佐藤くんは覗きたい

喜多朱里

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心を覗きたい(前編)

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 四時間目の授業が終わり、昼休みに教室が沸き立つ。
 教室の中心で笑顔を振り撒く有村さんを、相変わらずぼっちな僕はぼんやりと眺めていた。

 有村さんとの関係性が変わっても学校生活に変化は訪れない。
 お互いに表立って干渉することはなくなった。
 スマホがLINEの通知に震える。確認すれば有村さんからのお昼のお誘いだった。

『今日は僕から誘わせてほしい』
『どういうことかな?』
『そのまま席で待ってて』

 僕は弁当箱を取り出して席を立った。
 不安そうに視線を送ってくるが、気にせずウェイ勢が集まって賑わう有村さんの席へと向かう。

 荒谷の馬鹿笑いが教室に響き渡った。用務員室での一件からしばらく大人しくなっていたが、僕と有村さんが何も行動に出ないことから、調子の良い傲慢な態度に戻っていた。ただの空元気かもしれないけど表面上は元通りだ。
 遠藤さんは有村さんの隣に座って、何事もなかったように親友を気取っている。二人の笑顔は明るく仲違いの気配なんて感じさせない。やっぱり女の子って怖いなと思った。
 とっくに破綻しているなんて、彼らを見ても気付ける人は居ないだろう。

 有村さんが笑顔の裏でどれだけの悲鳴を上げているのかなんて――想像すらもできる筈がない。

「有村さん」

 僕の小さな呼び掛けは、騒がしい教室内で簡単に掻き消される。

「有村さんっ!」

 大きく声を上げた。
 教室が一瞬だけ静まり返るが、またすぐにざわめきに満たされた。

「どうしたの佐藤くん?」

 完璧な笑顔の仮面で有村さんは返事をする。

「……なんだよ、佐藤。ぼっち飯には飽きたのか?」

 荒谷が茶々を入れてきた。やはり根に持っているようだ。
 取り巻きが下品な笑い声を上げて囃し立ててくる。

「ナナちゃんは私達と食べるの、ほら、席が足りないでしょ」

 遠藤さんが有村さんを守っているんですと腕を広げた。
 緊迫した空気に教室からざわめきが消えていく。

「何がしてぇんだ?」

 荒谷は問い掛けるというより戸惑っていた。
 何がしたいのか――それは今日まで何度も自問自答を繰り返してきた。
 ぼっちになってどうしたいのか?
 誰とも関わらないようにすることに意味があるのか?
 振り返ってみたが、ただ灰色の人生だった。

 どういう人間か分かっていながら、有村さんは僕を人の輪に引き込んだ。
 それをわがままだと口にした。
 だから、僕は一つだけわがままを押し通させてもらおうと思う。

「二人だけでお昼を食べたいんだけど、どうかな?」

 震えそうになるのを必死で堪えて、何事もないようにいつもの僕の声で伝えられただろうか。
 騒ぎ出すクラスメイトの喧騒が遠くに聞こえる。
 真っ直ぐに有村さんだけを見詰め続けた。
 呆然としていた有村さんの瞳がじわりと涙を湛える。ぽろりと一筋の涙が頬を伝って零れ落ちた。

「うんっ、一緒に食べよう!」

 あの日、教室で隠れてメッセージで誘い合ったのを上書きするように、
 帰り道の路地裏で交わした約束のように正直な気持ちで、
 僕たちは教室の真ん中でようやく正面から向き合った。


    *


「その鍵って!」
「僕こそが化学準備室の継承者さ」

 伊藤先輩の真似をして指に通した鍵をくるりと回す。

「ふふっ、蛇の剥製があるだけで秘密の部屋じゃないんだから」

 僕の誘いと、それを承諾した有村さん。
 教室は大騒ぎになった。みんなの女神様がたった一人を隠さずに優先したのだから、それも当然だろう。
 そんな中で昼食を大人しく食べさせるもらえるわけもなく、逃げ出すように教室を飛び出してきた。
 わざわざこっそりと追い掛けてくる奴まで居たが、学校を知り尽くした僕の前に尾行なんて無駄だ。さっさと振り切って、化学準備室までやってきた。

「確かにここでなら邪魔されないね」

 化学部の部室は五つの机を向かい合わせで並べており、部長席(簡易)以外は自由に座れるのだが、食欲減衰効果抜群の標本棚を避けると、結局は前に来た時と同じように隣同士に座ることになった。

