至宝のいつわり 《伊賀病葉血風録》

麦畑 錬

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病葉家の嫡男

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 先述の《保田の至宝》もとい、病葉家の生き残った嫡男には様々な名がある。

 幼名は小白丸こはくまるといったが、正式な名を清貞きよさだ、いつからか白斎びゃくさいと名乗るようになった。

 生まれつき日に当たれず、脆弱な肉体の男を《保田の至宝》と言わしめる理由のひとつに、彼の操る秘剣『川下かわくだり』がある。

 敵の太刀を受け流し、自身は力で抗うことを必要とせず、川の水が石を縫って流れ下るような斬撃を与えることが由来だという。

 この秘剣『川下り』によって、病葉領が半壊することとなったのは、まだ若き頃の男が《清貞》と呼ばれていた時分であった。



 春の夜である。ようやく日が沈んだのを見計らい、清貞は山を越え、甲賀から伊賀へ舞い戻った。

  甲賀には伊賀と同じく、大きな流派の忍びたちが暮らしており、その甲賀衆の里を治めるひとりに、辻陽佐衛門つじようざえもんなる男がいる。

 清貞はその陽佐衛門を単独で急襲し、首級を持ち帰る道中であった。

「ッ」

 清貞の担いだ袋が跳ねる。陽佐衛門の首級を片手にぶら下げていた清貞だが、首をいったん両脚に挟むと、空いた手で袋を強く叩いた。

「いた」

 袋が若い女の声で呻いた。

 手のひらに、臀を打ったような感覚がある。苛立った様子の清貞は、自らの衣で手のひらを拭った。

「静かになさい。それ以上動けば、次は刺しますよ」

 脅すと、大きな襤褸袋は抵抗をやめた。

 清貞は日が昇るより早く伊賀へ足を踏み入れると、韋駄天のごとく自身の屋敷へ帰還した。

 少し間を置き、白んでゆく空を睨みながら、清貞は一里(約3.9km)先にある本家の屋敷を訪れた。

「清貞が戻りました」

 見張りの下人に告げ、屋敷へ上がる。陽の光の届かぬ奥間で待機していると、叔父の晴継はるつぐが寝巻き姿で現れた。

「獲ったか」

「お確かめください」

 陽佐衛門の首を差し出し、吟味を受ける間、清貞はつねに無表情であった。

「たしかに、これは辻陽佐衛門の首だ。我が甥ながら、大した腕前よ」

 褒める叔父に対し、

「滅相もございません。これも叔父上に恩を返すためなれば」

 清貞はにこりともせず、慇懃に頭を下げた。

「恩なものか。本来であれば、お主がこの屋敷の主なのだ。然るべき時が来たら、正式に病葉家の当主になってもらわなくてはな」

 親しげに話す晴継に頭を下げながら、清貞は音を立てぬよう奥歯を噛み締めていた。  

 分家が使っていた離の屋敷に移り住むようになったのも、この叔父が、次第に清貞の食事へ毒を孕ませるようになったためである。

 そもそも清貞は、日光を受け付けぬ体ゆえ、肉体が脆弱にできている。当初は、もって二十歳までしか生きられぬとまで言われたほどだ。

 晴継も清貞が子供のうちに死ぬと高を括り、後見人になったのであろうが、清貞は思いのほか細く長く生きている。いつ痺れを切らした叔父に殺されるとも知れぬ中で、清貞は生きていた。

(この男を殺さねば、いつか殺される)

 清貞はとうの昔に、叔父の殺害し、病葉家を乗っ取ると腹に決めていた。

「その際は必ず、役を全うしてみせまする」

 悠々と口を吊り上げた晴継へ告げ、踵を返した。自らのために、分厚く重ね張りした傘を開くと、清貞はなるたけ日陰を選びながら帰路へ着いた。

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