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第一話 さくらとあんぱん
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しおりを挟む藤城屋へ着くと、兄の英一が店先に立っていた。客の見送りをしたところだったのだろう。宿の中へ戻ろうとしていた兄は、私たちに気づいてふしぎそうに首をかしげた。
清人さんとのお見合いに出かけたはずの私が修太郎と一緒に帰ってきたのだから、当然の反応だ。
「香代、ひとりか?」
「お父さんもお母さんも、清人さんのご両親と出かけちゃった。修太郎に会ったから、一緒に帰ってきたの」
「勝手に帰ってきていいのか?」
兄はあきれ顔をする。自由気ままな私には慣れてるようだけど、笑顔で受け止めるほどの寛容さはまだないらしい。
「その話はまたあとでするね」
見合いの話を切り出されないようにひやひやしていると、修太郎が口をはさむ。
「香代、しきよみ亭で働くんですね。清人の店は人手が足りてないようでもなかったし、驚きましたよ」
「え、えぇ」
兄が目を丸くするから、私はあわてる。
「清人さんが働いてほしいっていうの」
「そうなのか? まあ、手伝いは必要だろうが……」
結婚するならしきよみ亭の手伝いは当然だと兄は思ったみたいだった。しかし、納得できない様子で首をかしげている。
「ねぇ、修太郎、まだお仕事中でしょう? こんなところで油売ってると叱られるよ。仕事仕事」
「あ、ああ。香代も、ちゃんと働けよ」
「わかってる。さあ、帰って帰って」
修太郎の背中をぐいぐい押しやると、彼は不服そうにしながらも帰っていった。
「香代、しきよみ亭で働くって、結婚が決まったのか?」
とても結婚の決まった妹に向けるようなものではない険しい顔で、兄は尋ねてくる。
「決まってはないんだけど」
「また断ったんじゃないだろうね? 断るなんて……」
見合いを断る非常識な女なんて私ぐらいだと、小言が始まりそうだから、兄の言葉をさえぎって言う。
「あー、清人さんは私のこと、あんまりお気に召さなかったみたい」
「そうなのか」
それなら仕方ない、と兄は思ったのだろう、神妙にうなずいている。この調子で両親も、うまくごまかしてしまえばいいと思っていると、後ろから声がかけられた。
「何言ってるの、香代ちゃん。清人さん、すっかり香代ちゃんを気に入ったみたいだったでしょう?」
「お母さんっ」
「清人さんはなんておっしゃったの?」
赤ら顔の父と一緒に帰ってきた母が私に詰め寄ってくる。早々と帰ってきたものだ。
「なんてって……」
すぐにでも夫婦になりましょうと言ったなんて、とても告げる気になれない。
だけど、ずっと慕っていたと言われたことを思い出すと、ほおが赤らむほど恥ずかしい気持ちになる。私を恋しく思ってくれる人に出会ったことはなかったから。
「まあ、赤くなって。はじめから、清人さんと縁組したらよかったわねぇ」
ハッとして、ほおに手を当てる。知らず、ほおが上気していたみたい。母は何やら誤解したようで、うっとりする。
「こ、これは違うの。清人さんとは結婚しません」
「何言ってるの。四季さんは香代ちゃんなら安心と、そのおつもりでまた旅に行かれたのに」
「えぇ、また旅に?」
やっぱり風変わりな人たちだ。純子さんと親しい母には悪いが、息子だけじゃなくて、その両親も。
「そうは言うけど、香代、しきよみ亭で働くんだろう?」
何がどうなってるんだと、兄がいぶかしげに言うと、母の表情が明るくなる。
「そうなの? 香代ちゃん。いいじゃないの。お母さんね、これだけ待ったんだもの。すぐに結婚しなさいなんて言わないわ。清人さんをしっかり支えてあげて、一番良い頃合いに一緒に暮らしなさい」
こうして母に押し切られた私は、嘘から出たまことで、本当にしきよみ亭で働くことになってしまったのだった。
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