「でもどうして佐藤くんが鍵を?」
「伊藤先輩に誘われたんだ」

 机の中からネームプレートを取り出して机の上に置く。

「副部長……!」
「他は幽霊部員ばかりで僕が入った瞬間に繰り上げで就任することになったから、別に偉いわけじゃないんだけどね。伊藤先輩が居なくなった後に、最低限にでも成果を提出できる人が必要だったんだ」
「……そっか、先輩は三年生でもう卒業だから」
「文化部も引退の時期だからね。まだ辞めるつもりはないみたいだけど」
「そうなの?」
「大学は推薦で余裕みたいだから」
「そっか……それじゃあ、まだ委員会も出てきてくれるかな」

「まあ伊藤先輩は有村さんのことをすごく気に入っているから大丈夫じゃないかな」
「……ときどき困るけどね、スキンシップとか」
「あー、うん、そうだね」
「佐藤くんは見てて楽しんでるの知ってるからね」

 ジト目を向けられて目を逸らす。

「ともかく、前に来て居心地が良かったから、こういう場所があるのはいいなって思って承諾したんだ。それに伊藤先輩って妙に話が合うんだよね」
「むぅぅ……いつの間に伊藤先輩と仲良くなってる」

 分かりやすく嫉妬していた。

「有村さんの話で盛り上がるからだよ」
「そ、それは……嬉しいけど、やっぱり恥ずかしいよぉ」

 きっとこれが本来の有村さんだ。素直に感情を表に出す。純粋無垢な心と天真爛漫な振る舞い――これまでどれだけ自分の心を犠牲にしてきたのだろう。

 今日の僕の行動は有村さんに過去を裏切らせた。
 みんなの有村さんという幻想を打ち砕いた。
 有村さんが不幸になるのを許せない。
 有村さんの努力を嘲笑う奴を許せない。
 だからこれは、まぎれもないわがままだった。

 自分らしくないことをやったが、今の穏やかに微笑んでお弁当を食べる有村さんを見ていると、今後も苦労とかも含めてすべてどうでもよくなる。

「佐藤くんが居るなら、わたしも化学部に入ろうかな」
「もちろん歓迎するよ」
「ふふっ、そうしたらネームプレートを置きたいな。うーん、でも役職がないから、なんて書こうかな」

 生徒手帳を開いて部活について確認すると、都合の良い規定を見付けた。

「と副部長は二人まで任命していいみたいだよ」
「ほんとっ!? やった、佐藤くんと一緒だー」

 部活日誌と名ばかりで伊藤先輩の落書き帳からページを一枚破り取る。ホワイトボードにあるマジックペンと一緒に有村さんに手渡した。

「むーっ……先輩も佐藤くんも字が上手だからなぁ」

 有村さんの書き上げた『副部長』は可愛らしい丸文字だった。仰々しい『部長』とカクカクで定規で引いたような僕の『副部長』と並べると、それぞれの個性が際立って面白い。

「これでもっと一緒に居られるね、えへへ」
「ぐほっ……!」
「佐藤くん!?」

 机に突っ伏した状態で腕を組んで上目遣いで見詰める――見事な合わせ技を決められて、僕は致命傷を負った。昼休みを考えて不安解消のために三時間目の短い休み時間に抜いていなければ死んでいた。

「今度はどうしちゃったの?」
「そろそろ有村さんは自分の可愛さを自覚して」
「さ、佐藤くんも、そういう真っ直ぐ過ぎるの自覚してっ」
「……うん、この話の流れはやめよう」
「そうだねっ!」

 有村さんは気を取り直して話を切り替える。少しだけ寂しそうに部長席を目を向けた。

「来年の今頃は受験でばたばたしてるのかな」
「伊藤先輩みたく学校推薦をもらえたらいいんだけどね」
「わたしは無理だね。うん、間違いない」
「そんなに力強く言わなくても」
「……佐藤くんは、大学はどこに行くの?」

 第一志望の大学名を伝えると、有村さんは顔を曇らせる。

「難関大学だね」
「だから頑張ってるよ。特にやりたいことはないから、とりあえずできる限りレベルの高いのところに行くことにきめたんだ。あとは距離的に実家を出られるしね」
「そっか、それも理由の一つなんだね……うん! わたしも一緒の大学を目指そうかな!」
「そんな理由で進路を決めるのはどうかな」

 有村さんはお弁当を口一杯に頬張って、微笑ましい不機嫌アピールをする。

「……むぅぅ、でもでもわたしも将来の夢なんてないから! それに佐藤くんの方が成績は良いから、目標を高く持つのは悪いことはではないよね?」
「そうだね、それなら問題ないかな」
「それに、わたしも実家を出たいからね。あとは佐藤くんとこの先も一緒に居られるかなって」
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