至宝のいつわり 《伊賀病葉血風録》

麦畑 錬

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蹂躙

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 翌日である。

 山を挟んだ遥か西の空が、分厚い雲に覆われ始めている。嵐の前の静けさと言うべきなのか、未の刻が近づく伊賀の空は雲ひとつない晴天であった。

 清貞は傘で日を避けながら、徒歩で本家屋敷に向かっている。

 殺されるのが分かっていても、行かねば向こうから来るだろうし、逃げても追われるだろう。

 どのみち叔父と、叔父に協力する忍びは撫で斬りにする予定だったのだ。殺しに来られるくらいなら、殺しに行ってやる心づもりであった。

(この道は、姉上と兄と通った)

 まだ本家屋敷が住まいであったころ、姉と義兄に挟まれて道が懐かしい。

 大人ふたりが隣で守っていたからか、心が前を向き、自分が命を狙われている事さえ忘れられた。

 満ち足りていた頃を思い出して歩く間は、楽になれた。

「清貞が参りました」

 かつては砦があった場所の奥に、本家屋敷はある。門のない砦をくぐり、本家屋敷を訪ねると、晴継が出迎えた。

「待ちわびておったぞ。入れ」

 晴継のあとをついて、縁側に面した部屋で退座した。晴継は涼やかな笑みを崩さぬまま、刀を一向に右へ置かない。
 清貞も、刀は利き手で取れるよう左に置いていた。

「なぜ来た。伊賀の上忍が、自分以外に利をくれてやるわけがなかろう」

「私も、家督を継げるなどと思ってはおりません」

「大人しく諦めて、あの離れで暮らしていてくれれば、もう少し穏やかに死なせてやれたものを。家督をやるなどという、俺の言葉を信じたわけでもなかろうに」

「大人しくしていれば、ただ死ぬのみ。皆殺しにすれば生き延びられます」

 反逆の意を見せているにも関わらず、晴継は穏やかな微笑みを貼りつけていた。

「懐かしい心地よ。俺もおぬしらが生まれる前は、兄の首を狙っておった。いつまでも使い捨ての下忍でいるより、兄を殺し、当主の座を奪ってやろうとな。おぬしのように下忍の鍛錬を積みながら、野心を研いでおった」

 晴継が刀を手に立ち上がった。

「甲賀衆に武具を盗ませておいて正解だったな。いくら俺でも、鎖帷子なぞ着込んだおぬしとは、戦いとうない」

 叔父が言い募ったところで、清貞が動いた。

 半歩踏み出しながら抜刀し、抜きざま斬りかかると、晴継は鞘ごと刀で受けた。

 「隠れて毒を飲んでおったおぬしに、毒は効くまいよ。刀に毒はないゆえ、安心してかかれ」

 人生の半分以上を下忍として生きた経験がある分、晴継はほかの上忍と違い、単独でも戦えてしまう。清貞の放つ斬撃を軽々と上へ跳ね除けると、空いた懐へ蹴りを入れた。

 痩躯の清貞は倒れざま背後の襖を押し倒し、外へ転げ落ちた。

 清貞はたまらず羽織で顔を隠す。不幸中の幸いか、山の向こうから流されてきた雲が太陽を覆い隠し、陽光を和らげている。

 命を奪い合う緊張が、肌の痒みを忘れさせてくれた。

「ち、曇ったか」

 面白くなさげな晴継の背後から、次々と下忍どもが外へ躍り出る。毒針が効かぬと分かっているためか、みなが槍を構えて清貞を取り囲んだ。

「私を八方から突き殺すおつもりですか」

 清貞が睨みつけると、

「おぬしも男だ。死ぬなら戦って死にたかろう」

 下忍どもを掻き分け、円陣の中へ踏み込んだ。

「続きをしようではないか。ただの下忍であれば串刺しにしていたところだが、おぬしは俺の可愛い甥ゆえな」

 晴継が風を切った。

 斜めから刀が飛んでくるのを、縦の剣で防ぐが、清貞の腕が痺れた。

 晴継の腕は鍛え抜かれた筋肉の装甲を纏っている。筋肉量では圧倒的に負ける清貞では、鍔迫り合いから押し返す腕力がない。

(武具さえ奪われなければ)

 清貞の苦無や吹き矢には、己で調合した毒を塗布してあった。打刀で勝てぬ時には応用していたものが、いまは使えぬ。

 刹那、

「うぐ」

 清貞の背中がかっと熱くなった。

 じりじりと押し出された先で、下忍の構える槍に刺されたのである。

「急所は刺すな。死なぬ程度にせよ」

 浅く刺さった穂先が引き抜かれると、晴継が刃を離す。

 矢継ぎ早、弄ぶように斬撃を与えると、刀で受けた清貞の体がよろめいた。よろめいた瞬間、二の腕を槍に突かれる。たまらず身を退け、槍の穂先から離れると、振り返った先で晴継の刀が肩口を袈裟斬りにした。

「っ」 

 悲鳴など聞かせるものか。

 清貞は喉から飛び出しかけた声を噛み殺し、なおも斬りかかった。斬りかからねば、槍で殺される。

 晴継の懐に隙が生まれるまで、攻めるしかなかった。だが、晴継の肌を少しでも傷つければ、すかさず下忍の援護により、体のどこかへ槍を刺さされる。

 斬撃をまともに受ければ、力の差で押し出されて、槍を食らう。槍を斬ろうとすれば、背を向けたところを晴継に斬られる。

 清貞の白い衣は、たちまち赤黒く染め上げられ、足元から血の雫が滴った。全身が激痛に覆われ、どこが無傷なのかも分からぬ。

「まだ立てるか。そこらの下忍なら死んどるぞ」

 満身創痍の体で、なおも倒れぬ甥に、晴継は見上げた様子だった。しかし、感心したのも束の間、半歩踏み出した晴継が横に刃を走らせる。

 死に損なっている相手に気を弛めたか、清貞の眩んだ眼に、晴継の隙が見えた。

 横殴りの凶刃が、清貞の口の端に食い込む。頬を横一文字に切り裂かれたのも構わず、清貞は下段より叔父の脇めがけて刃を一閃させた。

 脇に通う動脈に傷が入り、晴継の体が初めて多量の血を流した。

 が、その刹那、清貞はその場に卒倒した。

 背後の下忍が、体を深く突いてきたためだ。

 清貞の倒れたところが、血の海になる。

 敗者に鞭を打つが如く、太陽が雲をおしのけて顔を出した。衣の引き裂けたところに陽光が差し込み、清貞の肌を焼いた。

「痛かろうな。臓物を傷つけぬようにはしたが、血は随分と流れた」

 晴継は下忍に持たせた衣で、己の傷を止血しつつ、虫の息になった甥へ猫なで声をかけてくる。

「まだ日は長い。このまま陽の光に焼かれて死ぬがいい」

 清貞には聞こえなかった。乱闘で結髪が乱れ、黒髪がすだれのように顔を隠しているため、視界が暗い。そのうえ、意識が朦朧として耳が遠のく。

 執念のみで立っていたも同然の肉体は、倒れた途端、限界を迎えていた。

(太陽が……)

 ふと、髪の狭間から見えたわずかな陽光が遮られる。何者かが、清貞の上に覆いかぶさっている。

 姉か、それとも義兄が、地獄から迎えにやってきたか。

 最後の力を振り絞り、首をもたげると、熱い雨が降ってきた。

 太陽を遮った寿女の眼から、涙がこぼれ落ちていたのである。

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