菩提樹の猫

無一物

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12章 伯爵令息の夏休暇

31 まだできることがある

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◆◆◆◆◆


 適当な間隔で木の生い茂る所まで来ると、レネは木の幹へ背を預けて目を閉じ、乱れた息を整えた。
 ただ隠れるのには木の密生している場所がいいが、刃物を振り回すにはこのくらい空間のあった方がやりやすい。

 ここが……自分の死に場所になるかもしれない。

 自分一人でできることの限りが見えてくると、自ずと迷いがなくなり……心が落ち着いてくる。


「さっきのは従者の声だろ?」
「ガキを先に逃してるのか?」
「森の中にガキが身を隠してるんじゃないか?」

 まだ遠くにいるはずの男たちの話し声が鮮明に聞こえる。

(馬鹿ばかりでよかった……)

 よく考えれば、わざわざ自分の主人の居所を教えるようなマネはしないと思いそうなものだが、山賊たちはレネの罠へ見事に嵌った。


 森に入ると、男たちは獲物を探すためにバラバラに動き出した。
 松明に照らされ、暗い森の中はオレンジ色の光に染まるが、影はより一層闇くなる。
 火の明かりに慣れた山賊たちの目には、闇に溶け込むレネの姿は見えない。

 近くを通りかかった男たちから、先ほどのように一人ずつ影の中に引き込んでナイフで始末していく。
 それを二、三回繰り返した所で、明るい光が獲物を仕留めているレネの姿を映し出す。

「いたぞっ!! クソッ……何人か殺られてるっ!!」
「向こう側から回り込めっ!!」

 レネは松明の炎から逃れるように暗い方へ暗い方へと走って行くと、木の生えていない開けた空間へと出た。

(しまった、これじゃあ隠れる所がないっ!)

 だが後ろからは松明の光が迫ってくる。
 横に逃げても高台の斜面か、反対側には水辺だ。前へ逃げるしかなかった。

「あそこだっ、矢を放てっ!」
 光に目が眩み、レネは一瞬動きを止める。

(——矢!?)
 
「ぐぅっ……」

 衝撃が身体に走る。
 反射的に頭と胴体を腕で庇って致命傷だけは免れた。
 だが、左腕と右太腿に熱い痺れが走る。

「くっ……」

 再び走り出そうとするが、激痛で思うように動くことができない。

(……逃げるのはもう無理か……)
 
 どこか達観したもう一人の自分が、次の指令をレネに出す。

 抵抗せずに捕まれ、大人しくしていればすぐには殺されない。
 まだアンドレイのためにやれることがある。

 レネはその場に座り込むと両腕を挙げた。

「ここだっ!」

 男たちが続々と集まってくる。
 松明の火が集まり、昼間のように明るい光にレネは暴かれる。

「……こいつ……」
「虫も殺さない顔して」
「マジかよ……」

 一切抵抗せず両手を挙げ、光に照らされたレネの姿を見てしまった男たちは、無意識に構えていた剣を下ろした。
 明らかに男たちが驚いている。

「捕まえて、ガキの居場所を吐かせろっ!」

 あっという間にレネは拘束され、男たちの間の真ん中に引っ立てられる。

「おい、まさかこんな仔猫ちゃんが出てくるとは思いもしなかったぜ」

 背後から顎を捉えられ、無理矢理上を向かされる。
 リーパの中でもレネほどの腕になると滅多に背後を取られることはない。
 レネがこれをやられたことがあるのは、養父のバルナバーシュか剣の師匠のルカだけだ。
 
 一対一では絶対負けることのない雑魚たちが、勝ち誇った顔をしてこちらを見下ろしてくる。

(クソっ!)

 屈辱にギリギリと歯を噛みしめる。

「虐め甲斐があるな」

 一人が残忍な笑みを浮かべると、次々と流行病のように周りの山賊たちに伝播してゆく。
 レネは今になって、男たちの獣のような体臭が鼻につき、喉元から顎に回る湿った手が気持ち悪くなった。

「ガキをどこに隠した?」

 目の前に剣を突きつけられても、レネは目を逸らすだけで口を割らない。
 顎を押さえていた手が、唇に回り無理矢理下唇をめくる。

「おい、だんまりかよ、その閉じた可愛いお口が開くようにこうしてやるぜ」

 太腿に刺さったままの矢のシャフトを掴むと、さらに奥へとレネの太腿を切り裂いた。

「うあああぁぁぁっっっ……」

 激痛のあまり声を殺すこともできなかった。
 骨の手前で矢尻が止まるまでその行為は続けられた。

(——アンドレイの洞穴から離れた所でよかった……)

 ここまで離れていたら自分の情けない声もアンドレイに聴こえないだろう。
 きっとアンドレイのあの性格では、外へ飛び出してきてしまう。

 レネは最初からそれを想定して離れた場所を選んだ。
 
「次は中で捻って矢を引き抜いてやる。肉がズタズタになるぞ。嫌だったら素直に吐け」

 また男がシャフトを掴んだのが振動で伝わる。

「ぐっ…………やっ……止めてくれっ……」

 痛みのために浅い呼吸しかできないレネには、それだけ喋るのも息が続かない。
 全身から脂汗が吹き出る。

「……坊ちゃまはっ……島の南西にある……桟橋へ行った……もうすぐ仲間がっ……舟で……——ぐぁっ……」

 言い終わる前にレネの身体は吹っ飛んだ。

「クソっ……俺たちを騙しやがって、お前は囮だったのかっ!」 

「……ぐはっ……」

 地面に転がった所をもう一発腹に蹴りを入れられた。
 口の中に胃酸と血の味が広がる。
 
「お前ら、早く行って手柄を立ててこい!」
「逃げられる前に急ぐぞっ!」

 朦朧とした意識のまま薄っすらと目を開けると、ドタドタとたくさんの足が遠ざかって行くのが見えた。
 だが、すべての気配は無くならない。

(——ああ……とどめを刺されるのか……)

 今まで行ってきたことが、今度は自分に行われる。
 この世界は常に敗者が殺される。

(……もうここまでだ……後はデニスさんに任せるしかない……)

「さあて、奴らも行ったしお楽しみといこうか」
「男なんて興味なかったんだけどな……さっきの声聞いてたらギンギンに勃っちまった」
「俺もだよ。どうせ殺すなら楽しんでからでいいよな?」
 
(……な…に……?)

 残った三人の男たちが暴れないようレネの手足を押さえつけ、伸し掛かってきた。
 ぶちぶちとボタンが飛び散り、肌が晒される。

「スベスベの肌だぜ。同じ男とは思えねえな」
「やべえぇ……吸い付いてくる」
「見ろよ、乳首だって綺麗な色だぜ?」

 上半身を弄られるが、先ほどの強く腹を蹴られたせいでまともに身体を動かすこともできない。

「死ぬまで可愛がってやる」

(——普通に殺してもくれないのか……)

 触られる感触よりも痛みの方が勝り、なにも感じないのが唯一の慰めだ。


 今までたくさんの人を殺してきた。
 男たちに犯されて殺されるのは、そんな自分には似合いの最期かもしれない。

(でも姉ちゃんは……悲しむだろうな……)
 
 遠く離れた地ならばまだしも、姉はすぐそこにいる。
 きっと見るに堪えない弟の死体と対面することになるはずだ。

 それだけが心残りだった。


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