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嘘
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本家屋敷に到着すると、叔父が自ら出迎えた。
「少し外してくれ」
居間を見張る下忍たちを下がらせると、清貞と二人きりになった。
「簡潔に言うとな、おぬしに病葉家を継がせる手筈が整った」
晴継が屈託のない笑みを浮かべ、
「長いこと待たせて、申し訳なかったな」
すまなさそうに眉を下げた。
清貞は瞠目し、叔父の腹の中を勘ぐった。
「なぜ、急にそのような」
「おぬしも、もう二十二になる。申し分ない強さも身につけた。子供の頃ならいざ知らず、立派な大人が急にぱたりと逝くことはなかろうよ」
気配の尖りを緩めぬ清貞を前に、春継は膝を進め、甥の顎や頬を撫でた。
「いつだったかな。分家は下忍同然で、本家から見向きもされなかったが、あるとき、蛉……おぬしの姉が訪ねてきたのは」
「私が五つごろ、かと」
「蛉に似てきたな。仏頂面でなければ、女を引き寄せるだろうよ。女体はもう知っとるか」
「ほどほどに」
「そうかそうか。時にな、清貞よ」
清貞の顔を撫で回していた晴継が、急に頭へ手を乗せてきた。
「赤毛の童顔は、おぬしの好みか」
叔父の問いかけに、清貞は一瞬、呼吸を忘れた。
「なぜ、そのような事を」
「辻陽佐衛門の妻女を攫ったろう」
晴継は呆れた息をついていた。
「女に困っていたなら、俺に言うてくれれば良かったものを。手篭めにはしておるまいな」
「……肌には指一本と、触れておりませぬ」
こんな時に、寿女の手を取った熱が、手の中に蘇ってきた。
「ならば良かった。手を出しておれば、無事では済まなんだぞ。甲賀の者どもには、俺が言い聞かせておいてやる」
「甲賀者の首を、徳川へ売るのではなかったのでしょうか」
「辻家との繋がりの方が古く、強い。保田が妙な真似をした時のために、辻家……いいや、本間家には恩を売っておいたのよ」
「本間とは」
「おぬしが拐かした女の生家よ。これからは実質、本間家が辻領の権力を握る。そのためには、辻家の妻がおらねばな」
「彼女のことは、誰からお聞きになったのですか」
清貞が尋ねると、
「辻家の妻女からだ」
晴継が答えた。
(寿女が……)
握りしめた手の内が、脈打つのを感じる。
「過ぎた女のことは忘れよ。それより跡目相続のついてだが、明日の未の刻には来られるか」
「はい」
答えたが、清貞の心はそこにない。
歩けぬ寿女が、ひとりで晴継や甲賀衆へ密告する暇があったとは思えぬ。だが、清貞が屋敷を空けているあいだ、誰も寿女に会いに来なかったとは言いきれなかった。
寿女が歩けぬことすら嘘であったなら、清貞のいぬ間に動き回れるはずだ。
だとすれば、清貞が寿女を抱いて歩いていたあいだ、あの女は、心の内でほくそ笑んでいたかもしれない。
「では、また未の刻に参れ」
言い残す晴継に一礼した清貞は、覚束ぬ足取りで屋敷へと戻ってきた。
人の不幸を楽しむ叔父が、清貞を苦しめるためについた嘘かもしれぬ。そう思い、屋敷を隈なく探したが、寿女の姿はなかった。
寿女を寝かせていたところは、すでに薄ら冷たくなっている。屋敷に土や砂がこぼれているのを見るに、甲賀衆が土足で入ってきたのがうかがえた。
晴継の言うことは、本当であったらしい。
挙句の果てに、仕込んでおいた苦無や手裏剣、鎖帷子まで持ち去っていったらしく、晴継を殺すために準備した武具が軒並み消えている。
忠義を重んじる甲賀者とはいえ、伊賀者並には抜かりないらしい。
『お互い様でございます』
寿女の声が耳に蘇る。
「ふ、はは……」
清貞は寿女の寝ていた御座の上で、うつむいた。
自分は伊賀者の、上忍の跡継ぎとして、まだ未熟だったようだ。甲賀の女にいとも容易く騙され、心まで奪われかけていた。
晴継が甲賀衆と結託しているのなら、甲賀衆も、晴継の目論見は知っているに違いない。裏で手を結んでいるとしたら、晴継から甲賀衆へ、清貞の武力をとことん削ぐよう命ずることもできよう。
であれば、晴継が清貞に当主の座を譲るのも嘘だ。明日の未の刻に呼び出して、始末するつもりなのだろう。
清貞だけが、策略の蚊帳の外にいたらしい。
(あんな女、殺す価値もない)
心の内に吐き捨てると、腰に帯びた刀があるのを確認した。
伊賀者にとって、嘘は息も同然である。嘘を見抜けなかったほうが不覚なのだ。最初から諦めて、心を閉ざしてしまえば、また元通りの自分になれるだろう。
清貞はただひとつ手元に残された打刀を抱いて眠った。
◇
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