたくしからの最後の命です」

 そう伝えた瞬間、レティーはわたくしの足元に跪き、今にも泣き出しそうな目で顔を上げている。
 
「はい! 承知しております」
「リンスとラピス、そしてシズクはこの国に縛られることなど一切ありません。あの子達には思うがまま行動し、幸せになりなさいと伝えてくださるかしら」
「必ず」
「そしてあなたにはあの子達三人より負担を掛けてしまうかもしれませんが、どうかわたくしの代わりにあの娘のリーゼの母親になってあげて。わたくしが亡くなったと聞けばあの娘はひどく悲しむはず。その時、あなたにはずっと娘の側にいてほしいの」
「ですが、本当にこのレティーでよろしいのですか? シズクはまだしもリンスやラピスなら任せられるのでは?」
「幸いなことにあなたは城の者達から普通の侍女として見られている。それにあなたは変装が得意でしょ。あまり考えたくはないけど、わたくしが娘の元に舞い戻るまでの間危険が及ぶ可能性があるのなら、娘とあなたと二人で早急にこの国から脱出しなさい。それとこれは未来のあなたへの報酬と思ってもらっても構わないわ」
「こ、これは……こんな大切な物いただけません」

 わたくしがレティーに差し出したのは、肌見放さず今まで身に付けていた世界でも珍しい鉱石が装飾されたネックレス。
 マグマのように真っ赤なルビーや海のように澄んだサファイアなどなどが装飾された国宝と言っても良い品かもしれない。

 それを渡すほど彼女にわたくしは感謝しているのだ。

 では、済ませるとしましょうか。

 わたくしは執務室に足を運び、レティーが前もって準備してくれていた毒入りの紅茶を一気に飲み干した。
 少し苦味を感じるが、飲めないことはない。
 レティーがあまり苦味を感じないように、砂糖で甘みを出してくれたり、茶葉の匂いを強くして毒草ならではの匂いを消してくれているみたいだ。

「うっ……」

 どうやら思っていた通り毒草の効果が覿面だったようだ。

 流石は暗殺者としての才があるレティー。

 徐々に息苦しくなっていく状況の中、わたくしは喉元を抑えた。
 貧血の時のようなぐるぐるとした目眩に吐き気。耐え難い苦しみにわたくしは涙を流す。

「陛下! どうなさいましたか!」
「誰か! 陛下が!」

 薄れていく視界の中、徐々にわたくしの意識はここで遠退いていった。
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