牡丹への恋路

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⑮原点

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 冷水を浴び目が覚める。

 ズキズキと痛む頭を押さえ辺りを見回すと顔面に衝撃が襲う。



「っ――」



 久方ぶりに感じた頬への打撃に口の中が切れ、血を吐き出す。



「やっとお目覚めか」



 声の主を仰ぎ見る。



「おい、龍…――どう落とし前つけるつもりだ」



 親父のいつにない怒気に事態を把握した。

 こんな思いはもう二度としないと誓ったあの日から、結局今まで中途半端に生きてきた報いが来たのだと拳を握った。



「…死んでも――助け出します」



 奥歯を噛み締めながら吐き出すように告げると、盛大に溜息をつかれた。



「相手方は藍と言い張ってる。助けるも何もないんだよ――」



 煙草の火をもらいながらぼやく親父を見据えるがその声を遠くに感じる――



 物心つく頃には既に俺は一人だった。

 母親とは名ばかりの女はいたが記憶にあるのは獣のようにSEXしてるか、男に縋り付く姿か――

 そんな生活をしていればまともに学校にも行くはずもなく図体はでかくなるばかり。

 喧嘩三昧の毎日で、手は既に血で汚れていた。

 中学に入る頃には母親は薬でやられてたんだろう。

 男に首を絞められ悦に浸りながら逝ったのを俺はベランダから見ていた。



 ――気持ち悪い。



 きっと少しでも情があれば殴り込むことができただろう。

 でも、俺は実の母親を見殺しにした。

 逃げるように家を飛び出て、その日暮らしの生活。

 中坊が一人で生きて行く為には汚いことでも何でもした。

 喧嘩も売春も運びも――それがあの時の俺の全てだった。

 ――親父に拾われ藍と出会うまでは。



 運良く親父の組員に手を出して返り討ちにあったのが良かったんだろう。

 今思えば捨て駒にされただけだが、俺にとっては運命が変わった日になった。



 ――『お前、俺のものになれ』――



 親父に拾われてやっと人間らしい暮らしを得ることができたが、俺の中で全てはかつかの二択だった。

 他人や自分にも執着や興味などなく、その場の快楽だけを拾う毎日。

 好き勝手させてくれた親父はそんな俺を見かねて藍と会わせたんだろう。



 まだ小さい少女と出会って全てが変わって行く気がした。

 初めは互いに警戒していたが時間と共に距離が縮まる。

 凍てついた心が鼓動を鳴らし始め動き出すのを実感する毎日だった。

 今まで経験したことのない当たり前の出来事全てが新鮮で、それを与えてくれる藍の存在が全てになるのは必然だった。

 なんて事のない平凡な日常。

 隣にいるのが当たり前になり、温もりを感じることが幸せなのだと思えた。

 笑顔が消えていた少女はいつしか俺の隣で屈託なく笑うようになった。

 その笑顔が無くならないように願う日々。

 自分の過去を必死に隠して彼女の理想を作り出すことが生きる意味になったが、いつしかそれが自分への枷になっていった。



 ――どこまでも自分勝手で無いもの強請りの自分に吐き気がする。



 手に入ることはないとわかっていても求めてしまった。

 どんなに足掻いても結局は悪人でしかない。

 欲しいものは手に入らない。



 繋いだ手の温かさ。

 腕に収まる小さな体。

 一生守り続けると誓ったことに嘘はなかった。



 藍の眼差しが変わり始めた事に気付いても、気付かぬふりをした。

 答えなど既に胸の内に秘めていた。

 それを格好つけて隠し続けていた。



 取り返しのつかない所に来てやっと気付く。

 俺が曖昧に接したせいで傷付けたこともあった。

 彼女が傷付くたびに頭から血の気が引き目の前が暗くなる。

 紛れもない絶望感に支配される。

 世話係だとか仕事だとか関係なく只彼女の事しか考えられなくなる。



 恩人の大事な孫娘で唯一の血縁者、年の差、自分の汚れた過去。

 何かと理由をつけ、ただ逃げていただけだ。

 彼女の思いを蔑ろにし、何もしようとしてこなかった。

 真剣に共に生きていくこと考えてこなかった。
 
 傷付くことを恐れ臆病な己に反吐が出る。



 拳を握る。



 与えてくれていたものの大きさに心が震える。



 やっと覚悟ができた。



 ――死ぬも生きるも一緒がいい――



 彼女の偽りない優しい声が頭の中に響く。



 温もりも香りも俺の全てに染みついている。



 彼女と共に歩んでいけないのなら――死んでるも同然だ。

 空っぽの人生をただ過ごす昔の自分に戻るだけ。

 それでも俺にとっては意味はない――



「――親父…」

「あ?――お前…」

「俺、一人でやりますんで、手ぇ出さないでくださいね」



 強張る体を起こし立ちあがる。

 薬はきれているだろ、先程より視界も鮮明だ。



「――龍」

「藍の場所なら割れてます。――俺も舐められたもんだ」



 何か言いたそうな親父を無視し雅人たちに指示を出す。



「約束、したんです――必ず俺が、連れ戻しますので親父は待っていてください。俺に、けじめを付けさせてください」



 そう言い頭を下げると、肩に手が置かれる。



「――二人そろってねぇとまたぶん殴るからな」



 親父と入れ違いに雅人が戻り車の鍵を手渡す。



「――龍さん、俺も!」

「お前は親父の側にいろ」

「っ――でも!」

「俺一人じゃなきゃ意味がないんだよ」



 そう言い残し車に乗り込む。

 今日で全てを終わらせると決意して――
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